いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

「フォークの原点・唄の市 第一集」を図書館で見つける・・・いわき

2013-04-03 22:31:29 | 日記

「フォークの原点・唄の市 第一集」
ラトブ総合図書館で見つける。
もちろんCDになっていました。
早速借りてきまして昨日聴きました。


いのししの持っています
唄の市 SECONDの二枚組のアルバムです。
第一集を探していたのですが、
いわき市総合図書館で見つけました。

今日のいわきは風と雨で台風並み。
現在は
やっと風も収まったようです。

昨日から五歳の孫がお泊り、
今日はパソコンで、
「アンパンマン」などのキャラクターを探し出し、
お遊びを。
キャラクターがパソコンで見られ
飽きが来ないで楽しんでいました。
次回も見たいと。

一昨日
上記のように
いわき総合図書館のCDコーナーに
唄の市 第一集があり
早速借りて聴いてみました。

ほやほやのフォークを感じました。
初めて聴く曲が多かった。
宮島ゆきは何十年ぶりで聴いた。

唄の市 第1集

1.街と飛行船・・・・・小室等と六文銭・・・・・・・・・・A面

2.今旅に出るよ・・・・シテイ・ライツ

3.僕のチータカ節・・・シテイ・ライツ

4.失恋の歌・・・・・・ピース・シテイ

5.下北沢たそがれ・・・黄色い船

6.花言葉・・・・・・・古井戸

7.大雪のあとで・・・・古井戸

8.ハイライト・・・・・・・・・・・・・吉田拓郎・・・・・B面

9.捨ててはいけないよ大切なものを・・・ピピ&コット

10.     白い愛の言葉・・・・・・・・・・宮島ゆき

11.     雨よ・・・・・・・・・・・・・・宮島ゆき

12.     戦争小唄・・・・・・・・・・・・泉谷しげる

13.     愛しているよ・・・・・・・・・・泉谷しげる

14.     帰り道・・・・・・・・・・・・・泉谷しげる

 

唄の市 SECONDO・・・レコード二枚組です。

1.春夏秋冬・・・・・・・・・泉谷しげる

2.つなひき・・・・・・・・・・泉谷しげる

3.眠らない夜・・・・・・・泉谷しげる

4.春の空っ風・・・・・・・泉谷しげる

5.僕の唄・・・・・・・・・生田敬太郎

6.この暗い時期にも・・・・生田敬太郎

7.悲惨な戦い・・・・・・・なぎらけんいち

8.ハイエナ・デキシー・ブルース・・・とみたいちろう

9.春はそこまで・・・・・・・・・・・とみたいちろう

10.12時過ぎのシンデレラ・・・・・とみたいちろう

11.ふるさとへの手紙・・・北炭生

12.生きていようよね・・・北炭生

13.変わりゆく時代の中で・佐渡山豊

14.誕生日・・・・・・・・・・佐渡山豊

15.海どろぼう・・・・・・佐渡山豊

16.ドゥ チュイムニイ・・佐渡山豊

17.あこがれ・・・・・・・・・ピピ&コット

18.千羽鶴・・・・・・・・・・中沢厚子

19.あじさいの唄・・・・・中沢厚子

20.いつかある日・・・・中沢厚子

21.メリーゴーランド・・佐藤公彦

22.通りゃんせ・・・・・・佐藤公彦

23.夕暮れ・・・・・・・・・佐藤公彦

24.虞美人草・・・・・・・佐藤公彦

25.ごろ寝・・・・・・・・・古井戸

26.終わりです・・・・・・・古井戸

27.ポスターカラー・・・・古井戸

28.さなえちゃん・・・・古井戸

 

題名を並べただけで、
歴史を感じます。

昨日
美術館鑑賞後
聴いてみました。
合わせて
SECONDも全部ではないが聴いてみました。

総合図書館で
「唄の市 第一集」を見なければ
聴けませんでした。
第一集を聴けたことに感謝しなければ。

佐渡山豊さんなどの歌は
3・11以後を経験してからは
素直に聴ける。

 

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愚庵と桜・・・・・松ヶ岡公園の桜

2013-04-03 10:19:51 | なるほど歴史塾

天田愚庵の像
明治二十六年九月二十日
西国三十三か所巡礼に出た時の姿を像にしたものです。


松ヶ岡公園下にあります
天田愚庵邸です。


様々な石碑が立てられて
愚庵の業績が偲ばれます。


業績が彫られている石碑です。


和歌が彫られ桜とマッチしていました。


愚庵も石碑に。


正岡子規との関係が偲ばれる柿の木です。


愚庵邸の庭の模様です。


違う角度から見てみました。


愚庵と桜が見えるところから。


愚庵邸周りの桜をランダムに載せてみました。


一昨日の好天の日でした。


きれいでした。


市民の皆さんも愚庵邸を。


池を挟んで桜が満開。
暖かい南側の桜は満開。


一月二十八日の大國魂神社社報 163号
山名先生が「橿原宮(かしはらのみや)の愚庵」と題して
順礼日記に
十一月八日に神武天皇陵に詣でていることが書かれています。

二月に一度
この記事を読んでから愚庵を撮影しました。
ブログに載せられなかったので
一昨日
愚庵は桜が似合うのではと思い
好天でもあり馳せ参じました。

三年前
なるほど歴史塾では
一年間(十三か月)「順礼日記」を
講師は
山名先生で学びました。


正岡子規に影響を与えたといわれますが
「庵」が松ヶ岡公園にあるにもかかわらず
意外と市民は知らなかった。
聞いてみたところ
八割は知らなかったり正確ではなかった。

八橋検校と間違う方が多かった。

学んだ中で一番感じたことは
明治の「廃仏毀釈」の真っただ中
その当時の日本の姿を書き残し、
日清戦争前年の日本の危機の時代に
三か月、四百里の旅をつづけながら
見つめた日本の荒廃した姿が
今の日本の状況に瓜二つではないのかというのを感じた
一年でした。

それで
その一年は
愚庵関係の書を手あたり次第読みました。
まだ受験生活に入っていなかったので…

以下は
愚庵邸に書かれているものを載せてみました。
書き間違いのところもあると思います。

愚庵邸・・・いわき市平字古鍛冶町127

天田愚庵は
安政元年(1854年)7月20日磐城平藩主・安藤信正の家臣・天田兵太夫の五男として生まれた。
明治元年(1868年)15歳で戊辰の役に出陣中、父母妹が行方不明となる。

以後20年間肉親を捜して全国を回った。
その間、山岡鉄舟の知遇を得て
また一時、清水次郎長(山本長五郎)の養子となり、
「東海遊侠伝」を出版。
それがその後の「次郎長もの」の種本となった。
明治二十年五郎三十歳の時仏門に入り鉄眼と号した。

明治三十五年京都清水に庵を結んで「愚庵」と名乗った。

愚庵は
漢詩において異彩を放ったばかりでなく
万葉調の歌人として優れ、
正岡子規に大きな影響を与えたことでも有名です。

柿の木の由来もその一つです。

明治三十七年(1904年)一月十七日京都伏見桃山で没した。
享年五十一歳。
その旧居が昭和四十一年ここに移築され復元された。
・・・いわき教育委員会の看板から。


天田愚庵像・・・作者:日展会友 小滝勝平氏

天田五郎は
明治二十年出家、法名は鉄眼と称した。三十四歳であった。

明治三十五年春、京都・清水寺に登る産寧坂に庵を結び、
庵室も自分も「愚庵」と称した。

ここを
正岡子規と高浜虚子が訪ねたのは十一月のことであった。

明治二十六年元・養父清水次郎長の死去もあり、
かねてからの念願であった父母菩提と衆生血縁のため、
秋の彼岸入り日・九月二十日に、西国三十三ヶ所巡礼の旅に出た。
この立像は
その時の姿そのものである。

道順は、
まず伊勢神宮と熊野三社に参詣、
その後は番号順に三十三ヵ所の霊場を巡った。
十二月二十一日帰庵した。
里程約四百余里に及ぶ巡礼の旅であった。

「順礼日記」
この時のもので、
漢詩二十六編、和歌三十三を含め名文で綴られ、
「明治の奥の細道」と称賛されている。

 

柿の木の由来

明治三十年、
京都・産寧坂の愚庵の庵に長いこと滞在した桂湖村が帰京する時、
園中の柿(つりがね)十五と松茸を彼に託して、子規の病床へ届けた。

その時、
子規は俳句をものし、礼状と共に届けようとしたが、投函が遅れた。

愚庵は、
子規からの便りのないことを怪しんで、湖村への便りに次の一首を加えた。

まさをかは まさきくてあるか かきのみの

        あまきともいはず しぶきともいはず

 湖村は、
これを子規に示した。子規は、早速愚案庵宛に書簡を書いた。

この内容は、
先ず愚庵の歌について、ひときわ目立っていることをうらやましく思うと評価し、
六首の歌を書き送った。

これは、
子規の従来の歌とは明瞭に一線を画し得るもので、
歌人の産声とも聞こえるものである。

みほとけに そなえし柿の あまりつらん

           我にぞたびし 十あまり五つ

柿の実の あまさもありぬ かきのみの

           渋きもありぬ しぶきぞうまき

子規の短歌への移行が明らかで、
一つの転機と捉えることができる。

産寧坂・愚案の木は既にない。
この木のいわれを絶やさぬため、
実生して育てられたのがこの柿の木で、
中柴邸(平・仲間町)より移植されたものである。

愚庵と子規のエピソードである。
子規が短歌革新を進める過程が垣間見られると。

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