小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

日本国憲法について考えてみないか。

2013-05-02 06:29:22 | Weblog
 明日は憲法記念日。もちろん現行憲法が制定された日である。全国各地でいろいろな式典や大会が催される。皆さんもご存じのように、これらの行事は大きく分けて二つに大別される。もちろん一つは憲法改定を目的とする集会。もう一つは憲法を守ろうという目的を訴える集会。
 つい最近までは、皆さんもそうだろうが、私も憲法の持つ意味についてそれほど深く考えたことがなかった。というより、考える必要性を感じなかった。
 しかし、今年はこれまでとは違う意味合いで憲法が果たしてきたこと、これから果たさなければならないことについて考えざるを得ない状況にある。
 明日の憲法記念日には各新聞が社説で憲法について今日的な課題について主張をぶつけ合うであろうし、各政党も憲法を改定する立場から、また現行憲法を守る立場から国民に政党としての主張を訴えるだろう。できるだけ早く(少なくとも1週間以内に)各新聞社や各政党の主張の読み比べをブログで書きたいと思っている。私のブログ読者の皆さんも、国民の一人として現行憲法にどう向かい合うべきかを考えてほしい。
 その前提として、これまでの憲法論争について若干、整理をしておきたい。
 現行憲法は、先の大戦(私はこれまで「あの戦争」と定義してきたが、これからは「先の大戦」と定義を変える。定義の意味に変化はない。「先の大戦」としたほうが、より明確になると考えただけのことである)のあと、GHQ(連合国軍総司令部……実質的には米政府が設置した対日占領政策の実施機関)の強制力のもとで制定された憲法である。そのため「アメリカから押し付けられた憲法」という主張が憲法改定論の大きな柱になっているが、簡単に考えると学校の教科書の出版社(著者を含む)が作った教科書原本に対する文部科学省の強制力を持つ関与のようなもの。だから減法憲法はGHQが作成して押し付けたものとも言えないし、かといって日本人が自主的に作った憲法とも言えない。教科書が文科省の認可を必要とするのと同様、現行憲法もGHQの認可が必要だった。つまりGHQの強制力のもとで制定された憲法と考えるのが論理的である。現行憲法の各条文の1条1句をGHQが作成したわけではない。そのことは基本的認識として共有しておきたい。
 過去自民党は(今も自民党議員の多くは)「押し付けられた憲法だから自主的憲法を」とお経の文句のように唱え続けてきたが、その主張が説得力を持ちえなかったことが理解できない。日本国民が過去も現在も「押し付けられた憲法」か「自主的憲法」かなどということに、ほとんど関心を示したことがないのはそのためである。
 憲法は言うまでもなく国民の安全や生活、権利と義務、国のかたちや国際関係の在り方についての基本的姿勢を定めたものであり、それが脅かされたり、危うくなったりしない限り意味のない議論をしても国民が関心を示さなかったのは当然である。だから「自主的か押し付けか」の議論はもう卒業してほしいというのが私の基本的立場である。
 次にもう一つ卒業すべき議論がある。それは憲法9条を指して「平和憲法」と位置付ける主張である。「憲法9条が日本の安全を守ってきた」という主張は全くの空論である。私は憲法9条の平和主義を否定するものではないが、憲法9条という、いわば「紙切れ」のような条文が外国に対していかなる強制力を持ちうるか、小学生でもわかる話だ。
 第一「憲法9条が日本の安全を守って来た」と主張する方たちは、アメリカやイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国、韓国、北朝鮮など日本といろいろな意味で関係の深い国々の憲法を一度でも読んだことがあるだろうか。日本人の中で私一人だけが勉強不足なのかもしれないが、私は先に述べた国々の憲法の1条たりとも読んだことがない。世界中の人々、とくに国家の政治を動かせる立場にある政党や人物が、果たして日本の憲法9条の条文と不戦主義をどれだけ知っているだろうか。
 少なくとも言えることは「永世中立」を国際社会に向かって宣言している国(過去宣言した国も含む)はスイスだけではなく、いくつもある。そういう国は中立を守るためにどういう努力を重ねてきたか、また宣言そのものが外国から無視されてきた例をいくつか述べておこう。
 まず「永世中立国」は単に宣言するだけでは他国に対して何の拘束力を持たない。他国が中立を保障・承認することが前提である。永世中立国は中立条約締結国によって中立の法的地位を保障されなければならない。他国に保障されて初めてその国に対する拘束力を持ちうるのである。そこが、他国に承認を得る必要もないし、得たところで何の意味も持ちえない憲法とは全く異なる点だということをご理解いただきたい。
 さらに過去にこういう例もある。ベルギーとルクセンブルグは列強が独立を承認するロンドン条約(1839年)により、永世中立が定められた。しかし両国とも第1次世界大戦でドイツ帝国の侵略に会い、ベルギーは国土の大半を占領されながら抵抗し、非武装だったルクセンブルグは全土が占領された。
 「平和憲法」などと「青い鳥」を夢見て平和が保障されるなら、世界中から戦争がなくなるはずだ。
 明日の憲法記念日を迎えて、憲法というものにまともに向かい合ってみようではないか。それは国民の権利であり、義務でもある。
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