小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

緊急告発! 民主主義とは何かが、いま問われている⑲ーー参院選の合区解消は民主主義の前進か後退か?

2018-07-19 11:40:50 | Weblog
 昨日(18日)、参院議員の定数を6つ増やす改正公職選挙法が成立した。「この時期に議員定数を増やすことに国民の理解が得られない」として、採決に際して船田元議員(自民党所属)は議場から退席した。
「男をあげた」などというと差別用語だというお叱りを女性議員から受けるかもしれないが、私はあえて船田氏に対してこの言葉を贈る。
というのは、その一方で「男を下げた」議員がいたからだ。超党派の国会改革を目指す議員集団を作り上げた小泉進次郎議員が、採決に際して白票(賛成票)を投じたからだ。その瞬間、静粛だった議場にどよめきが奔った。誰もが小泉議員の投票に大きな関心を寄せていたからだ。
もともと小泉氏はこの改正公職選挙法に批判的だった。採決が終わり、議場から出てきた小泉氏は当然メディアの取材陣に囲まれた。小泉氏は「改めて国会改革をやらなければいけないとの決意を新たにする意味での賛成だ」と弁解した。「男を下げた」瞬間だった。
だらしがなかったのは、メディアの取材陣だ。「なぜ白票を投じることが国会改革につながると考えたのか」と追及しなかったからだ。
衆院選における「一票の格差」問題について最高裁は「2倍を超えたら違憲」という判断を下した。なぜ2倍以内なら有権者が投じる一票が平等なのかは、頭の悪い私には理解不能だが(強いて最高裁判事の判断基準を憶測すると、小数点以下切り捨てにした場合、倍率が1.9999…なら1とみなすということなのだろうか)、最高裁はこの判決(11年3月23日)で、「一票の格差」が2.000…1を超える違憲選挙制度の欠陥は「一人別枠方式にある」と選挙制度改正を国会に求めた。
この判決を受けて国会では300の小選挙区(当時。現在は289に削減)のうちあらかじめ各都道府県に割り当てていた「別枠」の47議席を廃止した。さらに翌12年には参院選についても最高裁は都道府県単位を選挙区とする選挙制度に否定的見解を出したことで国会はいったん鳥取・島根と徳島・高知の両県をそれぞれ合区として一つの選挙区にした。
最高裁判決の決定は最終決定とされているため、国会も国民も従わざるを得ないが、私は最高裁が常に正しい(「正しさ」の基準は人や組織によって異なるが)決定を下しているとは考えていない。
そもそも「民主主義とは何か」について、最高裁判事たちは真剣に議論したことがあるのだろうか。一人ひとりの権利を完全に平等にするなどということは絶対に不可能で、だから民主主義はやむを得ず「多数決原理」を採用している。この「多数決原理」という、民主主義制度の最大の欠陥を補完するため、「少数意見にも耳を傾けよ」というルールが採用されてもいるが、しかし最終的に採決する際、少数意見が採択されることは絶対にありえない。もし議長が少数意見を採択するようなことが可能であれば、それはもはや民主主義ではなく独裁政治を意味するからだ。
そう言う前提に立った場合、最高裁は「少数意見をどう政治に反映させるか」を基準に選挙制度の問題点を考えるべきであった。
アメリカでは、日本の衆院に相当する下院では各州の人口比に応じて議員定数が割り当てられている。現在の日本の小選挙区の選挙方法とほぼ同じだ。ただし、アメリカには日本のような比例代表区というのはない。だからアメリカにも弱小政党は日本以上にたくさんあるが、実際に下院議員になるチャンスはほぼなく、政権交代可能な2大政党政治が長く続いている。
ただ、日本の参院に相当する上院は世界にもまれにみる選挙方式になっている。50の各州の議員定数はすべて2人で、計100人だ。そのため上院議員の割合はつねにほぼ与野党が互角である。しかもアメリカでは上院・下院ともに党議拘束がかけられない(そういう規則になっているのか、日本と違って議員は所属政党の力にあまり頼らず「草の根」選挙で勝ち抜いてきたために党の方針に拘束されないからなのかは、メディアが報道してくれないのでよくわからないが…)アメリカの政局のカギを上院が握るケースが多いのは、そのためだ。
いずれにせよ、日本の最高裁のように形式的平等主義でアメリカ上院の選挙制度を「民主主義」についての最高裁判事の判断基準で見る時、目を回さない判事がいるだろうか。アメリカの上院選挙では一票の格差が100倍を超えているだろうからだ。
そういう意味では日本では参院は衆院のカーボン・コピー(カーボンは今は使用が禁止されているが…)と批判を常に浴び続けてきている。参院議員の自覚を待つのは「百年、河清を待っ」ても、はっきり言って無理だ。とくに「政党助成金制度」という悪法が出来て、所属議員はよほど力がない限り党の方針に逆らえない仕組みになってしまったからだ。
だとしたら、参院が衆院のカーボン・コピーにとどまらない議会にするためには、いっそのこと形式主義的民主主義の考え方を捨てて、アメリカ上院のように47都道府県に各二人の議員定数を割り当てたらどうか。そうすれば、地方の小さな声が大きな声として国政に反映させることも可能になる。沖縄県民の「基地をなくしてほしい」という声や、原発立地県の「原発、もういらない」という悲痛な声も、全国民が共有できるようになる。
ジャンル:
ウェブログ
コメント (1)   この記事についてブログを書く
« いま、日本が直面する四大危... | トップ | トランプ大統領が仕掛けた貿... »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2018-07-19 23:45:51
民主主義の核心は、原則立脚型交渉によって
互いの満足度を高める選択を模索することでしょう。

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事