新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

ご先祖さま

2011-08-05 | 宗教
ご先祖は誰にでも存在する。
ご先祖を尊ぶのは人間として当然のことである。
ご先祖なしには現在の自分もあり得ないからである。

さて、ご先祖を敬うのとご先祖の霊を敬うのは、似て非なることである。

まず、ご先祖の霊といふのはどのやうに存在するのであらうか。

仏教は基本的に輪廻説を前提とする。
人は、あるいは生き物は、死ぬと生前の生き方「業」に応じてその行く先が決まる。
行く先は、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の6種類あり、これを六道という。
死ぬと、「中陰」または「中有」といふ宙ぶらりんな状態になり、7日ごとに裁判にかけられ、7回目で結審する。

つまり七七四十九日目に来世が決まるわけで、いわゆる四十九日はこれに由来する。
なので、四十九日を過ぎた時点で、死者は生まれ変わって(人間に生まれるとは限らない)次の生命を得たことになるので、その時点で「霊」といふものは存在しないことになる。
まあ、虫けらや動物になってゐる可能性はありますがね。

すると、先祖の霊とはなんだ?ということになる。
まあ拝むのは勝手だが、理論上存在しないものを拝んでどうするのか。

最初に述べたやうに、先祖の存在に感謝するのはわかる。意味がある。大事なことだ。
が、それが「霊」となると、「?」である。
よって、「ご先祖様が守ってくださっている」という言い方も「?」である。
まして、ご先祖様を拝まないとバチが当たるよ、とかいう話になると「???」ぐらいにはなる。

ご先祖様の「霊」を大切にするためには、「来世説」を切り捨てる、すると当然「前世説」も切り捨てる必要が生じ、ひいては結局「輪廻説」を切り捨てることになってくるであろう。

これらの矛盾は、仏教が葬祭儀礼を生業として取り込んだところに端を発するものであるが、その辺の話は、また。

ついでに、「覚者」となり、輪廻の鎖を断ち切り、最終的に涅槃を目指すのが仏教なんだけど、これと上記の考えとどう整合するのか(しないのか)、いずれ改めて考えてみたい。

だいたい「霊」ってなんなんだ?