イタリアンでも食べルッカ

おいしい物と個性豊かな料理人達に囲まれた料理学校での日常記

INAさま ブラッコニエーラについて……

2007-11-12 16:39:24 | 料理学院
INAさん、お返事が遅くなりました。メールいただいたのが10月下旬なのに、今頃になってしまってすみません。イノシシの煮込み料理で、「カッチャトーレ(狩人)」風、お友達がネットサーフィン中に見つけた「ブラッコニエーレ(密猟者)」風、それに私のブログに出てきた「cinghiale in umido」がそれぞれどう違うんでしょうかとのことでした。
もし講習で出てきたらぜひ解説を、とありましたが、本科とかかわって13年、家庭料理コースが同10年、「密猟者風」alla bracconiera にはお目にかかったことがなく、これから果たしてお目にかかるかどうかもわかりません。そこでちょうどメールを送る用事があったのを幸い、本科コース講師の先生たちに尋ねてみました。
その前にまずin umidoを処理しておきましょう。Umidoとはつまり「汁気」(英語ならhumid)の中での加熱方法をさすので、私の理解ではいわゆる「煮込み」にあたりますが、汁気といってもそれがワインなら「赤ワイン煮(al vino rosso)」、ミルクなら「ミルク煮(al latte)」と特定され、ブロードの場合は煮るのではなくゆでるとみなすようで「ゆで肉(bollito)」の名で呼ばれますから、そうした料理は省きます。となると結局汁の味を決めるのはだいたいトマトになりますので、in umido=「トマト煮込み」と解しておけばだいたい通用します。
なお狩人にしろ密猟者にしろ従事するのは大半が男性と思われますが、なぜ料理界では男性形のcacciatore、bracconiereでなく語尾が –aの女性形になるかというと、前述のワイン、ミルクのように直接使われる食材ならそのままでいいのですが、「~風」と形容詞的に使われる職業名や地名の場合、「~風」にあたるmaniera(=手法。美術用語でいうマニエリズムはこれが語源)がもともと前置詞aと形容詞の間にあったと考えられるので、たとえば「アマトリーチェ風」ならalla maniera amatriciana → all’amatriciana、「狩人風」ならalla maniera cacciatora → alla cacciatoraとすべて女性名詞manieraに一致して女性形になるからです。

次にその「狩人風」。これも過去に学校でやったことはありますが、イノシシを使ったことは一度もなかったので、座右の書である料理百科事典にあたってみました。それによるとこれは「ひとつの料理法として規定することはできない」「が、大きく(←これが曲者だ)2つに分かれる」そうです。
北イタリアでは、玉ねぎ・トマト・ラルドかパンチェッタ、それに時にキノコが入った煮込みのこと。
中部イタリアでは、にんにく・ローズマリー・ワインビネガーで香りづけがされている。
共通点としては、田舎風のシンプルな調理法。
さて具体的にどんな料理があるのか。ついでだからこの百科事典と、別の郷土料理大全で alla cacciatora のレシピを拾ってみました。使用食材をピックアップしてみるというと、

ノウサギ(ウンブリア):にんにく、ワイン、セージ、ローズマリー、ローリエ。人によりオリーブも。
ビーフステーキ(トスカーナ):玉ねぎ、ワイン、トマトソース、ポルチーニ茸、レモン。
鶏(エミリア=ロマーニャ):玉ねぎ、ワイン、ラルド、パンチェッタ、トマトソース。
鶏(ウンブリア):にんにく、ワイン、ローズマリー。バリエーションとしてアンチョビ、レモン、ケイパーを入れることもある。
鶏とナス(シチリア):にんにく、ワイン、パンチェッタ、トマトソース、とうがらし。
乳飲み小羊(ラツィオ):にんにく、ローズマリー、ワインビネガー、アンチョビ。セージが入るものもある。

と、みごとにバラバラ。どこで2つに分かれるのか、よく分かりませんよね。これこそ「狩人風」の狩人風たるゆえに……と言っていいのかどうか、やり方は一定しないけれど、とにかく玉ねぎ、にんにく、パンチェッタやラルドの塊、ワインなど、田舎ならどこの家にもあり、安価で保存がきき、あるいは回りに自生している材料ばかりで、プロの料理というより家庭料理に近い作り方をする時の言い方だというのがウンベルト先生。もちろんちゃんとしたキッチンで作るのでしょうけど「もし材料を入手した現場で簡単にパッパッと作ったとしたら、きっとこの程度だ」くらいにしか手間をかけない料理は、その主食材が肉なら狩人風、同様にキノコなら木こり風(alla boscaiola)、魚なら漁師風(alla pescatora)あるいは「船乗り風(alla marinara)と名前を変えて呼ばれるのだそうです。これなら、やれどのハーブが要るだの、トマトが入るの入らないの程度の差はでてきて当然。いつ獲物がとれるのかわからないのですから。
それはいいのですが問題は、イノシシ(を含むジビエ)はどの本を見ても「狩人風」で調理されたものが見つからないことです。これはある意味当然で、あんなに臭みやクセがある肉は、少ない材料で調理することはできても、短時間でおいしく仕上げるのはたぶん無理です。須賀敦子さんの著書、たぶん『コルシア書店の仲間たち』だったと思うのですが、あるお金持ちの女性に仕えているサンティーナというメイドが料理の名人で、ある人が仕留めてきたシカだったかカモシカだったかを初めて料理するのに、3日ほどワインに漬け込んでみごとに臭みを抜いてから使ったから、それはすばらしい味だったというエピソードが出てきます。これはブログで紹介した、ジャンルーカの cinghiale in umido とよく似ています。臭み抜きの方法は地方によって違いがあるようで、ストッカフィッソ(干しダラ)を戻すときのように、流水にさらしておく人もいます。いずれにしろ、狩人が一般にやりそうなこととは思えません。
さて講師の先生方に、alla bracconieraと alla cacciatoraについてお尋ねした結果は:
A先生「alla bracconieraという料理法など聞いたことがない。そもそも密猟は非合法な行為である。もしかしたら、(密猟という)手段で入手した肉の料理をそう名づけた店があったのでは」(犯行声明を出すの?大胆不敵な店ですね~)。
B先生「自分はやったことはないが、alla bracconiera も alla cacciatoraも同じものだろうと思う。でもまた何か分かったら知らせるから」(ありがとうございます)。
C先生「alla bracconieraなどというものは、メニューとしては、全国的にも地方料理としても存在しない」(一刀両断という言葉がふさわしい発言だわ)。
D先生「密猟者風という用語は存在しない。ヒマ人の考えた名前だろう。トマトやハーブで煮込むalla cacciatoraと同じ意味だ」。
エンリカ先生「正直な話、聞いたことがないわ。店に来るハンターたちにも聞いてみたけど、誰も知らないって」。
ラファエレ先生、ベアトリーチェ先生、ステファノ先生も「知らない」。
要するに、何かを知っている人は少なく、知っている人は全員(といっても2人だけですけど)「狩人風と同じもの」と言っているんですが、何となく「取り付く島がない」って感じがしますよね。
ただ1人すごく具体的だったのがE先生。「イノシシでもノウサギでもいいが、赤ワインとセージ、ローズマリー、レッドオニオン、にんにく、クローブを加えた中で12時間マリネしておく。肉だけ取り出して炒め、ブロードとトマトソースで煮込むのが狩人風。これにキノコと黒オリーブが入ると密猟者風」。
実に明快だけど、やっぱりこの「狩人風」も既出のin umidoにそっくり。それになぜ「密猟者風」にはキノコとオリーブなんでしょう(密猟などをやらかす人は、他人の敷地のポルチーニやオリーブにまで手を出して罪を重ねるものなのかな?)。それに、そんなに単純明快な分類法があるのなら、どうして他の先生たちは誰も知らないのか不思議です。この先生の出身地や現住所は他の先生方とそんなに遠くないし。
本と生き字引がだめならと、ためしにブログでいくつかレシピを拾ってみると:

Faggiano alla bracconiera(キジの密猟者風):キジのお腹をそうじし、塩・こしょう・コニャックをふり、キジのレバーとセージのみじん切りをまぶす。ラルドか生ハムをキジに巻きつけ、塩こしょうし、コニャックかマルサラをふりかけて1時間以上おく。バターのかけらを乗せ、オリーブオイルをかけてオーブン焼き。
Cinghiale alla bracconiera(イノシシの密猟者風):肉は切り分け、ワイン、にんにく、フェンネルシード、ワインビネガーで12時間以上マリネ。鍋に油を熱し、パンチェッタとフェンネルシード、とうがらしを炒めて肉も炒め、新たに赤ワインを注いで煮込む。これは前述の、イノシシのin umidoと基本的に同じですね。
Camoscio d’Abruzzo(アブルッツォのカモシカの密猟者風):
肉は前日からスパイスやハーブ、ワインビネガー、ワインでマリネしておく。肉を切り分け、塩こしょうして焼く。セージ・ニンニクのみじん切り、小麦粉、ワインビネガー、水を加える。アンチョビをこの肉汁で煮溶かし、上からかける。ローズマリーを散らす。これもin umidoと似ています。

はてさて、これらが「狩人風と同じ」と思えます?それにキノコとオリーブは一体どこなの(まあブログなんて、私も含めどこの馬の骨が書いているかわからないのが一杯ありますけどね)。

では「密猟者風」イコール「狩人風」否定派の先生はいるでしょうか。F先生の説は「非合法な狩とは、つまり禁猟期の獲物だ。解禁期に出すジビエ料理を狩人風と言い、禁猟期のジビエ料理を密猟者風と言うのだろう」というもの。これは、もしかしたらどこかのレストランが取り入れている命名法かもしれないなと思いました。確かにイノシシなどは現在養猪も盛んだし、冷凍ものや輸入品もあるから年中手に入り「あれ、まだ解禁になっていないのに」と思うお客さんはいるでしょう。ただしbracconiereは許可証なしに、あるいは禁猟期や禁猟区で、または禁じられている手段で狩をする人のことなので、猟の解禁期に出回るジビエだからといって、すべて合法的に狩られたものとは限らないのですが。
また、本に載っていないし先生方が聞いたことがないというのは、近年どこからか流入した新しい調理法(あるいは言い方)ではないか、と考えてふと思ったのが、もしかしたら外国から入ってきた言い方ではないかということです。念のためにbracconiere(密猟者)とbracconaggio(密猟)の語源を調べてみると、いずれもフランス語起源(braconnier, braconnage)でした。ただインターネットで検索してみても、密猟者風という言い方はフランス料理にはないようです。

というわけで無理矢理に整理すると、
1)alla bracconiera(密猟者風)は伝統的な調理法・料理名ではなく、いつの間にかどこからかイタリア料理界に、その名に恥じず秘かに侵入したらしですが現在のところ市民権を得てはいないようです。
2)alla cacciatora(狩人風)の名がつく肉料理はイタリアの北部・中部に多く見られます。使用する食材はその時その時で幅がありますが、ジビエを主材料とするものはない(なかった)ようです。
3)逆にalla bracconieraのつくレシピはジビエ料理が珍しくないようで、ちょっとネット検索しただけでイノシシ、ノウサギ、ウサギ、カモ、シカ、キジ、ハトのレシピが数例~数十例見つかりました。
以上の結果をふまえてなんとなく思ったのは、ジビエ料理の命名法としてまず「狩人風」が流用されるようになり、だんだん広まっていったものの、そのうち、そもそも狩りの獲物がジビエなんだから、そんなの「馬から落ちて落馬した」というのと同じでヘンだと思った人も現れ、それで「密猟者風」と言い出したのかなという気がしてきます。
調理法はと言うと、これを「狩人風」が変形あるいは進化したものと仮定すると、本家本元がそもそも多様なのでそれに変奏を加えた結果ますます混迷している気がし、「狩人風」とは無関係と仮定すると、人目に触れずこっそり、しかもしばしば一匹狼で活動するのがこのショーバイの鉄則だと思うのでその精神にふさわしく、誰が何と言おうと自分が「この料理は密猟者風なのだ」と秘かに確信したものなら何でもありというポリシーが支配しているのではないかと思われます。いずれの説が正しいかは、今後この名のつくレシピをいろいろと集めて比較検討するのが最適でしょう。

なおご協力いただきました先生方は、前掲の他アルヴァーロ先生、ジュゼッペ・C先生、ジュゼッペ・G先生、マリオ先生、リナルド先生、ウンベルト先生(ABC順)の各氏でした。

ここで問題です。以上の6人の先生方は、本文中A~Fの、それぞれどの方のことでしょうか。全問正解されでも豪華商品は何も出ませんが、各先生の性格を見抜かれたことに対し心からの敬意を表します。