小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

米カリフォルニア州で分離・独立運動が盛んだ。「民主主義とは何か」がいま問われている。①

2014-08-05 06:08:53 | Weblog
 民主主義――とはどういう政治システムなのか。改めて考えさせられる事態が、「民主主義の総本山」を自負するアメリカで生じているようだ。カリフォルニア州北部で州を二分しようという政治運動が広がっているという(朝日新聞4日付朝刊記事による)。
 カリフォルニア州は太平洋に面したアメリカ西海岸の南北に細長く位置しており、北部はサンフランシスコを中心に共和党支持者が多く、南部はロサンゼルスを中心に民主党支持者が多いようだ。カリフォルニア州の面積はアラスカ州、テキサス州に次ぐ全米3位で人口は全米で1位である。同州のGDPは全米の13%を占め、仮に独立国家と見なした場合はイタリアに匹敵する第10位になる。
 州全体としては民主党支持層が多数を占めており、大統領選挙では民主党の金城湯池とされている。米大統領選挙は間接選挙で、国民が投票するのは民主党の選挙人団か共和党の選挙人団のどちらかであり(他の政党からの立候補者がいない場合)、大統領候補への直接投票はできない。しかも選挙人はメイン州とネブラルカ州を除いて投票数が1票でも多い選挙人団が、その州に割り当てられた選挙人を総取りするというシステム(ドント方式という)になっている。日本でも総裁選挙で小泉純一郎氏が党員選挙で圧勝したのはドント方式だったためである(今は違う)。
 カリフォルニア州に割り当てられている選挙人は全米535人中55人と1割を超える大選挙区で、そのすべてをこれまでは民主党の選挙人団が総取りしてきた。そうしたことへの不満が共和党支持層の多い北部で根強くくすぶっており、過去にも分離・独立の試みが27回行われたが、ことごとく失敗に終わっている。
 実は、私自身はアメリカ7不思議の一つと思っているのだが、サンフランシスコはかなり急坂の小山を切り開いて作られた人口の街である。日本のように平坦地が少ない国でも、こんな急坂に街を作ったりはしない。確かに山の頂上から見下ろす景色は絶景だが、生活には不便極まりない。実際路面電車が通るようになる前は馬車が主な交通手段だったが、とくに山を下るときにしばしば馬が前足を骨折したというエピソードを現地で聞いたことがある。
 年間を通して気温の差があまりない、とウィキペディアには書いてあるが、それは平均気温のことであり、1日の寒暖の差はかなり激しく「1日に春夏秋冬がある」とも言われている(その点は南部のロサンゼルスも同じ)。昼間は半そで、夜は厚手のブルゾンという感じだ。もともとはゴールドラッシュで栄えたが、通常金山を掘り尽くしたら町もすたれるのだが、サンフランシスコの場合はその後漁業の町として栄え、良質な水に恵まれていたこともあってシリコンバレーが近くに生まれ、金融センターとしてもアメリカ西海岸では随一の重要性を持っている。
 一方南部のロサンゼルスはもともとはメキシコ領だったこともあり、スペイン語の地名も多く残されており、現在でも人口の半数近くがヒスパニック系も
しくはラテン系である。またアジア系の移民も多く、ダウンタウンには先の大戦前から日本人街のリトルトーキョーをはじめチャイナタウンが発達し、戦後はコリアタウンやベトナム系移民外のリトルサイゴンもある。都市全体はサンフランシスコと対照的にまったくの平坦地で、唯一の例外は郊外に建設されたハリウッドと高級住宅街として知られるビバリーヒルズくらいだが、それほど急峻な山を開発したというほどではない。
 ロサンゼルスが発展したのは20世紀に入ってからであり、油田発見による石油化学工業の発達、大戦中に急発達した航空機産業、世界の映画産業を席巻したハリウッドの貢献が大きい。ただ人種のるつぼと言われるアメリカを凝縮したような都市である宿命として犯罪も多く、白人系警官による非白人被疑者に対する暴力行為が頻発しており、アメリカを代表する大都市でありながら、アメリカの恥部としてもつとに知られている。
 白人系が多く共和党支持層が多いサンフランシスコと対照的に、非白人系が多く民主党支持層が多いロサンゼルスが、ともに米西海岸を代表する大都市でありながら対照的なのは、そうした都市形成の歴史的背景も大きく作用していると考えられる。
 ただ、しばしば日本で誤解されているのは共和党と民主党の対立軸の捉え方である。最近でも朝日新聞が報じたカリフォルニア州の分離・独立運動について、「共和党=保守」、「民主党=リベラル」と位置付けているが、そもそも「保守」に対立する政治的概念は「革新」であり、思想的には「保守=右翼的」、「革新=左翼的」とされるのが一般的である。現在のアメリカでは選挙戦で共和党候補が民主党候補に対して「リベラル」と攻撃するのが常態化しており、民主党は「リベラル」色を払しょくするのに躍起になっている。共和党と民主党の対立軸を「保守vsリベラル」と位置付けるのは時代錯誤と言ってよい。
 スローガン的に言えば共和党は「小さな政府」「個人の自由と自己責任」「富裕層の減税政策」などで、民主党は「大きな政府」(※民主党は「大きな政府」を選挙などで主張しているわけではない)「銃規制など個人の自由に対する一定の制限」「生活保護や健康保険制度の改革など社会福祉の充実」などで、それをリベラルというなら日本の自民党はアメリカの民主党以上にリベラルな政党ということになる。
 1980年代から激しくなった日米経済摩擦でも、アメリカは共和党政権であろうと民主党政権であろうと日本に市場の開放を強く要求し、自由貿易を迫っている。そこには政策の違いはまったく見られない。そのくせアメリカ自身は自国の門戸を完全に開放しているかというと、そうではなく国際競争力に欠ける分野については保護貿易政策をとっていて、そのことに自己矛盾を感じないご都合主義という点でも、共和党と民主党との差異はほとんどない。
 別にそのことを非難しているわけではなく、どの国でも、日本の安倍政権を別にすれば、自国の国益を最優先するのは当り前であり、だから自国の国益に
合致する場合のみ「正論」を主張するのはやむを得ないと私は思っている。そうした国家エゴが抜き差しならない対立にまで発展したら、軍事力で解決するしかない、ということになる。だから私は8月1日のブログで「戦争」についての古典的定義であるクラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」に代えて「戦争とは、軍事力によって解決しようとする、外交の最終的手段である」という定義を提唱した。
 戦争の定義はともかく、カリフォルニア州で生じている州の分離・独立運動は、もし住民投票の結果、支持されたとしたら、アメリカ連邦政府は果たして住民の意思を認めて州の分離を認めるだろうかという疑問が、朝日新聞の記事を読んで生じた。ウクライナで生じている紛争は、もともとは住民投票でウクライナからの分離・独立を求めたもので、公正な選挙が行われたかどうかの疑問はあるにせよ、住民の意思を踏みにじった暫定政府に軍事衝突の原因があり、民主主義とは何かが改めて問われていると言ってもよい。

 今日から「民主主義とは何か」について、読者の方たちと考えていきたい。念のため「民主主義」(デモクラシー)という言葉は世界共通した言葉だが、その概念は国によって異なっているし、それぞれの国の民主主義の概念も、その国の政権が決定する権利を有している概念である。
 民主主義は「多数決」を大原則としているが、1党独裁で反対勢力の存在を認めない国で、選挙により国民の多数の支持を得たからと言って民主主義的政治が行われていると言えるのか。読者は全員「NO」と答えるだろう。が、国際紛争を解決する世界の最高決定機関であるはずの国連が、国連総会あるいは安全保障理事会の多数決で紛争解決の手段を決定できるかという問いに、「NO」と言えない非論理的な人は、私のブログを読む資格がない。(続く)
 
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