新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

火葬と土葬

2009-04-03 | 宗教
今は日本で土葬を行っている地域はあるだろうか。
私が大学生のころまでは、私の生まれた福島県いわき市では土葬が残っていたと思う。

何となく、土葬をするのは田舎で、それは古くからの風習でというイメージを持っている方もおられるのではないか。
あるいは、明治以降、近代国家としての歩みの中で土葬という風習も廃れたり、あるいは禁止されていったというイメージはないだろうか。

私が「明治時代になってから政府が火葬禁止令を出したことがあるんだよ」と言うと、多くの人が驚いた顔をしたものである。

これは本当の話で、1873年(明治6年)7月に明治政府は火葬禁止令を出している。

明治維新の行きすぎた神仏分離政策により、各地で仏教弾圧や廃仏毀釈が行われたことは有名だが、これには平田篤胤などの復古神道の影響もあり、神道を国教化しようという明治政府のもくろみがあった。ついでにいうとキリスト教も初め明治新政府は禁止したのである。火葬禁止令もその一環として出された。なんとなれば、火葬とは仏式の葬法であり、神国日本にはふさわしくないという理由である。

葬式に限っては仏教が深く根づいていた国民は大混乱した。政府は神道式の葬法を推奨したものの、国民全体に普及するには至らず、結局政府も2年後には火葬禁止令を撤回せざるを得なかった。

この混乱ぶりを伝える話として、大都会では急激な墓地不足となり、郊外の土葬用墓地に向かう大八車同士が衝突し、遺体が棺から飛び出したなんて騒ぎもあったそうである。

また「先祖代々仏式で葬って極楽に送ってきたのに、神国になったことで、新しい死者はどこに送ってやればいいのか。あの世で一人で寂しくないのか」という嘆きの声もあったそうな。

明治政府が必ずしも初めから西欧的な近代国家の道を歩んでいったわけではなく、結構強引な試行錯誤や時代錯誤もあったことを物語る話である。土葬が古く火葬が新しいわけでもなく、明治維新より前に最も普及していた葬法は火葬だった。

葬式仏教を批判するのは簡単だが、仏教と葬式には日本人の宗教心に根ざした深い関係があることを物語っているように思う。