小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

朝日の論説委員室は精神分裂集団になったのか ②の続々編

2008-06-06 07:09:10 | Weblog
 このシリーズもこれが最終回です。ここまで読み続けていただいて感謝しています。読者の中には、「朝日の新人材バンク批判がおかしいことはわかったが、朝日の論説委員室が精神分裂集団になったとまで極め付けるほどではないのではないか」という疑問を持たれた方もいらっしゃると思います。
 確かにこれまで論じてきたのは、昨年6月までの朝日の社説に対する批判で、その時点までは朝日の主張は一貫していました。だからそれまでは朝日の論説委員室は精神分裂症状を起こしていたわけではないのです。朝日の論説委員室が突然精神分裂状態に陥ったのは今年2月です(実は歓迎すべきことなのですが)。この最終回でそのことを、これ以上フェアで論理的な批判は不可能、と言い切れるだけの証明をして見せます。

 朝日が公務員制度改革について、初めて社説で論じたのは昨年4月2日だった。『新人材バンクーー天下りの温存にすぎぬ』とタイトルを付けた社説の書き出しはこうだった。すでにこのシリーズの1回目で引用したのだが、お忘れの方もおられると思うので、もう一度引用する。短文なので3回くらい読んで頭に叩き込んでほしい。

   政府が公務員制度改革の基本方針を決めた。天下りをあっせんする新人材バ  ンクを設けるのが柱だ。

 実はこの社説の最後のほうで、この主張には私も異論がない正論も書かれている。このシリーズの1回目ではその部分を引用しなかったのは、私の朝日批判にとって都合が悪いからではない。視点が、公務員制度改革の目的を公務員の処遇や採用方法、再就職などに絞った主張だったからである。つまり安倍内閣が、小泉改革の流れを引き継いで始めることにした、明治以来140年間にわたって構築されてきた『政官財癒着のトライアングル』にメスを入れ、断ち切ることを最終目的にしたのが公務員制度改革の真の狙いであり、そのためのファーストステップとして省庁が権限を行使できる業界や団体への、官僚の天下りを封じる手段として「新人材バンク」を作ることにした、という理解をしなかった(否、出来なかった)ことにそもそもトンチンカンな「公務員制度改革批判」を延々と続けてきた原因があったのである。だから私はこのシリーズの1回目で「政府が丸抱えで、官僚のためだけの再就職機関を作ることへの批判はきちんとするのはジャーナリズムの義務だが、なぜ政府がマスコミや国民からの批判を百も承知で新人材バンクを作ろうとしたのは、天下りを全面的に禁止して再就職先は勝手に自分で探せ、と官僚を突き放してしまうと、全省庁の官僚や族議員から猛反発を受け、小泉内閣が道路公団改革に失敗したのと同じ結果になることがわかっていたからであった。そのことに朝日の誰も気づかなかったのは、そもそも朝日が政府(自公連立政権であろうと自民単独政権であろうと)のやることなすことにハナから「悪意」を持って批判するという体質がどうしようもないほど染み付いてしまっていたからである。だから50年近く朝日を購読してきた私が、そうした朝日の体質を改善しようと「権力に対する批判精神を持ち続けることは大切だが、それよりもっと大事なことはフェア精神を持つことだ」というスタンスから朝日のアンフェアな主張(常にアンフェアな主張をしているわけではない)に対して厳しい批判をするようになったのだ。でも4月2日の社説で私も異論がないことも主張された、と書いたので公平を期すため、その部分も引用しておこう。
   今回の公務員制度改革では、能力主義を取り入れ、年功序列をやめる方針が
  盛り込まれている。公務員を民間から公募する構想もある。そこで描く公務員
  像は、専門性を磨き、知識と経験を豊富に持つ人だろう。そんな人なら、自力
  で再就職先を見つけられるはずだ。
   こうした改革は、新人材バンクと切り離して、ただちに手をつければいい。
 もう一度書くが(ごめんなさい。自分でもちょっとしつこいことはわかっています)、この社説の冒頭で朝日は「公務員制度改革の柱は、天下りを温存するための新人材バンクを作ることだ」(要旨)と主張した。そして6月21日の社説まで4度も繰り返し同じ主張をしてきた。それほどまで公務員制度改革に否定的だった朝日が突如主張を180度転換したのは10ヶ月の沈黙を経て今年2月3日に発表した社説であった。その社説のタイトルはこうだった。

   『公務員制度ーー改革の動きを止めるな』

 たぶんこのブログを読んでくださっている読者は目を疑うだろう。私のでっちあげではないか、と思われる方もいるかもしれない。そういう方にはぜひお勧めしたい。朝日の縮刷版がある図書館で、ご自分の目で確認されることを。
 この社説では朝日の論説委員はこう主張した。

   (首相の私的懇談会がまとめた報告書について)「官民人材交流センター」
  (筆者注・新人材バンク構想に基づいて設置された官僚の再就職あっせん機関
  の正式名称)を設けることが決まった天下り問題とは別に、公務員制度全体の
  改革をめざしたものだ。
   大きな柱は二つある。人事を内閣で一元管理することと、「政官接触」を制
  限することだ。前者には各省の縦割りやキャリア制度の弊害をなくすねらいが
  ある。後者の目的は、政治家と官僚との癒着を断ち、政治主導を確立すること
  だ。
   人事管理では、「内閣人事庁」を設け、幹部公務員の採用や各省への配属を
  一括して扱う。再配置や中途採用を積極的に進め、本省管理職の半分を幹部候
  補以外から登用することをめざす。
   採用時に昇進の道筋をほぼ固定してしまうキャリア制度の枠組みを完全にな
  くすものではない。だが、「省あって国なし」といわれる現状を、人事の一元
  化で打ち破ろうという姿勢は評価したい。(その後「政官接触」のルールにつ
  いて若干の疑問を提起しているが、その批判もフェアである)
   このように報告書には疑問もあるし、たった半年でまとめた粗さも目立つ。
   だが、相次ぐ不祥事や、優秀な人材が集まりにくくなったという現状を見れ
  ば、戦後の発展を支えた官僚制が曲がり角にあるのは間違いない。
   問われているのは、政治の側が今回の報告書の長所と短所をにらみながら、
  どのように改革を進めていくかだ。長く続いてきた制度を改めるには相当な力
  業が必要になる。公務員改革を進めれば、それに応じた政治改革にも手をつけ
  ざるをえない。(中略)
   この際、民主党も独自の案を示し、政府の背中を押すかたちで改革を競って
  もらいたい。

 これが昨年6月21日まで、安倍内閣が進めてきた公務員制度改革に罵倒を浴びせ続けてきた朝日の論説委員室が、10ヶ月にわたって沈黙を続けた後に書いた社説である。
 あの戦争(という言い方しか私はしていません。その理由は別の機会に書きたいと思っています)に負けた日本が、一夜にして帝国主義国家(私自身は軍国主義という言葉を本当は使いたいのですが、日本自身が「大日本帝国」と名乗っていましたので)から民主主義を標榜する国になったことを、この日の社説を読んだときに真っ先に思い出した。それに等しいような事件が朝日の社内で生じ、論説委員が総入れ替えにでもなったのかと思って、朝日の読者広報に問い合わせたが、そういう事実はないとのことだった。そうなるとやはり朝日の論説委員室は「精神分裂集団になったのか」という疑いを持たざるを得ない。
 もちろんいったん主張したことは絶対に変えてはいけないなどと言うつもりは、私もない。そしてそれまでの主張を大転換したこの日の社説を、これほど長く引用したのは、私がこの大転換を高く評価しているからでもある。ただ読者の認識に大きな影響力を持ち、さらに政治をも動かしかねない主張の大転換をする場合は、最低、主筆か論説主幹がその理由をきちんと述べ、これまで読者に間違った主張をしてきたことを謝罪すべきだった。
 これまで述べてきたように事実上、日本最大の権力機関になってしまい、その権力行使の一環として「素知らぬ顔で主張を大転換しても、誰にも文句を言わせない」といった思い上がりが、朝日の体質としてぬぐいがたいほどに染み込んでしまっているからである。
 朝日のずるさは、これほどの大転換をしておきながら、私が引用した部分の冒頭で、こそっと「『官民人材交流センター』を設けることが決まった天下り問題とは別に」と、昨年6月21日まで行ってきた「新人材バンク構想に対する批判を引っ込めたわけではありませんよ」と、ほとんど読者がその意味を理解できないような表記で、あらかじめ予想された批判を受け流すための伏線を張ったことである。しかしその後の文章で、朝日自身がこの伏線をひっくり返してしまった。朝日がほぼ全面的な支持を表明した「官民人材センター」が果たそうとしている公務員制度改革の中身は、まさに官僚の天下りを廃止するための条件作りである。
 前回書いたように100%の制度改革はありえない。飲酒運転を撲滅するために設けられた「危険運転致死罪」は、最初は最高10年の懲役だった。それでも飲酒運転による事故が後を絶たないため、道交法がたびたび改正され、現在の最高刑は有期刑の上限である20年(併合罪が適用されれば30年)まで延びた。この重罰化はさすがに効果があり、飲酒運転はがくんと減り、全体の交通事故も20年間で65%に減った。だが、その余波を受けてとんでもない状態も生まれた。飲酒運転以外の重大犯罪に裁判官が科す被告への量刑もどんどん重くなりだしたのである。
 私は朝日の「社会グループ」(元の社会部)の記者が、こうした傾向をどう見ているのか聞いてみた。「世論が重大犯罪に対して厳罰化を求めるようになったからではないでしょうか」が答えだった。電話での声の感じでは40代くらいの感じだったが、朝日の記者の認識力はその程度なのだ。「裁判官が世論に配慮する」などということは絶対にありえない。裁判官が量刑を決めるとき一番重要視するのは、他の類似した犯罪に科された量刑、また法改正によって科されることになった量刑の上限との整合性なのである。
 実は東名高速道路で酒に酔っ払って運転していたトラックがその前を走っていた乗用車に衝突、炎上させ、幼い女の子二人の命を奪った運転手に科せられた量刑がたったの4年だったのは、その当時の法律では、殺意が認められない死亡事故を起こした被告に対する最高刑が4年だったからではないだろうか(私は刑法の専門知識は皆無なので、これは私の論理的推測)。
 だがこの事件に世論が沸騰した。死亡したのが幼い二人の女の子だったということも、量刑の軽さに対する世論の怒りを倍化させた。一方警察も飲酒運転の撲滅に手を焼いていた。何とかしなければ、と対策を練っている最中だった。そうした状況が道交法の改正につながった。つまり殺意のない死亡事故に対する量刑の上限を超える10年の量刑を、刑法ではなく道交法で決めてしまったのだ。いったんルビコン川を渡ってしまうと、あとは一瀉千里である。どんどん量刑を重くし、現在は最高20年まで引き上げてしまった。その結果困ったのが裁判官である。すでに書いたように、裁判官は他の類似した事件に科せられた量刑との整合性を最重要視して判決を下す。そして飲酒運転によって死亡事故を起こした犯罪者に殺意を認定することは不可能であり、そうなると殺意を持って殺人を行った犯罪者に、殺意のないことが明らかな飲酒運転者より軽い量刑を科すと、刑罰の整合性が完全に崩れてしまう。これが重大事件の被告に対する判決が重くなりだした最大の要因のはず。刑法の知識がゼロでも論理的思考力さえあれば、この程度のことは十分推測できる。朝日は記者の採用に際し、論理的思考力を最重要視したほうがいい、それには私立中学の入学試験に出る程度の算数の応用問題を筆記試験に取り入れることをお勧めする。
 もちろん裁判官も、世論の動向をまったく無視しているわけではない。それが重刑化の傾向に拍車をかけているのもたぶん事実だろう。が、その場合でも裁判官は他の類似した事件で下された判決の範囲の中で、もっとも重い量刑を下した判決例を根拠に、時には過酷にすぎるのではないかとすら思える判決を下している。いずれにせよ裁判官が今、刑法で定めている量刑の上限あるいは上限に極めて近い判決を下す傾向にあることは事実で、その原因は道交法改正によって殺意のない飲酒運転者が起こした死亡事故の量刑が最高20年に引き上げられたこととの整合性を何とか保とうと苦心した結果が重罰化傾向の最大の理由であるはずだ。
 この私の論理的思考の結論として出した推測について、法律の専門家のご意見をいただければありがたいと思う。

 さてこのブログ記事の最終回も、すでに5400字を超えた。少なくともこれまでの記事は「下書き」「投稿」に成功したことは確認しているが、私の経験ではもうgooサーバーの処理能力を超えたはずである。最後に朝日が公務員制度改革について書いた直近の社説(5月30日)について簡単に触れておこう。『公務員改革ーーこの妥協を歓迎する』と題した社説の要旨はこうだ。(字数の関係で、この社説については引用はしない)

   首相の意を受けて、与党が民主案の多くを丸呑みした。民主党も「天下り禁
  止」の主張を取り下げたため与野党間で妥協が成立した。話し合いで合意に達  したことを評価したい。与野党合意による修正案は、いまの省庁の閉鎖的な人
  事制度に風穴を開け、縦割り体制を打ち破る可能性がある。長く続いてきた自  民党政権のもとでの政官業のもたれあいは行政を大きくゆがめてきた。「官民  人材交流センター」による天下りあっせんも再考する必要があるが、公務員制  度改革は、地方分権とあいまって国の統治のあり方を見直す大改革の一部だ。

 この日の社説も私は全面的に支持する。まだ「官民人材交流センター」について「天下り温存のため」と書いた社説の名残りは多少とどめているが、この程度の批判の視点の歪みはいちおう許容範囲だろう。渡辺行革担当大臣は法案成立後のテレビのインタビューで「骨抜きにされないよう頑張る」と、決意を述べたが、どんな制度改革でも頭のいい官僚が必死に知恵を絞れば抜け道を見つけ出すのは容易かもしれない。今後の朝日の使命は、「官民人材交流センター」が官僚の天下りを完全に防止する機能を発揮できるか監視を続けることと、抜け道を見つけて天下った官僚がいたら、その天下りを受けいれた企業や団体を社会的に抹殺してしまうくらいの告発を全社をあげてすることだ。そのときの朝日の主張には全国民が諸手をあげて支持するに違いない。(了)

 

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