朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

夜も昼も、目を注ぎ、見守り、聞いて、導いて下さるのだそうです。あの方。

2015-07-06 22:59:58 | 聖書から
夜も昼もこの神殿に、
この所に御目を注いでください。
ここはあなたが、「わたしの名をとどめる」と
仰せになった所です。列王記上8:29

 キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。
もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、
私たちこそ神の家なのです。ヘブル書3:6

      (ローズンゲン日々の聖句7/7;火)
 神殿、それは天の神、主が住まわれるところ。
しかし、壮麗をきわめたソロモンの神殿においてさえ、
ソロモン王自身が言っているように、
「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。
実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。
まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです」、
なのですね。
 それなのに、天の神、主は、
私たち人間の一人一人をイエスの十字架刑での処刑において
聖いものとみなし、
一人一人に、
もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を派遣して、
私たち一人一人の内に聖である霊と呼ばれる方が
お住みになるようにして下さるのだそうです。
私たち一人一人を、聖である霊と呼ばれる方の神殿とされる
というのですね。
 私たち、人間は、天の神、主、
父である神と呼ばれる方、御子である神と呼ばれる方、
聖である霊と呼ばれる方が、
それぞれ、全知であり、全能であり、
永遠・不変の方でありながら、
愛と尊敬のゆえに、自発的に、自分から進んで、
心を明かし合い、思いを一つにし合い、
行動を一つにしておられる、
その一つに加わる者をと望まれて
創造されたものなのだそうですが(創世記1:26)、
最初の人アダムは、
天の神、主と一つになっていることでは満足せず、
神のようになり、善悪を知る者になろうとし(創世記3:5)、
神の一人のように善悪を知る者となり(創世記3:22)、
天の神、主に対抗して、自分の善悪の判断をおし進め、
自分が一番上に立ち、自分一人がすべての良いものを独占し、
自分の判断のとおりに他を従わせようとする者になったのだそうです。
それで、自分よりも優れた者に対しては、
これを妬み、これを憎み、殺す者となったようです(創世記4:1~8、23~24)。
 そのように、創造の目的から大きく外れてしまった私たち人間ですから、
ちょうど、陶器製作者が、思ったとおりに出来なかった陶器を
投げ捨て打ち砕いて、廃棄処分にするように、
私たちも廃棄処分になり、ゲヘナ(ベンヒンノムの谷、エルサレムから出るごみの焼却場)で、生ごみとして焼却処分されても当然の者なのに、
天の神、主は、なお、私たち人間を惜しんで、
私たちがご自分と思いを一つにする者になるようにと、
ご自身の側で一方的に、道を開いて下さったのだそうです。
 まず、聖である方が私たちに触れても、
私たちが、この外れのゆえに滅びてしまわないようにと、
御子である神と呼ばれる方を人間イエスとして人の世に生まれさせ、
この方がおよそ33歳の頃、この方を十字架刑で処刑して、
私たち人間のそむきの罪を処罰したものとの手続きを済ませて下さり、
聖である霊と呼ばれる方が触れられても
私たちが滅びてしまわないようにして下さった上で、
約束の言葉のとおりに、
聖である霊と呼ばれる方を派遣して下さって、
私たち人間のひとり一人の内に住まわせて下さり、
この方によって、ご自身の思いを私たち一人一人の心に
書き記して下さって、
私たちがご自身と思いを一つにして生きる者にとして下さるのだそうです(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26~27、ヨハネ17:21~23)。
 聖である霊と呼ばれる方が住まわれる神殿、
神の宮となった私たち一人一人に、
天の神、主は、夜も昼も目を注ぎ、見守っていて下さり、
私たちの呼びかける声を聞いて下さり、
導いて下さるのだそうですね。
今日も。


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平和な存在にしていただけるのだそうです。私たちも。

2015-07-06 05:55:32 | 聖書から
平和、平和、
遠くにいる者にも近くにいる者にも。
わたしは彼をいやす、と主は言われる。イザヤ書57:19



 キリストは
私たちの平和であります。エフェソ書2:14




          (ローズンゲン日々の聖句7/6;月)




 いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、
その名を聖ととなえられる方が、
心砕かれて、
へりくだった人とともに住んで下さるのだそうです。


 へりくだった人の霊を生かし、
砕かれた人の心を生かすために。




 私たち人間のむさぼりの罪のために、
あの方は、怒って私たちを打ち、
顔を隠して怒られたのだそうですが、
私たち人間は、なおそむいて、
あの方の御思いに心寄せることなく、
自分の思う道を行くばかりなのですね。




 その、そむきくばかりの私たち人間の姿を見られて、
天の神、主は言われるのだそうです。
「彼をいやそう。
わたしから出る霊と、わたしが造ったたましいが
衰え果てるから」(イザヤ57:15~18)と。




 私たち人間をいやし、平和を持つ者にするために、
天の神、主は、永遠の昔から共におられ、
共に天地創造に携わり、
この世界を支えておられる方、独り子である神と呼ばれる方を
人間イエスとして人間の世に送り、
この方を十字架刑で処刑することで
私たち人間のそむきの罪を処罰が終わったものとし、
そのうえで、もう一人の助け主、
聖である霊と呼ばれる方を、
受け入れる者の内に派遣して下さって、
この方の働きによって、
天の神、主の、私たち一人一人に関わる御思いを、
私たち一人一人、それぞれの心に書き記して下さって、
私たちを、天の神、主と心を通わせる者、
一つ思いを持つ者、
平和な関係を持つ者としていやし、生かして下さるのだそうです。




 この方によって私たちは、天の父と呼ばれる方の御前に、
このままで、はばかることなく
出て行けるようにしていただけるのだそうです(エフェソ2:18)。
「天の父よ」と呼ぶことができる身分にしていただいて。
今日も。










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