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shimaの趣味的生活 -since2006- 人はパンのみに生きるにあらず

国営ひたち海浜公園にある 「みはらしの丘」 を青一色に染めるネモフィラ。 (2010年5月1日撮影)

JR東京駅 八重洲口周辺を散策。その後、東京駅八重洲地下街で同期会。

2025-04-18 | 名所・旧跡・史跡

昨日、久々に定年前に所属していた会社の同期会がありました。(・・・といっても二人飲みですが。)

いつも通り、東京駅八重洲地下街で昼飲みです。

待ち合わせまで 少々時間があったので八重洲口周辺を散策してきました。

ここに来ると、昨年の同時期に御紹介したオランダ人航海士ヤン・ヨーステンを思い出します。

ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(Jan Joosten van Lodensteyn)〈Lodensteijn〉。

「ヤン・ヨーステン」は名で、姓は「ファン・ローデンステイン」だそうです。

ヤン・ヨーステンは、オランダ南西部の都市デルフトのヨースト・ヤンシュ・ファン・ローデンステイン と バルベルティ・ピーテルス夫妻の間に生まれました。ヨーステンは「ヨーストの子」の意味。デルフトの有力者、ファン・ローデンステイン家の一族でした。

「八重洲」の地名は、彼に由来しています。

八重洲中央口から伸びる「八重洲通り」の中央分離帯に 日蘭修好380周年を記念し 両国の架け橋となった「ヤン・ヨーステン」の記念碑が置かれていました。

記念碑の左側がヤン・ヨーステン、右側が漂着したオランダ船リーフデ号です。

 

(上記画像碑文)

                                             日蘭修好380周年記念

                                             ヤン・ヨーステン記念碑

 二つの羅針盤の輪が天球儀の形に組み合わされています。羅針盤は、当時世界をリードしていたオランダの航海技術の象徴であり、また天球儀は“時”の象徴でもあります。
 左側の頭部がヤン・ヨーステン像、右側の帆船が日本漂着の際、彼が乗り組んでいたとされるオランダ船リーフデ号です。中央上部には当時のオランダの国策会社東インド会社のマークが置かれています。中央下部の図柄は、古地図で方角を示すのに使われたもので太陽をモチーフにしています。四隅は波=海を図案化したもので、これも古地図にヒントを得ています。

 

(ヤン・ヨーステン)

 

(上記画像碑文)

          ヤン・ヨーステン 1557頃~1623
1600年(慶長5年)、オランダ船リーフデ号でウイリアム・アダムスらと豊後に漂着した。そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。彼の江戸屋敷は現在の和田倉門~日比谷間の内濠の沿岸に与えられ、この地が彼の名にちなんで八代洲河岸(やよすかし)と呼ばれて、明治まで続いた。現在は中央区の八重洲としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っている。
             ヤン・ヨーステン像:オランダ人  L.P.ブラート作

 

(オランダ船リーフデ号)

 

(上記画像碑文)

日本とオランダの関係は、ウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの来航によって始まった。1609年(慶長14年) 平戸にオランダ商館が設立され(後に長崎に移る)、鎖国時代の日本のヨーロッパに対する唯一の窓口になり続けた。オランダがもたらした学術・文物が日本に与えた影響は大きく、明治以後の日本近代化の大きな礎になった。とくに中央区とオランダとの歴史的な関係も深く、日蘭修好380周年を記念してここにモニュメントを設置し、永久にこの友好を保存するものである。
         1980年4月20日  東京都中央区

 

 

(長崎県のハウステンボスで展示されているオランダの造船所で復元されたリーフデ号のレプリカ)

排水量 300トン
推進器 3本マスト
乗組員 100人
その他 兵装:18砲門

 

八重洲中央口から徒歩5分程の距離でした。

 

八重洲地下街にある 居酒屋「やえす初藤」で昼飲み同期会です。

最終的に店を3件はしご酒です。

時間を忘れて よく飲み、よく語らいました。

 


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