先週金曜日(15日)21時頃、関東地方でやや強い地震がありましたが、退勤列車に乗っていた私はまったく気づかず、岩手県の知人からの無事確認メールでその発生を知りました。当地の者が気づかずのほほんといたのに遠方の方に案じていただいている・・なんか妙ですが、とにかく余震は収束して欲しいものです。
第85回 後三年合戦-第6幕-(秋田県横手市 金沢柵跡遠望)
1週空いてしまいましたが「私的岩手通史の旅」を続けます。
1086(応徳3)年、雪を味方にして義家軍を撤退させた清原家衡軍ですが、翌1087(寛治元)年、清原武衡(きよはらたけひら)が家衡の味方となり、家衡を自陣の金沢柵に招きました。武衡は家衡にとって小父にあたります。
小説「炎立つ」の台詞を借りれば、武衡は家衡に対し「あの義家のことだ。次は慎重に攻めてくる。水枯れの頃を見計らって来られれば、沼の柵とて危なかろう」と声をかけています。沼館での戦いを様子見して家衡に利ありと判断したのでしょうか。朝廷側の義家に刃を向ける事が利あるとは思えませんが。
この誘いに乗って家衡達が移った金沢柵は横手市と美郷町の境近く、国道13号線の東側にある小山の上にあります。沼柵が水田の中の小島のようだったのとは対照的な山城です。
(金沢柵跡遠望の写真)
では、金沢柵跡へ上ります。ふもとから歩いて登れば往時を少しでも偲べるのでしょうが、軟弱者は愛車で九十九折の坂道を登ります。
2010/07/17の一品・・・755)岩手散歩 一関市(本寺地区の磐井川)
2009/07/17の一品・・・お休みでした
2008/07/17の一品・・・311)盛岡散歩 仙北町界隈8(高屋稲荷)
にほんブログ村「ふうん」と思ったらクリックして下さい
第85回 後三年合戦-第6幕-(秋田県横手市 金沢柵跡遠望)
1週空いてしまいましたが「私的岩手通史の旅」を続けます。
1086(応徳3)年、雪を味方にして義家軍を撤退させた清原家衡軍ですが、翌1087(寛治元)年、清原武衡(きよはらたけひら)が家衡の味方となり、家衡を自陣の金沢柵に招きました。武衡は家衡にとって小父にあたります。
小説「炎立つ」の台詞を借りれば、武衡は家衡に対し「あの義家のことだ。次は慎重に攻めてくる。水枯れの頃を見計らって来られれば、沼の柵とて危なかろう」と声をかけています。沼館での戦いを様子見して家衡に利ありと判断したのでしょうか。朝廷側の義家に刃を向ける事が利あるとは思えませんが。
この誘いに乗って家衡達が移った金沢柵は横手市と美郷町の境近く、国道13号線の東側にある小山の上にあります。沼柵が水田の中の小島のようだったのとは対照的な山城です。
(金沢柵跡遠望の写真)
では、金沢柵跡へ上ります。ふもとから歩いて登れば往時を少しでも偲べるのでしょうが、軟弱者は愛車で九十九折の坂道を登ります。
2010/07/17の一品・・・755)岩手散歩 一関市(本寺地区の磐井川)
2009/07/17の一品・・・お休みでした
2008/07/17の一品・・・311)盛岡散歩 仙北町界隈8(高屋稲荷)
にほんブログ村「ふうん」と思ったらクリックして下さい
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます