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イレル=エルランジェ「曼華鏡の旅」第一章

第一章


19**年5月8日付の朝刊各紙は、ゴチック体の大見出しのもとに、下記の記事をこぞって転載した。


ぺてん師か狂人か?

「科学の夕べ」における
大珍件
発明家ジョエル・ジョーズの
失踪
──

昨夜、百万長者の舞踏家、高名かつ美貌の世俗芸術家としてヨーロッパはもとより南北アメリカにまで絶大なる人気を誇る伯爵夫人ヴェラは、モンテーニュ街の壮麗な邸宅で、とある会合を開いたが、その魅力あふれる光輝の目的はといえば、ある新発明をお披露目することにあった。

しばらく前から、公衆ならびにジャーナリズムの注目はジョエル・ジョーズ氏の上に集まっていた。この奇妙な男──何人かの熱狂的な支持者は天才と呼ぶが──はきわめて現代的な発明家で、彼が「曼華鏡」と名づけるところの光学器械の考案者なのである。

急いで注釈を加えておくが、ジョーズ氏の「美しき映像」は、何世代にもわたって子供のお気に入りのおもちゃになっている昔ながらの万華鏡とは何の関係もない。万華鏡とは、ひとも知るとおり、ニスを塗ったご大層な紙の筒のことで、中には色をつけたガラス片のうちに動く小さい薔薇窓が隠されている。

遺憾ながらジョエル・ジョーズ氏の発明はもっと複雑怪奇なものだ。

この新式の曼華鏡の考案者はいかなる人物かというに、年はおよそ三十歳、色は黒く、筋骨たくましく、鷲鼻で、顔はきれいに剃ってある。思いつめたような、あくのつよい、独特の風貌の持主で、長年にわたって隠秘学の研究に没頭している。

とはいうものの、この人物にはその知的能力の十全さを楽しんでいるようなところがある。一年ほど前から彼は「彼方」に関するやくたいもない探求を断念して、曼華鏡の完成にひたすらこれ努めてきたというわけだ。

形質のうえからいえば、曼華鏡は一種の映写機であり、その独自の手法によって、「宇宙」の新たなヴィジョンを観るものに再生してくれる装置らしい。

ジョエル氏は下記のような、ひどくうさんくさい、思慮ある人々の肩をすくめさせるにじゅうぶんな原理を出発点にしている。すなわち、「吾人が目にしていると信じている「宇宙」は、その真正の姿とは似ても似つかないものである。吾人に見えるもの、見ることができるものは吾人の内部にあるものだけだ」という原理である。

いったんそうときまれば、この天才的な発明家にとってことは単純明快である。つまり個々の生き物の瞳に映る可視的なものを片っ端からつかまえてきて、それらを彼独自の方法で凝縮し、定着させ、圧縮し、さらに目のくらむような驚くべき方式によってそこから科学的綜合を獲得するだけでよい。そうすれば、それらの映像は、スクリーンに映し出されるやいなや、ただちに「動く隠喩」となって現出するであろう。ジョエル・ジョーズ氏はこの映写にひどく風変りな名前をつけている。すなわち、
         
             「曼華鏡の旅」

である。

得体の知れない液体や、塩や、貴金属によって装置そのもののなかで変形された「映像」は、白金色の円錐形の練香の形となって凝集し、それが今度は無数の体験を提供するのに一役買うのである。

というわけで、ひとはおのがじし自分の傾向に従って、万物の「隠された意味」を発見することになる。この隠された意味は相対的なものだが、「もう一つのものの見方」との比較によって、その絶対的意味にまで遡ってわれわれに開示されるであろう。

ひとことでいえば、一種の超越論的=諧謔的な物理化学における個人と集団との融合、すなわち「視向の交換から生じる調和」である!

例をあげれば、「知者」はこの「世界」を象形文字や方程式や幾何学図形に還元する。そして彼は、さまざまな事蹟の宇宙的パノラマ(コスモラマ)を提供してくれる「建築家」の理想に対して、みずからの理想を位置づけることを得るだろう。──「彫刻家」や「仕立屋」や「拳闘家」や「運転手」や「政治的人間」や、あれやこれやの職掌の曼華鏡による翻訳は、それらおのおのの社会的地位の紋章と配慮とを想起させるであろう。そして、たんなる「愛好家」だけが、いたるところに驚くべく辛辣な類比の鍵を見出すであろう。

この摩訶不思議な所与に従えば、ちょうどトゥルネル橋におけるセーヌ河の最低水準を測るような具合に、「閲覧者」が高いものと低いものとを監視する日もそう遠い先のことではないと仮定してもよい。また「新聞記者」はといえば、「地球」がミル・フイユ(千枚の紙)に変容して「大衆」のむさぼり食らうところとなるのを見る喜びをもつであろう。

しかし、無駄話はこのくらいにして、読者諸賢のために確認しておけば、おのが奇矯な発明を称えるにたくみなジョーズ氏は、われわれのこの「惑星」をもう一度創造してみせよう、とこともなげにいってのけたのである。

彼によると、いかなるものもその正しい位置および現実の形態において存在してはおらず、おのおのはいまある時間において、また日常のあらゆる行為において、誠意を尽くしながらも自己欺瞞に陥っているのである。

しかし今後は、この驚嘆すべき曼華鏡さえあれば、ほんの一瞥、いっときの映写だけで、あらゆるところから「真理」がわれわれの上に基礎づけられるに十分なのである。それからただちに次のことが生じる、すなわち良き判断、相互理解、平等、新たな面における社会的秩序などが。ここからして万人の幸福が五月の鈴蘭のように咲き出づるであろう、われわれの持分たる、梃子でも動かぬ精神、過度に内向的な霊魂の上にえもいわれぬ至福の香りを漂わせながら! 体のよい思い上がりよ、社会転覆のユートピアよ、そこから生まれるのは、共通感覚を欠いた幻視者の混乱のほかにはありえないのだ。

巧妙になされた広告のおかげで、ジョエル・ジョーズ氏は世界の五大州とこの上なく有利な条件で貿易市場を流通させるところまでこぎつけたし、またアメリカ、オーストラリア、日本で一連の映写=講演会を行うという羨むべき契約にサインする手筈も整っていた。

しかし、異論の余地なく、ジョーズ氏にとってもっとも有力な切札ともいうべきものは、彼の仕事が、われらが伯爵夫人ヴェラの興味を惹いたことである。しばしば「比類なき婦人」と謳われるこの伯爵夫人は、その財産、美貌、社会的地位によってもたらされる贅沢や閑暇だけで満足することなく、ロイ・フラーやイサドラ・ダンカンやイダ・ルビンシュテインのように、偉大なる舞踏芸術を刷新することを望み、またそうするだけの能力をもっていた。

伯爵夫人ヴェラは、どんな分野であれ、卓越した新しい才能の持主ならばだれかれの嫌いなく、みずからの栄光の輝かしい圏内へと気前よく招待する。大胆で、博大で、変化に富んだ、ほとんど奇蹟的といってもいい天才の持主である伯爵夫人は、考えられるかぎりの多様な交際を熱烈に歓迎するのだ。彼女の美的趣味と同じく、その取り巻きもまた非凡なものである。

それだから、この霊感の母である婦人がみずからの邸宅で曼華鏡とその考案者とのお披露目をすると発表するやいなや、いかなる共感的な好奇心の電流が社会の選良のあいだに流れたかはいわずもがなであろう。

昨夜、十時の鐘とともに、選ばれた一群の人々がモンテーニュ街の豪華なサロンに集結した。

招待客のなかには次のような人々もいた。

コロマンデル大使閣下、ダキテーヌ侯爵夫妻、トロカデロ王子ならびに王女、デナント夫人、ブラジュロンヌ子爵、ラヴィオリ伯爵夫人、翰林院会員モレ氏、翰林院会員ブランケット氏、ゲートル教授夫妻、ステンハイマー男爵夫人、グッタペルシャ侯爵夫妻、ヴェルニー=マルタン氏夫妻、ヴァン・ピール男爵、グレゴワール・ボンデック夫人(旧姓フィチーニ)、パノンソー氏夫妻、等、等。

記録機であるとともに映写機でもある装置は、金属製のがっしりした航海用双眼鏡といった外観で、鉄製の脚がついている。これを手短に紹介してから、ジョーズ氏はさしたる感動の色も浮べずに、実験者と主題との選択を彼の華やかな会衆に願いでた。

伯爵夫人ヴェラは、招待客の名にかけて、ジョーズ氏がじきじきに操作にあたるよう求め、主題として栄光および優雅、これらはいずれも伯爵夫人の目に映じたものだが、この二つを取り上げた。

ジョーズ氏は短い言葉で感謝と承諾の意を表してから、集まった人々をじろりと見まわしたが、人々のほうではおもしろがって彼の一挙一動を目で追っていた。

ここまでは何も変ったところはなく、表向きのプログラムどおりに進行していた。

ところがこのとき急に議事が乱れ、嵐のような乱痴気騒ぎが持ち上がるのである。

五分ばかり、目の前のみごとな活人画をじろじろ眺めていたジョーズ氏は、やがてまさに稼動せんとしている曼華鏡の二組のレンズに注意を向けたが、この装置はその場で得られた視覚の配置転換を登記することになっていた。

明りが消された。何も映っていないスクリーンが、ぽつんと、白く、謎めいた様子で現れた。待つこと数秒。静まりかえった室内に装置の規則的なシャッター音だけが響く。さらに数分。長引く沈黙。苛立ち。闇に嵌め込まれたような白いスクリーンを照らす電気の光芒だけが、死んだ目の上の角膜瘢痕のように物悲しく。

突如として上がる不安の叫び

──どうしたの?

伯爵夫人ヴェラが訊ねる。

同時に、けたたましい、気違いじみた叫び声が、曼華鏡のそばの、ジョエル・ジョーズ氏しかいるはずのない場所から

そして彼は恐怖にかられて怒鳴る

──明りをつけてくれ! 明りを!

すぐさま明りがつけられる

鬼気迫る光景。そこには偽発明家が、青白い顔をして、歯の根もあわず、ふるえながら、あっけにとられた聴衆とヴェラ伯爵夫人とに、幻でもみているような目で訴えかけ、伯爵夫人は間髪を入れず、正当な苛立ちをもって、このひどい騒擾の原因と間のわるい失態の理由とを訊ねる

この訊問に、ジョエル・ジョーズ氏の狂気の錯乱は頂点に達したようだった。青ざめた顔がまっさおになった。ほとんど癲癇の発作のような身振りで腕をあげると、なかばよろけながら、怖ろしい喘ぎのような声を発して、それから──狂犬のように外へ逃げ去った。

人々はまだ何が起ったのかよく飲み込めず、この突飛な意思表示をどう解釈すべきか決めかねていた。

克己心の塊のような伯爵夫人ヴェラは、その気高い優雅さをもって、この思いもよらぬ醜聞を詫びた。彼女の友人たちはわれがちに彼女のそばへ来ると、口々に熱のこもった共感の意を伝えた。すでに時間が遅くなっていたにもかかわらず、われわれは記事が印刷に回される前に、著名なるゲートル教授と面談する機会をもった。教授はいかにも教師らしい、機知にあふれた言葉でその権威ある意見を手短に述べてくださった──「われわれはいつも不正確な科学の破産に立ち会うのを喜びとしております。ですから、お美しい伯爵夫人よ、このたびはそういった機会を与えてくださったことを貴女に感謝せねばなりますまい」

華麗に設えられたビュッフェ。コスモポリタン・カジノのジャズバンド。タンゴの舞い。ブリッジのテーブル。こういったものがあの幻想の曼華鏡とその情けない発案者との記憶をたちまちのうちに消し去る。

そしてかの輝くばかりに美しい家の女主人公が、待望久しい「テオファノ」の再上演を明くる週に行うつもりだと告げたとき、満座の会衆は彼女に長々と拍手を送った。ちなみにこの驚くべきビザンチン情景の舞踏は、近ごろになって伯爵夫人ヴェラの栄光を決定づけたものである。
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