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イレル=エルランジェ「曼華鏡の旅」第二章



第二章


ジョエル・ジョーズが
伯爵夫人ヴェラに
宛てた手紙


19**年5月11日、土曜、朝

ヴェラ、ヴェラ! お返事をください! どうか見捨てないでください! たった一言。しるしのひとつでも。数秒のお時間を……お願いいたします……貴女はすばらしく秀でた、気高いお方だ。そのすぐれた技芸ひとつとってみても、貴女は凡俗のはるかに及ばぬ高みにおいでです。見かけに惑わされるとはなんという愚の骨頂でしょう。いや違う。どうかお話しさせてください……ひと目会わせてください。ことは緊急を要するのです……ああ! ヴェラ、貴女の沈黙が。貴女の不在が。私の手紙──いったいどんな手紙を、何通書いたことか──あの怖ろしい晩から、返事をもらえないまま。貴女のところへは電話もつながりません。私は気が狂ってしまいます……なんということでしょう。貴女はおそらく私の気が狂ったと思われることでしょうね。ほかのだれそれみたいに、あ な た もそう思われますか? いえいえ、ありえないことです! 私は貴女とお話しする 必 要 があります。そうすればすぐにお分りになるでしょう。私はいまでも貴女に高く買われる価値のある人間です。貴女に愛想尽かしをされるなんて我慢がなりません。ヴェラ、あ な た は私の話を聴かねば な り ま せ ん。ぜひともそうすべきだ。いえ、そうしてくださるようお願いします……

次のことをよく肝にお銘じになってください。火曜の晩に起ったことは「驚くべきこと」です。これは確かなことですよ、ヴェラ、誓ってそう申し上げます。あ の ス ク リ ー ン に は 何 も 映 っ て い な か っ た わ け で は な い の で す!

どうか至急お返事ください
貴女の哀れな下僕こと
ジョエル・ジョーズ



同じ人より同じ人へ


土曜、晩

私はけさ自分の気送管送達便によって よ う や く 貴女に必要かつ至急のお返事を請うたつもりでおりました。しかしいまのところ私は何も受け取っていません。とにもかくにも、緊 急 に お会いしなければなりません。そ れ が ど う し て も 必 要 な の で す。考えてもみてください、ヴェラ、貴女にも責任がおありなんですよ。それもきわめて大きな部分において 責 任 がおありなんです。──私をいても立ってもいられない気持にさせるのは、自分が失敗したことではなく、貴女が遠くへ行ってしまわれたことなのです。

ど う し て も 貴女にもう一度お会いしなければなりません。しかも即刻にです。重大なことなのです。きわめて重大なことなのです。私の命にかかわることです。きっと貴女は後悔することになりますよ……

まあちょっと思い出してみてください。飽くことを知らぬ男、神のごとき予見に取り憑かれた研究者のことを。……貴女は信じてくださいましたね。仮面をひっぺがしてやろうなどという考えはこれぽっちもお持ちじゃありませんでしたね。人を貶して喜ぶような心情はまだ貴女には無縁だったのです。たしかにそうだ、貴女は私の「霊感」を鼻であしらったりはなさいませんでした。それどころか、貴女は私のなかにある「超自然的啓示」の反映を喜んでくださったのです。あのころは貴女は「しるし」を傍らに見て歩きながらそれに盲目である、なんてことはなかったのでした。

ところがいまになって、「社交界」のめんめんにちやほやされたり、そこで空しい栄光を得たりした結果、貴女はひどく下司ばった賛同のうちにあってぬくぬくしながらいい気になっている、というわけですか。なんという情けないことでしょう!

貴女が私の人生のなかに入ってこられたとき、私はいわば世捨人みたいなものでした。信念にあふれた、がまんづよい世捨人ですけどね。そこでまず私が信じたのは──思えば愚かな話ですが──自分の「理想」に貴女が興味をお持ちになったのではないか、ということです。貴女がご自身以外のものにも興味を抱くことがあるのではないか。貴女の天才そのものが、貴女にとって征服のための手段以外の何物かなのではないか、とね。

私は知らずしらずのうちに支配され、酔わされていたのです。私は良心というものを失くしてしまいました。自分の力の根源である「彼方」への信念も失ってしまったのです。

私の仕事の無頓着ぶりに対して、貴女はなんという人を魅了するような、それでいて意気粗相させるような微笑をもらされたことでしょう。

溢れんばかりの思いで、私が心の底から貴女に語っていたのは、「類比」「照応」「転換性」といったことどもでした……

そして貴女は、ご自身ではほとんど何もおっしゃらぬまま、「支配」「快楽」といったことどもを喚びさまし、応答されていたのでした……

そこで私はだらしなく貴女にすっかり兜を脱いでしまったというわけです……

それからというもの、私は貴女の存在こそが私の労作のご褒美であると固く信じこんでしまいました。問答無用のご褒美。それを要求するのはあまりにも畏れ多いことです。と同時に、みずからの欲望を満たすためならあらゆるものを犠牲にしてもかまわない、というほどの、あの仮借なき暴虐をもってしなければ手に入れられないご褒美でもあります。私は貴女を喜ばせるために、あえて道化になる道を選びました。そして自分の「思想」のあちらを切りこちらを落とし、とうとうそれをひねこびた寸法にまで縮めてしまったのです。それはまるで失墜した断片的な一世界、不純な威信への屈従、地に落ちた市場価値、ありとあらゆる妥協の産物、といった観を呈しました。

貴女の歓心を買うために、ヴェラ、私は「熱誠」を空騒ぎに換えてしまったのです。長いことかかってやってきた精密な研究を、私は実用に適するように向け換えました。そして貴女の嗜好からすればあまりにも厳正で簡素にみえる「絶対」の相貌のかわりに、私は貴女の空想から生まれる幻影のすべてを捕捉しようとしたのです。

そしていまや、あ な た が 望 み 、か つ 命 じ た 実験のあとになって、私に対する反感に満ちた状況のうちに、軽はずみな観衆を前にして、──貴女は私の手の届かないところへ行っておしまいになりました、まるであの晩に 私 が 見 た も の のことなどけっして知りえない愚かな大衆の意見に盲従するかのように。

私はそれを貴女お一人にだけお見せしましょう。

お急ぎください。もう時間がないのです。私は絶望的な気持になっています。

貴女の御下命を心からお待ち申し上げます。


J.J.


この手紙は郵便で出すことにします。そのほうが早く届くと思うからです



同じ人から同じ人へ


5月12日、日曜、朝

お返事はまだですか?

まったくひどい方ですね! 私は貴女が憎い。ぞっとするほど厭な人だ。貴女という人がようやっとわかりましたよ!

よ う や っ と ありのままの貴女を見ることができるようになりました。下品で、尊大で、獰猛で、はねっかえりで、業突く張りで、金の亡者で、ごてごて趣味の、俗臭芬々たるしろものだったのですね!

恥を知らない婦人よ、私は復讐します。気をつけていらっしゃい。私のような目にあった人間の復讐は怖ろしいものになるかも し れ ま せ ん よ。そしてもし私が──近いうちに──死ぬようなことがあったとしても、それは貴女の死を見届けた上でのことでしょう……


J.



同じ人から同じ人へ

日曜、正午

すみませんでした。お許しください。頭が変になっていたのです。這いつくばって貴女の足元の埃に接吻いたします。貴女には些少の落ち度もありません。そういうめぐり合わせだったのです。しかし私のことは分っていただきたい。貴女は分ってくださることと信じております。すぐにでも私の話を聞いてくださいませんかね。そうすれば一切の疑問は氷解することでしょう。……たったの三分でいいのです。三秒でも。明日の二時にお宅に伺うことにします。──どうかめんどくさがらずにご対応ください。どうも貴女は手紙を書くのがお嫌いのようなので。まあそれももっともなことではありますが。

尊敬と賛美とをこめて

貴女のものたる

ジョエル・ジョーズ



ジョエル・ジョーズ宛ての手紙

彼が郵送した最後の手紙に対する至急の返信


モンテーニュ街
5月12日、日曜、1時


前略。
伯爵夫人ヴェラは、先達ての火曜の醜聞のせいで神経に激甚な衝撃を被り、今後もしばらくは一切の面会をお断りせざるを得ない容態です。そして伯爵夫人は貴方が節度をお弁えになり、無用に彼女を疲労させることをいっさいお控えくださることを信じております。いまのところ、たとえ手紙であっても、ものを読むことは医師の固く禁ずるところとなっております。
如上の次第ですので、何卒宜しくお願いいたします。

伯爵夫人ヴェラの代理人

秘書

X.



新聞の切り抜き


19**年5月13日、月曜、朝

昨夜、われらが比類なき伯爵夫人ヴェラは、その壮麗な邸宅に作られた私設劇場にごく内輪の人々を招いて、身振り付の独白劇「テオファノ」(ビザンチン情景)のプレヴューを行った。この劇は今週ミューズ座にて再演されることになっている。
われらが天才的な「芸術家」、常にもまさるその眩惑的な輝き、等、等、等 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
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