イタリアンでも食べルッカ

おいしい物と個性豊かな料理人達に囲まれた料理学校での日常記

4月21日・イタリア献血事情

2007-04-22 21:27:56 | 料理学院
4月21日(土曜)

1日部屋で仕事に励もうかとも思ったが、やはり当初の予定通り7時30分発のバスで、朝食もとらずに病院に行く。「人間ドック」でも「内視鏡(胃カメラ)検査」でもなく、本日の目的は献血。日本なら「お食事はすまされましたか?」と聞かれるが、こちらでは逆に朝食抜きで7:00~10:00に行かなくてはいけない。絶食状態で血糖値や血液比重の少なすぎる人からは採血しないシステムなのだ。おまけに成分献血用の機械が1台しかないので、成分献血は電話予約しないと受け付けてもらえない。日本なら実家から10分歩いたところに朝から夕方まで開いている献血センターがあるのになぜわざわざイタリアで献血するかというと、かつてのヤコブ・クロイツェル(狂牛)病の関係で、イタリア(ドイツ、オランダ、フランス、スペイン、etc.)に1980年から2004年にかけて通算6か月以上滞在した人間は、(2007年4月現在いまだに)日本では献血できないのである。一方亡母はかつて大量の輸血のお世話になったため、当家には「恩返しのためなるべく献血する」という家訓?があり、ジレンマに悩んでいたのだが「そうだ、イタリアで献血すれば何の問題もない!」と思いついたという訳である。かてて加えて私の右腕の、注射器の針が差し込まれるべき箇所にはぶっとい血管が2本も「さあ取ってください」といわんばかりにありありと見えており看護婦さんを喜ばせるし、血液型はB型である。それがどーした?
B型というのは日本人の大好きな血液型性格診断では「自己中心的」「わがまま」「変わり者」のレッテルを貼られており、ために世間の風当たりは概して冷たく、まれには採用試験にあたって「B型とAB型の人間は採用しない」という企業すらあるほどだ。ここまでいくと立派な差別であり、私は別に改憲派ではないがもし現行憲法が書き改められる機会があるのなら、第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分、○○○又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」の「マル」部分にはぜひとも「血液型」の3文字を挿入してほしいと思うほどだ。そしてその全文が各国語に翻訳されるに及んで、諸外国も日本人の意識の根底には人種や宗教によらないもうひとつの差別があることを広く認識するするであろう。
話がそれたが、前回の献血時ヒマつぶしに「献血センターだより」的な文書を読んでいたところ、「B型の方はぜひ成分献血に積極的にご協力ください」と書いてあったのが気になりドクターに聞いてみたところ、B型というのは私には理解できないがとにかくある医学上生理学上の理由により成分献血に最適の血液型であり、どの血液型の人にも輸血できる唯一の型らしいのである。ここまで条件が揃っていて、どうして手をこまぬいておられようか。ただし看護婦さんの注射の腕は圧倒的に日本赤十字のほうが上であり、注射針が抜かれたあとには毎回みごとな内出血の青あざが見えるのは困り者だが。
今回はたまたま成分献血用のベッドが空いていたので、血漿(プラズマ)献血初体験。全血献血より体への負担も少ないので「少しくらい歩いても大丈夫ですか」「いいですよ、ただ水分補給をしっかりね」と女医さんのお墨付きをもらい、休憩所でカプチーノとブリオシュ、ビスケットの朝食。ここの担当の看護婦さんも私の顔を覚えていて、「パニーノもあるわよ。ジュースは?多い?だったら持って帰ってどこかで食べなさい」とお弁当を作ってくれる。1キロ歩いて駅で切符の購入。今回の帰国便がボローニャから出るので、そこまでは列車移動になる。特急料金・予約手数料込みで大人料金11.2ユーロ(営業キロ数約175キロ)。ホテルから駅まで(約5キロ)のタクシー代の方が高いではないか。
さらに生協と、雑誌を予約しておいたedicola(新聞雑誌屋)にも寄り、ダンテ『神曲』にも名前の出ているセルキオ川沿いの河川公園のベンチでパニーノの昼食。この日も一日快晴で、気候は5月中旬並み。生協やホームセンター、電化製品量販店、携帯ショップの立ち並ぶ表通りから1本入るとそこはバルビゾン派の絵画に出てきそうな田園地帯。『ブラザーサン・シスタームーン』撮影中のゼッフィレッリ監督が見たら狂喜乱舞しそうなケシ畑もあり、気がついたら少しどころではなくかなり歩いていた。写真撮りにまた来なくちゃ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿