小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

岸田・自民党の公約「成長と分配の好循環」は実現可能か?

2021-10-19 02:26:34 | Weblog
【総選挙終盤戦での疑問】(25日)
投票まで1週間を切った。NHKをはじめテレビ各局は各党党首の街頭演説や首脳クラスの討論会を連日のように放映している。が、聞いていて正直、歯がゆい思いがしてならない。国会論戦のような与野党の激しい攻防が見られず、各党ばらばらに自党の政策をアピールするだけだから、見ている有権者にとって選択肢がほとんどわからない。確信的政党支持者であれば、別に改めて政策を聞くまでもなく投票態度を決めているだろうから関係ないかもしれないが、4割を超えると言われている無党派層は投票態度をいまだ決めかねている。
私は各党に電話でいろいろ取材したが、厳しい質問には「承っておきます」という丁寧な「馬耳東風」の答えしか返ってこない。
メディアや政党本部の対応についてお教えしておく。「伝えます」という場合、ほぼ責任者に伝えてくれる。「承りました」は一応記録には残しておくという程度。「承っておきます」は完全な馬耳東風。もっと言えば「お前なんか相手にしていられるか」という傲慢さのあらわれ。で、私が感じたいくつかの疑問を整理しておこう。
① 安部元総理が「悪夢のような民主党政治」と、この総選挙でも乱発している。
で、自民党本部に「これは一種の印象操作ではないか。具体的に悪夢と言い切る内容を教えてほしい」と電話したが、「しばらくお待ちください」と待たされた挙句「本人から直接聞いてください。安倍事務所や衆院議員会館の電話番号をお伝えします」と逃げた。
もともと「印象操作」という言葉は17年6月以降、加計学園の獣医学部新設問題を巡って国会予算委で紛糾した際、安倍総理(当時)が野党に質問に対して「印象操作だ」と連呼したのがきっかけである。モリカケ疑惑については野党側は真実を追求しようとしていただけだが、「真実はこうだ」と答えられずに野党の質問を「印象操作」と切って捨て、明確な答弁をせず逃げまわった印象しか残っていない。
もちろん「悪夢のような」発言は国会でも追及され、安倍はその具体例として「民主党政権時代の倒産数の激増」と答えている。民主党政権が発足したのは08年だが、翌09年3月11日、それこそ「悪夢のような」東日本大震災が日本を襲い、福島原発がメルトダウンしたほどの未曽有の被害が生じた。が、それが民主党のせいなのか。だとしたらコロナ禍でやはり零細中小企業の倒産が爆発的に生じたのも「悪夢のような自公政権の責任」と言わなければならない。安倍ちゃんよ、この論理、認める?
なのに、いまだ安倍氏は今次総選挙でも「悪夢のような民主党政権時代に2度と戻してはならない」と連呼しているようだ。
で、私は改めて「民主党政権時代の何が悪夢だったのか」という疑問を抱き、自民党本部に電話したというわけだ。
自民党本部職員が「本人から聞け」というので、議員会館や地元の安倍事務所に電話したが、安倍当人が電話に出るわけもなく、「しばらくお待ちください」と待たされた挙句「責任者がいまおりませんのでお答えしかねます」。「ではいつ電話すればいいか」と聞いても「責任者の予定はわかりません」「では、私の電話番号を教えるから、そちらから電話をしてくれるか」「そういう対応は一切しておりません」。結局、民主党政権時代の「何が悪夢だったのか」はわからずじまいだった。
② 小池都知事が国政政党「希望の党」を立ち上げたとき、旧民主党議員で小池から排除された枝野氏が「枝野立て、という声に押されて」旧立憲民主党を立ち上げた。このとき枝野氏は「永田町の数の論理には与しない」とカッコイイことを言って一種のブーム現象を生じ、新党ながら前回選挙で大躍進を遂げた。が、明確な「国家ビジョン」も明らかにできず、支持率がどんどん低下していく中で、一度は御破算になった国民民主党との大連合を旧民主党の大御所が動いた結果、かなりの大所帯になった。さらに今回の選挙では社民や共産などとの選挙協力を実現し、共産党との関係では政権奪取のときは「閣外協力」という意味不明な連携構想まで明らかにした。
私自身は民主主義の大原則であり最大の欠陥は「多数決原理」にあると思っているが、その原理に代わるより民主的な原理が発明されない限り、多数決原理の下で政治理念を追求せざるを得ないわけだから、「数の論理に与しない孤高の党」ではいつまでたっても政権は取れないと思っている。だから野党共闘も閣外協力も否定はしないが、少なくとも枝野氏は前言を翻したのだから説明責任を果たす義務がある、と立憲本部に申し入れているが、いまだ枝野氏は説明責任を果たしていない。
責任政党の代表が、思い付きで無責任発言を繰り返すようでは、やはり国民からの信頼を集めることは難しいのではないかと疑問を抱いている。
③ 次に公明党への疑問である。公明党はかつて「平和の党」という大きな看板を掲げていた。が、その看板を廃棄したようだ。もう一つの看板である「福祉の党」は維持しているようだが、集団的自衛権行使容認を含む安保法制に、公明党の設立母体である創価学会の猛反対を押し切って賛成して以降、「平和の党」という看板は隠してしまったようだ(公明党本部によれば「平和の党としての理念は捨てていません。集団的自衛権の行使条件として新3要件を入れさせたのも公明党です」と言うが、新3要件の具体的基準は明確にされておらず、新3要件を満たしているか否かの判断・解釈は政府が行う。けんかで相手に損傷を与えた場合、「殴られそうな気がしたから、先に殴った」などという正当防衛権が成立するのか。結局、新3要件なるものは公明党の自己弁護策に過ぎないのではないかと追及したら、「いま電話が混みあっていますので切らせていただきます」と一方的に電話を切られた。
④ 最後に共産党。自民党の甘利幹事長がNHKの討論番組で「共産党は暴力革命主義を捨てていない」と発言、結局取り消したが、確かに今の綱領からは「平和革命」路線に転じたと見える。が、【民主主義革命→共産主義革命】という2段階革命論は維持している。
そこで共産党本部に電話して「日本は民主国家だ。共産党の言う民主主義革命とはどういう意味か」と聞いた。答えは「 日本共産党が民主主義革命で実現をめざしているのは、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配を打破して、日本の真の独立を確保し政治・経済・社会を民主主義的に改革するということであって、憲法の理念に合致するものです」。
私も日本政府の異常な対米従属には憤りを感じているが、日本政府が日本の安全保障政策の基軸を日米安保条約においている限り、そして多くの国民がそう錯覚している以上、いったい共産党が日米同盟を破棄して安全保障の基本軸を日中同盟に置き換えることが民主主義革命なのか。だいいち民主的に行われる選挙で共産党が過半数を獲得しなければ、そんなことは不可能だ。そして共産党が過半数を取ったとしても、それは別に革命でも何でもない。民主的手段で政権の地位についたというだけの話。
問題は共産党が民主的に選挙で政権についたとして、ではなぜ第2段階の「共産主義革命」が必要なのか。政権の座についたら憲法を改定して共産党の独裁政権を永遠に確定することか。だとしたら、ヒトラーのナチス・ドイツがワイマール憲法のもとで独裁政権を平和裏に実現したのと同じ方法論としか考えにくい。言っておくが、ナチスの正式名は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。共産党と同じ左翼思想の政党だ。
日本共産党は旧ソ連や中国習近平政権を邪道と決めつけているが、「独裁」ではない共産主義社会とはどういう社会なのか明らかにしていない。私的企業を認めるのか、国家独占資本主義をイメージしているのか、さっぱりわからない。共産党が目指す最終段階としての「共産主義国家」とはどういう国家なのか、いまだかつて明確にしたことがない。



いよいよ今日(19日)から本格的な衆院選挙が始まった。衆院選=総選挙は「政権選択の選挙」とも言われる。が、自公が民主党から政権を奪い返して以降、自公の政権基盤が揺らぐような総選挙はこれまで一度もない。
いや、そもそも選挙戦に、そう言った緊迫感がまったくなくなった。与党である自公の政策がある程度国民から支持された結果なのか、野党が国民の信頼を失ってしまったのか、あるいは~。
メディアが毎月発表している世論調査。内閣支持率は大きく上下するが、政党支持率ではほぼつねに1強多弱の調査結果だ。。いつも自民党は政党支持率で40%台を維持し、他党とくに最大野党の立憲の支持率は前回総選挙で一種のフィバー現象で高支持率を記録して以降低迷し続けている。何とも情けなかったのは「無所属の会」を抱き込んで国民民主党を分裂させて大所帯になったものの支持率は 1+1+1=3 にならず、コンピュータが壊れたのかどうかは不明だが、 1+1+1=1 という足し算の常識を超えた結果になった。
今回、立憲と共産が折り合って、一応野党共闘が成立したが、それによって議席数を減らすのは自公ではなく、野党共闘に参加しなかった国民と維新の2野党になると思う。理由は簡単、政権の選択肢に入っていないから。

●民主党政権は本当に「悪夢」だったのか?
安倍元総理の口癖――「悪夢のような民主党政権時代」。具体的に何が悪夢だったのか、安倍氏は語ったことがない。安倍氏にとって「悪夢」だったのは何だったのか。民主党政権時代に円高による「デフレ不況」を招いたことか。
私は無党派だから、あえて民主党政権を擁護するつもりはないが、まったくの的外れ批判である。実はOECDの調査によれば日本の年収水準は先進国平均の8割弱と低く(購買力平価実質ベース)、バブル崩壊以降の30年間、日本人の平均年収はほぼ横ばいである。もちろんその間、民主党政権時代もあったし安倍政権時代も含まれている。

 そこで少し頭を使って考えてみよう。民主党政権時代、為替はかなり円高に振れたことは事実である。一番高いときで1ドル=80円を切ったこともある。当然だが、円高になれば輸出企業は国際競争力を失う。たとえば基準値を仮に1ドル=100円として換算すると、自動車や電気製品など輸出製品の海外での販売価格は約2割アップする。その代わり食料品やファッション製品など輸入品は約2割安くなる。
安倍政権はアベノミクスと称して「デフレ不況脱却」経済政策を行った。その中心は日銀・黒田総裁とタッグを組んだ超金融緩和政策(黒田バズーカ砲)による円安誘導だ。その結果、一時は1ドル=120円前後まで円安が進んだ(今は114円台)。民主党政権時代と比べると40円も円安になったということだ。円高時代に比べて、やはり1ドル=100円を基準として換算すると輸出品は約2割安く輸出できる。一方輸入品は約2割アップする(最近の原油高や食料品の不作による輸入価格の高騰は度外視する)。
つまり理論上は民主党政権時代と比べると、輸出製品は40%も安く輸出でき、逆に輸入品は40%も高騰したことになる。さてそれが消費者の懐にどう影響したかだ。いま総選挙に向けて自民党は「成長と分配の好循環」を目指すという。「成長」は経済現象として、どういう状態を意味するかはあとで明らかにする。
そこで、もう一度日本人の平均年収はこの30年間ほぼ横ばいだったことを思い出してほしい。少しデータが古いのだが(それは私のせいではない)消費者庁の調べによると、1995年から2014年までの20年間に消費財の輸入額は1.7倍の17.9兆円増えた。この間、家計の消費額は1.1倍しか伸びていないから消費財に占める輸入品割合は15%増えたことになる。
消費者庁によれば、その後も消費財に占める輸入品割合は増え続けているようだから、現時点では円安による輸入価格の上昇も含めると2.3倍くらいになっていると思われる。
が、すでに明らかにしたように安倍政権時代になっても日本人の年収は増えていない。年収が増えていないのに、輸入消費財は増え続けている。さらにアベノミクスの円安誘導により、輸入消費財の量的拡大だけでなく、同じ量の消費財を輸入していても消費者物価指数に対する上昇圧力は民主党政権時代に比べて約40%上昇している。「悪夢の時代」だったのは民主党政権時代だったのか安倍政権時代だったのか~。

●アベノミクスを叩き潰してしまった定年退職後の老後資金問題
岸田総理は自民党総裁選の最中、池田元総理時代の「所得倍増」を再現すべく「令和版所得倍増計画」のアドバルーンをぶち上げた。
すでに私が前回のブログで明らかにしたように、「池田所得倍増計画」は自由主義先進国経済が急成長を遂げていた時代であって、池田氏がアドバルーンを上げただけで何もしなかったから実現できた「所得倍増」だった。この時期、下手に池田氏が景気のけん引力として高額所得層の減税政策を打ち出していたら、間違いなく日本は後進国のままだった。幸い、池田氏が何もしなかったから、言うなら「第2の朝鮮特需」にありつけて「分配と需要の好循環」で日本は高度経済成長時代を迎えることができた。
ここで注目していただきたいのは岸田総理の「成長と分配の好循環」と、私が書いた「分配と需要の好循環」の違いだ。実は安倍氏も「分配」は非常に重要視していた。口では言ったことがないが、円安金融政策は輸出企業の国際競争力は強化するが、消費者の懐は直撃を受ける。
実はアベノミクスは、奇妙なことに輸出産業だけではなく国内産業にとっても「女神」のような経済政策なのだ。輸出産業が国際競争力を回復する理屈はお分かりいただけたと思う。が、実は国内向け消費財の産業界にとっても「女神」のような経済政策だったのだ。というのは、円安によって輸入製品は輸入価格が高騰する。つまり国内向けの消費財産業界にとってはライバルの輸入品価格が上昇するのだから、自然に輸入品に対する競争力が上がるのだ。そして、その付けを消費者が支払わされることになった。
輸出産業が国際競争力を回復しても、それは為替による効果でしかないから生産コストが安くなるわけではない。むしろ、原材料や部品など輸入品の価格は上昇するから生産コストはかえって上がる。そのコスト上昇分が国内販売価格に転嫁されれば自動車や電気製品などの価格は上げざるを得なくなる。一方、輸入品と競争している国内消費財は競争条件が有利になるから、輸入品の価格上昇に便乗して値上げしやすくなる。いずれにしても物価上昇は産業界にとっては「タナボタ」的利益の増大になるが、消費者にとってはダブル・パンチだ。そのうえ、この30年間、ほとんど日本人の年収は増加していないのだから消費者の財布のひもが固くなるのは当たり前だ。
日銀・黒田氏は一生懸命、安倍ちゃんのご機嫌取りに精出して「異次元の金融緩和」「黒田バズーカ砲」を連発したが、消費者物価が思ったように上昇しなかったのはそのせいだ。
もちろん、「そんなはずではなかった」と安倍氏は経済団体に賃上げを要求し、「官製春闘」と呼ばれるような恥知らずの行動に出た。経済団体も協力してベースアップを復活したりしてコロナ禍に襲われるまでは産業界は潤った。
が、安倍政権を直撃したのが、金融庁のアホな人生設計図だった。金融庁は19年6月、夫が65歳で定年を迎え年金生活(厚生年金)に入ったとき(妻は60歳)、老後生活のために必要な預貯金額を約2000万円というシミュレーション結果を公表した。その根拠は、定年後の生活資金が年金収入だけでは月5.5万円不足するため定年後の平均余命を20年、30年のケースに分けて不足額を計算した。
【余命20年の場合】 5.5×12×20=1320万円
【余命30年の場合】 5.5×12×30=1980万円
この数字が一人歩きして、定年退職時には2000万円貯蓄しておかないと老後人生真っ暗、という誤った認識を国民に与えてしまった。実は金融庁シミュレーションのバカバカしさは、生活資金は医療費を別にすると年々減少していくということを考慮に入れていなかったことだ。高学歴者の頭脳とはこの程度だと、低学歴の国民は自信をもっていい。
私自身の生活実感から言えば、赤字額は少しずつ減り続け、個人差はあるにせよ夫75歳、妻70歳前後で年金生活は黒字化する。ただし、医療費は年々増えていくだろうから、高額医療費限度までを黒字部分で賄えれば十分である。
この金融庁のシミュレーション文書を麻生財務相は受け取りを拒否した。私が指摘したように「シミュレーションのやり方がおかしい」ということで受け取りを拒否したのなら、私も麻生氏の論理的思考力を認めるにやぶさかではないが、麻生氏の受け取り拒否の理由は違う。「なぜアベノミクスにに竿を指すようなことをするのか」――それが麻生氏の怒りの源泉だった。
実際、金融庁がこのシミュレーションを公表した途端、証券会社などが一斉に「千載一遇のチャンス」とばかりに金融商品の販売に力を入れだした。
それで麻生氏は頭に来た。国民がカネを使わなくなるからだ。国民がカネを使わず貯蓄や金融商品の購入に可処分所得を回すようになると消費活動が停滞する。安倍ちゃんが「官製春闘」までして経済団体に賃上げを迫ったのは消費を喚起することが目的だった。「成長の果実を労働者にも」などと考える善人ではない。そんな善人だったら、モリカケ問題や「桜を見る会前夜祭」問題、河井案里選挙への異常な肩入れのような事件を起こすわけがない。

●「成長と分配の好循環」という「悪夢」
経済成長を示す指標はいちおうGDP(国民総生産)が基準である。いちおう、と書いたのは為替の大きな変動や過度のインフレやデフレによる名目GDPが異常値を計上することが皆無とは言えないからである。で、そうした物価変動要素を除外した実質GDPの推移について「悪夢の民主党政権」時代と「夢のような経済成長を遂げるはずだったアベノミクス」時代を比較検証してみる。
まず民主党政権時代の実質GDPは2009年の490兆円から11年の510兆円へと3年間で20兆円増えた。年平均で約7兆円増である。
一方、アベノミクス時代のほうは12年の517兆円から19年の554兆円へと8年間で37兆円、年平均で4.6兆円増である。
あれ~。「悪夢の民主党政権時代」よりアベノミクス時代の方が経済成長が鈍化していることになる。どういうこっちゃ~。
ところが家計の可処分所得総額(実質手取り収入)は民主党政権時代は293兆円(09年)から290兆円(11年)と減少しており、アベノミクス時代は288兆円(12年)から306兆円(19年)と大幅に増えている。国民所得はアベノミクス時代増えているのに、なぜ経済はかえって停滞したのか。その謎は国民が増えた可処分所得を消費に回さず、預貯金など金融資産に回したからだ。
実際、国民金融資産は4.7兆円(12年)から9.8兆円(19年)とアベノミクス時代に2倍超に膨らんだ。国民が消費にカネを使わず預貯金にカネを回すようになったのは別に金融庁の定年退職後の生活費シミュレーションのせいではないが、麻生氏が怒り狂ったのは、金融庁のシミュレーションによって国民の貯蓄志向がますます高まることを恐れたからに過ぎない。

そこで、岸田総理の「成長と分配の好循環」の設計図を検証してみよう。実は設計図なんかないのだが、いちおうスローガンと解釈したうえで、成長と分配のあいだに何の関連性もないことを明らかにする。いうまでもなく(経済)成長とは実質GDPの増加を意味する経済現象だ。GDPとは、単純化すれば国内で生産され消費(国内消費だけでなく輸出も含む)された粗利益(付加価値=販売価格―生産・流通コスト)の合計のことである。
デフレとかインフレといった経済現象は、説明するまでもないと思うが、アベノミクスが決定的に勘違いしているので説明しておく。
デフレとは供給が需要を上回ることにより物価が下落すること、インフレは需要が供給を上回ることにより物価が上昇することだが、なぜ世界中が2%の物価上昇(インフレ)を経済政策の目標にしているのか。
国内消費の総額がGDPに占める割合は国によって異なるが、日本の場合、55~60%と言われている。よく言われる「インフレ→需要増→供給増」という経済成長論は、「インフレ下では価格がもっと上昇する前に買っておこうという消費者心理が働くため」という説だが、本当に信用できるのか。
そうした心理は不動産など資産価値があるものについては作用するが、一般消費財については逆の消費者心理が働くと私は考えている。例えば今年のサンマ漁。中国や韓国の漁船が遠洋で獲ってしまうためか、日本近海でのサンマが大不漁だという。で、一時、スーパーなどでの価格が高騰したが、消費者は買い急いだか? 「別にサンマだけが魚ではない」とソッポを向いた。そのためサンマの店頭価格がかえって大幅下落した。インフレになると、需要が減退するのが通常の消費者心理だという証明でもある。
逆にデフレになると、価格が下落するから、購買意欲がかえって高まる。ユニクロが消費者の心をつかんだのも、「中品質低価格」主義が成功したためだ。たとえばTシャツ。百貨店のブランドTシャツ1枚の価格でユニクロなら2~3枚買えるという心理が働くのだ。食料品のように短期間に消費しなければならない商品は賞味期限間際になるとスーパーは大幅値下げする。だから、どうしても食べたいものがある場合は別として、夕方6時過ぎのスーパーが混むのはそのためだ。だから、この時間帯の客は値下げ幅が大きいものを狙うらしい。コンビニが本格的に値下げ全面解禁になったら、かなりの客がコンビニに流れるし、コンビニも廃棄処分のリスクを低くできるから仕入れを増やす。デフレ現象は経済活動にとって必ずしもマイナスではないのだ。
実際の消費者心理は、このように一様ではない。中国ではいま恒大集団のデフォルト(債務不履行)懸念が強まっている。あの、本当に「悪夢」のようなバブル経済時代と同様、日本の都心でも不動産バブルがいつ弾けるか。インフレが需要を呼び、さらにインフレが新たな需要を呼ぶのはこうした資産商品だ。その需要の多くは実需ではなく、高値での転売目的の投資だから、いつかは誰かがババをつかまされる。中国では習近平がいまはまだ絶対的権力を握っているが、恒大集団が経営破綻するようなことが生じると、大都市圏の不動産バブルが一気に弾け、習近平政権の命取りになりかねない。ああ、こわ~。
つまり、インフレは経済政策の目標にすべきではなく、需要が増えることによって(つまり消費の拡大)生産が拡大することが重要なのだ。

●「分配」は必ずしも需要を増大するとは限らない
岸田政権は「分配」を重要視する。何故か。「中間層を分厚くするため」だそうだ。別に悪い政策ではないが、これは経済政策ではない。
高度経済成長時代の1960年代半ば、国民意識調査で「中流」と答えた人が8割を超えた。日本の高度経済成長はどうして可能になったのかは前にもブログで書いたが、大きな要因は3つある。
一つは東西冷戦中ではあったが、自由主義世界では平和裏の中で経済成長が急速に進み、世界的に好景気時代を迎えたこと。おそらく歴史上初めてだ。
二つ目は、日本の所得税制が戦後導入された超累進課税のシャウプ税制によって、生産人口の可処分所得が急増したこと。
最後に戦後の貧しい時代を経て、「三種の神器」「3C」という豊かな文化的生活を実感できる商品に庶民の手が届くようになり、「成長と分配の好循環」が実現できたこと。
こうした高度経済成長期の経済環境を考えると、今日、当時のような「成長と分配の好循環」が実現可能か、赤ん坊でもわかるはずだ。
あ、ごめん。赤ん坊には無理だった。
高度経済成長を可能にした三つの条件がいま整っているかを検証しよう。
まず先進国の経済状況から検証する。一部に不動産バブルや株価バブルが生じているが、基本的に実需をベースにした需要増ではないから、いつかはバブルは弾けるし、富裕層は別として、いわゆる「中間層」には関係ない。とくに先進国の人口減少傾向には歯止めがかからず、世界全体の需要規模は減少の一途をたどるしかない。TPPや中国の「一帯一路」といった自由貿易圏構想が雨後の筍のように生まれているのは、国内需要の減少をカバーするための輸出増の機会を加盟国は考えているため、輸出より輸入が増える結果になった国は時間の問題で離脱する。米トランプ大統領がTPPから離脱したのも、かえって貿易赤字が増えると計算したからに他ならない。
次に日本の今の税制はシャウプ税制と大きく異なっており、生産人口の可処分所得を大幅に増加させることは税制改革以外には難しい。富裕層は欲しい商品は余るほどすでに所有しており、富裕層に消費拡大を期待することは無理だ。だから岸田総理は「分配なくして成長なし」と企業に賃金アップを求めようとしているが、安倍ちゃんの「官製春闘」で国民所得は増加したが、それが消費に回らず預貯金に回ってしまったことからも、分配の増加が消費の拡大を促す可能性はかなり低い。つまり、すでに述べたように、需要の拡大が見込めなければ供給の増加も期待できず、国民金融資産だけが膨れ上がっていくことになる。その結果、このブログでは触れないが、困窮するのは金融機関ということになる。いま金融機関は預貯金の増加を歓迎しない。
最後に分配の増加によって生産人口の可処分所得が増えたとしても、「三種の神器」や「3C」のような消費を喚起するような魅力ある商品の出現が期待できるかという問題がある。現に、かなり前から若い人たちの自動車離れが進んでおり、とくに都市部では公共交通機関などの交通インフラが充実し、相対的に自動車の所有価値が低下している。私たちが若かったころは、自動車を所有することが一種のステータスだったが、いまの若い人たちにとっては高級外車は別としてステータス・シンボルではなくなっている。だからいま急速に増えているのは、使いたいときに使う「シェア」方式だ。また電気製品にしても、技術の進歩によって耐久性能が向上し、買い替え需要も伸びない。そのうえ、若い人たちにとって最重要な関心事は、安定した老後生活をどうやって今のうちから準備するかということになっている。今の生産人口(現役世代)が年金世代になったとき、自分たちの年金生活をその時代の生産人口が支えきれないことはすべての国民が百も承知している。「自国通貨」を持っている国はいくら赤字国債を発行してもデフォルトにはならないといった馬鹿げた経済理論(MMT)もあるが、それなら年金を「マクロ経済スライド制」にしなくてもいいはずだ。MMT論者たちは、なぜ年金の「マクロ経済スライド制」を猛批判しないのか。

これまで述べてきたように、岸田総理の「成長と分配の好循環」はありえない。スローガンそのものは魅力的だが、所詮「絵に描いた餅」「机上の空論」に過ぎない。私たちの世代がすべきことは「物質文化」から脱却し、新しい「生き方の価値観」を見つけることではないか。(了)




 


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