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722) 私的岩手通史の旅 第15回

2010年05月20日 | 私的岩手通史の旅
 昨日、市内を自転車を走らせていたところ、沿道の小学校では運動会が催されており、紅白に分かれての応援合戦の様子に懐かしさを覚え仕事を忘れて立ち止まりました。30ウン年前に一生懸命覚えた応援歌は今でも歌えますが、歳をとってそれらのルーツは軍歌だったことを知り、ちょっと驚いたものです。昨日のそれはサッカー風でした。


 第15回 東北38年戦争2(陸前高田市 玉山金山) (前回はコチラでございます)

 岩手県民となってあちこちを彷徨していますが、史跡を訪れるたびに自分の史観がいわゆる関東・朝廷側からの視点で形成されていたことを痛感しています。日本史の教科書ではこの時代のエミシと国家(朝廷)について、「奈良時代の末頃から激しくなったエミシの反乱に対しては、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて北上川の中流域までを平定させた(もう一度読む山川日本史)」と非常に簡単に書いており、実際授業で学んだことも書いてあるとおりでした。しかし地元出版の本を読んだり史跡を巡った身としては、この頃の国家(朝廷)と北東北の関係の表現としては簡潔過ぎるものを感じます。

 古代国家(朝廷)が北東北に食指を伸ばしてきた背景に、その勢力圏を広げるという意図もあったでしょうが、この地方で産出される金が目当てだったという説もあります。事実、県南の陸前高田市山中にある玉山金山で産出された金は、752(天平勝宝4)年に開眼した奈良東大寺の大仏建立に供出しました。

 玉山金山は天平年間に僧侶の行基によって発見されたと伝えられる金山で、後年には平泉の中尊寺金色堂にも使われたそうです。金山跡へは気仙川に沿う国道340号線から支流に沿う山道を上って行きますが、中腹には「金山発祥の地」という石碑が建っています。更に登ると戦国時代末期~江戸時代初期の主抗とされる「千人抗」を偲ぶ石碑があり、史跡としてはこちらの方が有名なようです。


(こちらは山腹の金山発祥を示す石碑 -陸前高田市竹駒町 2008/10/13-)

 それにしても、1000年以上前にどのようにしてこのような山中の金山を発見できたのでしょう?産出して運び出すのも大変だったでしょうが、そもそも発見されたことに感心してしまいます。

(玉山金山跡碑の場所はこの辺です)



 1年前の一品・・・お休みでした
 2年前の一品・・・「264)盛岡散歩 南部片富士湖
 その他の品々・・・コチラでございます。

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