小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

緊急告発! 高齢者による自動車事故急増の原因は、無能な警察庁の免許更新制度にある。

2018-06-14 01:44:57 | Weblog
 75歳以上の高齢者による自動車事故が急増している。「急増」と書くと、ごく最近の傾向のように思われるかもしれないが、そうではない。
 実は私は68歳だった2008年5月、2度にわたって警察庁長官あてに高齢者の免許更新制度について意見具申している。
 最初の文書は10日付。この文書で私は70歳になった時点で自動車免許を返納することを申し出ている(当時は返納制度がなかったため更新しないことを申し出た)。理由についてこの時の文書で、こう書いている(一部抜粋)。

 私はいま毎日のようにフィットネスクラブで汗を流していますが、エアロなどをなさっている方はお分かりですが、インストラクターは毎回新しいステップを考案して指導します。若い人は1~2回やれば新しいステップをすぐ覚えますが、私くらいの年になると最後までインストラクターの動きについていけないことがしばしばあります。私はバーベルエクササイズやプールなどでの筋トレメニューでは若い人に負けない体力がありますが、運動神経(反射神経と言ってもいいかもしれません)は確実に年とともに後退していることをいやというほど知らされるのがエアロです。私が70歳になった日に、つまり免許の有効期限が切れる日に運転をやめることに決めた最大の理由です。
 また川崎市では(※当時は川崎市に住んでいました)、川崎市内から上下車するバスは横浜市内に行く場合でも月額1000円で無料利用できる制度を設けていることも免許更新をしない音にした大きな理由です。

 実はこの時の文書の目的は別にあり、免許更新料や紛失したときの再発行料が異常に高いことに対する抗議が本来の目的だった。この手続きになぜ異常なほどの高額料金を設定する必要があるのか。警察官の天下り先でもある交通安全協会に儲けさせるためとしか考えられないことも指摘した。当時すでに1000万画素を超えるデジタルカメラが普及しており、免許更新時に警察署で行う視力テスト以上に簡便な方法で本人確認も確実な顔写真も警察署で撮れるようになっており、さらにICチップ付の住民基本台帳カードは区役所でデジタルカメラで撮影し、原価数百円で作成できるようになっていることなどを指摘し、もはや交通安全協会などアナクロニズム的存在であることも指摘した。警察はだれのためにあるのかという疑問を呈している。
 その2週間後の25日には新たに警察庁長官あてに文書を送った。この文書では明確に高齢者免許更新制度についての提案をしている(一部抜粋)。

 今月10日付で免許書発行(更新及び再交付)のシステム改革の提案をしましたが、まだ警察庁からのご連絡をいただいておりません。検討に値しない提案だとお考えなら、その旨ご連絡ください(※なおこの文書もたぶん警察庁広報部によって握りつぶされたようで、いまだ返事はない)。
 前の文書で私が満70歳の誕生日に有効期限が切れる運転免許の更新はしないことを明らかにしましたね。その理由は、健康のために通っているフィットネスクラブでのエアロビクス・レッスンに若い人のようにはとてもついていけないことから、例えば路地から子供が飛び出したようなときに、急ブレーキを踏むか、急ハンドルを切って電柱に車をぶつけても子供を避けるとかといった、とっさの正確な判断と、その判断を下す反応スピードについて自信が持てなくなったからです。
 さらに昨日娘の家に行き5歳の孫と遊んでいてまたショックを受けました。任天堂が発売して大ヒットし、テレビゲーム機の王座をソニーから奪い返したWiiのことは多分ご存じでしょう。そのWiiで遊ぶゲームでやはり大ヒットしたのがWiiフィットです。その中のバランスゲームが実に優れもので、5歳の孫がバランスボードの上でぴょんぴょん跳ね回り、「じいちゃんもやってごらん」と言われ、やってみたのですが、全然ついていけないのです。バランスゲームという名前から単純にバランス感覚を養うためのゲームだろうと思っていたのですが、エアロ以上に反応速度と判断の正確さが試されるゲームなのです。
 で、私の提案ですが、任天堂と共同で判断力や反応速度を3分くらいで測定できる装置を開発し、70歳以上の高齢者の免許更新時には、視力だけでなくとっさのときの反応スピードと判断力を検査項目に加えればいかがでしょうか。現在70歳を超えた人が免許の更新をする場合は民間の教習所で3時間の高齢者講習を受けなければなりませんが、講義を除けば本当に必要なとっさのときの反応スピードや判断力の検査は行われていないのが実情です。実際に、最寄りの教習所に高齢者講習の内容を聞きましたが「15分ほど車に乗ってもらうが、ハンドルを握らなくても乗っているだけでいい」ということでした。(※今は運転実技が義務付けられているようだ)。
 いま私の手元にはインターネットで検索した交通安全白書の19年版に記載されている「交通事故」をプリントしたものがありますが、高齢者が起こす自動車事故は平成元年の3倍に達しています(全年齢の事故件数は65%に減っているのにです)。この高齢者事故をどうやって減少させていくかが、飲酒運転の撲滅とともに全国の警察組織が全力で取り組まなければならない課題だと考えています。

 はっきり言って高齢者事故の激増は昨今のことではない。放置してきた警察官僚と、社会問題化するまで放置してきたメディアの責任は軽くない。最近の、90歳女性が起こした自動車事故犯罪(赤信号であることを認識しながら横断中の歩行者がいないと勝手に思い込んで交差点に進入して殺人を犯した事件)がきっかけで、メディアも本腰を入れて高齢者免許問題に取り組みだしたが、はっきり言って生ぬるい。
 この事故の直後、朝日新聞は『天声人語』でこうのたもうた。「道路での危険を回避できる自信は高齢者になるほど強くなる。そんな調査結果もあるようだ。自信は、ときに過信になる」(5月30日)
 私は強く朝日新聞に抗議した。電話に出た方は、そういう調査が実際にあること、その調査をした学者と原典も教えてくれた。世の中には、バカな学者も多い。バカな学者の常識はずれの論文を信用した天声人語氏もバカだ。
 私は電話に出た方にこう言った。「高齢者が起こす事故の大半はブレーキとアクセルの踏み間違いだ。つまりとっさのときの反応スピードと判断力に問題が生じているからだ。高齢者が若い人のようにスピード違反をしているか。むしろ運転は極めて慎重になっている。それでも事故を起こすのは、自分の運転能力を過信しているからではない」と。電話に出た方は、私の主張を肯定したうえで、担当者に伝えるといった。が、『天声人語』で訂正しない限り、読者はそう思い込んだままだ。朝日の傲慢さは、いまだに治っていない。
 さらにNHKにもこの事件をきっかけに高齢者免許更新問題を「クローズアップ現代で取り上げてほしい」と申し入れた。私はそのとき、10年前に警察庁長官あてに申し入れたことも伝え、高齢者事故の激増は警察庁の責任でもあり、そのことも明確にしてほしいとお願いした。
 私の提案が受け入れられたのか、あるいはすでに取り上げることに決まっていたのかはわからないが、6月7日に『クローズアップ現代』が取り上げた。タイトルは『90歳事故で議論再燃!? 高齢者の運転どう考える』だったが、中身はこれ以上ないというほどお粗末だった。『クローズアップ現代』では珍しく生放送で、85歳の高齢者ドライバーとその家族との中継で武田キャスターがやり取りしたり、地域で高齢者の足を支えあうケースを紹介したり、スタジオでは「日本の高齢者免許更新制度は世界レベルから見てかなり厳しいほうだ」と言った専門家(ジャーナリスト)が大きな顔をしたり、まるで警察庁に忖度しまくりという内容だった。

 手元に警察庁のWebサイトをプリントした文書がある。75歳以上のドライバーが受ける認知機能検査についての説明だ。それによれば、この検査では3つの項目について検査用紙に記入し、「記憶力や判断力を測定する」とあるが、果たして高齢者の事故防止に役立つ検査か。3つの項目とはこうだ。
●時間の見当識…検査時における年月日、曜日及び時間を回答する。
●手がかり再生…一定のイラストを記憶し、採点には関係ない課題を行った後、記憶しているイラストをヒントなしに回答し、さらにヒントをもとに回答する。
●時計描写…時計の文字盤を描き、さらにヒントをもとに回答する。
 読者の皆さん。このテストでとっさのときの反応スピードや判断力の正確さを測定できると思いますか。こんなペーパーテストで、とっさのときの高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いを防げると思いますか。アホと、ちゃうか!
 私はいま、このブログを書きながらかなり頭にきているので、書きながら怒りがますます増幅している。過激な表現になっていることはご容赦願いたい。
 
 悪質な自動車事故に対する処罰について、私が書いたブログの原本を改めて読み返した。1回目は13年1月20日に投稿したもので、タイトルは『自動車重大事故に対する刑罰の細分化は裁判官・裁判員を困惑させるだけだ』とある。「自動車重大事故の罰則がまた重くなるようだ」という書き出しから始めたこのブログでは、自動車運転棄権致死傷罪の適用ハードルが高すぎて事実上罰則が軽くなることに対する被害者や遺族の反発が大きく、最高が懲役7年の自動車運転過失致死傷罪との間に最高が懲役15年の「中間の罪」(17日付の朝日新聞朝刊記事の表現)を設けようという動きが法務大臣の諮問機関で検討されているという記事を巡って、「意図した犯罪行為」と「過失」の間に「未必の故意」に相当する罰則を加えることを意味するのかという疑問を呈した内容だ。
 日本では「未必の故意」は確信的な「犯意」がなくても、「行為の結果を予測していた」ことを立証しなければならない。このことは行為者の深層心理の解明に相当し、実際には危険運転致死傷罪の適用より困難になると私は思った。
 が、結局「中間の罪」が新たに制定された。私は14年1月10日、14日、15日、16日、17日と5回にわたって『法務省官僚が世論とマスコミの感情的主張に屈服して、とんでもない法律を作ってしまった』と題するブログを投稿した。
 私の主張は結論から言えば、自動車事故に関しては「犯意」があろうとなかろうと、飲酒運転や薬物などを摂取した状態での運転、過度のスピード違反はすべて「未必の故意」による行為として一般刑法で殺人罪や傷害罪で罰すべきというものだ。何のために交通法規があるのか。交通法規には2種類あり、一般の交通の妨げになる行為(駐車違反など)と、事故を起こす危険性が高い行為や状態(スピ-ド違反や飲酒運転など)に分けられる。前者の処罰は交通違反として取り締まるべきだが、後者には一般刑法を適用し、自動車運転免許を取得した時点で、重大な違反行為による事故はすべて「未必の故意」によるとすべきだと私は考える。
 たとえば最近社会を騒がせているあおり運転は、「事故になるとは思っていなかった」と「故意」を否定しても、免許取得の条件として危険な運転をしないことが前提になっており、その前提を無視した時点で必然的に「未必の故意」が成立するという判断を最高裁は示すべきだ。そうでなければ、意識を失うほどの過度の飲酒運転は、意識がある軽度の飲酒運転より危険運転致死傷罪に問うことが論理的にはかえって難しくなる。重大なスピード違反も、自分の運転能力に自信があり、100キロ超のスピード違反でも過去に事故を起こしたことがないと主張されたら、「故意」を前提とした危険運転致死傷罪に問えなくなる。
 90歳女性のケースも、私は「未必の故意」の殺人罪で処罰すべきだと考えているが、もし弁護士が「警察の認知機能検査に合格しており、運転能力にも自信があった。したがって偶然の事故であり、過失に過ぎない」と主張されたら、裁判官はどう判断する。現行法と、警察の高齢者免許更新の際の認知機能検査では、高齢者の反応スピードや判断力低下による事故は防げない。「法と警察の検査の不備が原因だから無罪」と、弁護士が主張したら、私が裁判官だったら認めざるを得ない。
 はっきり言って、高齢者事故の激増の最大の責任は警察庁にあり、したがってペーパーテストによる認知機能検査で合格させた高齢者の事故はすべて免責にすべきだ。
 それはおかしいというなら、現在の高齢者免許更新制度に対する手厳しい批判をメディアはあらゆる手段を講じて行うべきだ。とりわけ警察庁に対する忖度番組を報道したNHKは深刻に反省してもらいたい。当然この番組を制作した担当者は社会的制裁を受けるべきだと考える。

 ただし、高齢者が自主的に自動車免許を返納するようになるためには、地域の行政による「高齢者のための足のインフラ整備」が不可欠である。東京や横浜、大阪、名古屋などの大都市では高齢者に対して有料の敬老パスを発行している地域もあるが、地方は財政難もあってそうしたインフラ整備にまでは手が回らないようだ。これは基本的に国の地方に対する助成金についての考え方にも問題があるためだ。箱もの重視から、高齢化社会に対応したインフラ整備への手厚い補助があってしかるべきだと思う。
 東京都の音喜多議員のように、高齢者に対する敬老パスをなくせと主張するバカもいるが、では高齢者が起こす交通事故に対する責任を自らが負ってほしい。敬老パスは、高齢者に対する過度の社会保障ではない。自動車免許を返納した高齢者の足を確保するために絶対必要な交通インフラなのだ。
 私に言わせれば、保育所の整備のほうが過度の社会保障だ。「少子化対策」などといわれるが、保育所に子供を預けることが出来た母親は社会復帰して仕事に意欲と生きがいを回復する。そのこと自体は、女性の高学歴化により社会がより高度化された女性の労働力を要求した結果であり、また女性の生き方のひとつとして私も否定はしないが、そうした生き方の選択は当然、自ら結果責任も負うべきであり、行政が支援すべき話ではない。高額の保育費を支払っても社会で自分の存在感を見出したいと考える女性も少なくない。認可保育園は、少子化対策ではなく、共稼ぎ夫婦に対する生活支援に事実上なっていることを社会は認めるべきだ。そのうえで、そうした制度を充実すべきだというのが民意だというのなら、私はあえて反対はしない。が「保育園落ちた。日本死ね」とほざいた女性は、自分だけは行政から特別扱いされるべきだと考えているようだ。そうした自己中の声が社会の共感を得るような、いまの日本にこそ私は「死ね」と言いたい。


 
 
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