小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

メガバンクの大幅な人員削減と店舗網の縮小計画は自らまいた種か? それともアベノミクスの…?

2017-11-10 06:54:45 | Weblog
 「銀行がつぶれるかもしれない」……そんな見方が金融界に広まっているらしい。「らしい」と書いたのは、金融業界に詳しい知人からの伝聞で、いちおう私も先週末メガバンクの支店長に確認したところ「そのようですね」との返事があったからだ。
 もし銀行がつぶれるとしたら、バブル崩壊やリーマンショック後の金融業界大混乱時代の再来になる。バブル崩壊は1991年に「突然」始まった。それから27年になるから、若い人には「なんのこっちゃ」という感じがするかもしれない。しかしバブルを招来したのも、バブルを強制崩壊させたのも、政府と日銀の金融政策に根本的な原因があった。
日本のバブル崩壊と違ってリーマンショックは一般の日本人の国民生活には直接の影響がなかったので、なぜ日本の金融業界に激震が走ったのか、やはり日本の金融事情に詳しくない方には理解できなかったかもしれない。
 いま日本経済は「いざなぎ景気」を超え、2番目の長さの好景気を続けている(ことになっている)。では1番目はいつだったか。おそらく大半の人たちの記憶にないだろうが、比較的最近なのである。2002年2月から2008年2月までの6年1か月の長期にわたる「好景気」がそれで、「実感なき好景気」と言われている。一部には「ITバブル」とも称された。IT業界が景気の波を引っ張ったからだ。が、その「好景気」にピリオドを撃ったのがリーマンショック。2大8年、アメリカで低所得者向けに長期の住宅ローンを組んで、その担保の不動産を有価証券化して世界中の金融機関にばらまいたのがリーマンブラザーズという証券会社。バブル期に日本で雨後の竹の子のように生まれた抵当証券の仕組みをパクったのがリーマンブラザーズだったが、日本の抵当証券会社がバブル崩壊によって全滅した事実からは、何も学ばなかったようだ。
 そのリーマンブラザーズが発行した「抵当証券」に、バブル崩壊で散々懲りたはずの日本の銀行が、その高金利に目がくらんで大量に購入してリーマンブラザーズの破産で大損害を被ったのが、いわゆるリーマンショックだ。なぜ日本の銀行は同じミスを二度もしたのか。そして今また大きなミスを犯してバブル崩壊、リーマンショックに次ぐ3度目の金融危機に直面しようとしている。日本企業に共通した体質とも言えるし、政府・日銀による金融政策の付けが回ってきたとも言えないことはない。今回のブログはそのことを検証する。

 日銀金融政策研究会はバブル崩壊の10年後の2000年12月に、ようやく日銀金融政策の誤りについての報告書を発表した。日銀総裁は当時「たすき掛け人事」と言われ、日銀プロパーと大蔵官僚が交互に総裁の椅子に座る慣習になっていた。バブル経済を招いたときの日銀総裁は大蔵事務次官だった澄田智(さとし)氏で、澄田氏の後を継いだのは日銀プロパーで澄田総裁時代は副総裁に就いた三重野康(やすし)氏だった。
 日銀金融政策研究所の報告書によれば、バブル経済の特徴は ①資産価格の急激な上昇(※通称「資産バブル」) ②経済活動の過熱 ③マネー・信用の膨張 の三つという。そのこと自体に誤りがあるわけではないが、日銀は日本人や日本企業のビヘイビア原理をまったく無視した金融政策を行ってきたことへの反省は、残念ながら報告書には見られない。
 実はバブル経済を招来するきっかけになったのは、1985年9月のG5でのプラザ合意である。当時アメリカは財政赤字と経常収支赤字の「双子の赤字」に苦しんでおり、その原因はドル高にあるとして、ニューヨークのプラザホテルに英・仏・西独・日の蔵相、中央銀行総裁を招集しドル高是正を要求、米を含めて主要5か国による為替操作(各国中央銀行によるドル売り・自国通貨買いの協調介入のこと)を要請した。アメリカの目的は貿易赤字の解消にあり、その標的は日本と西ドイツだった。イギリスとフランスは、両国のメンツを重んじて招集したに過ぎない。なおG5は「group of 5」の略。当時は先進5か国の蔵相・中央銀行総裁の会議だったが、その後先進各国首脳が集まるサミットに変わった。
 このプラザ合意後の日本企業のビヘイビアはどうだったのか。私は1992年11月に上梓した『中心蔵と西部劇――日米経済摩擦を解決するカギ』(祥伝社 ノンブック)でこう検証した。
 「このプラザ合意を契機に、怒涛のように円高が進み出す。
 その後の2年間で、円の価値は1ドル=240円から120円へと、一気に倍に跳ね上がったのだ。
 その過程で、日本の輸出産業界から悲鳴が聞こえだした。「1ドル=200円がギリギリの採算ラインだ」「180円を超えたら輸出は不可能になる」と。(中略)
 円高になれば、当然その分だけ海外での価格競争力は低下する。たとえば1ドル=240円時代にアメリカで100ドルで売っていた日本製品は、1ドル=120円になると(※アメリカでの販売価格は)200ドルになるはずである。そうなればドル安(=円高)効果によって米産業界の競争力は大きく回復するはずであった。
 だが、そうはならなかった。日本製品のアメリカでの販売価格があまり上昇しなかったからだ。自動車でせいぜい15~20%、電気製品に至ってはプラザ合意以前より安くなったものさえあった。もともとアメリカに競争相手がほとんどいない高級カメラや時計でさえ、値上げ率はせいぜい3割がいいところであった。
 その結果、妙なことが生じた。自動車も電気製品もカメラも時計も、日本で買うよりアメリカで買ったほうが安い、という“逆内外価格差”が生じたのだ。(中略)(※こうした事態に)マスコミがようやく騒ぎ出したのは、プラザ合意から3年以上たってからである」
 それでもプラザ合意による円高は日本産業界に相当なダメージを与えた。商社は売れなくなった商品は扱い量を減らせばいいが、自動車や電気製品など高度工業製品のメーカーは巨額な費用を投じた生産設備の稼働率を維持することが最優先になる。そのためには生産量を維持しなければならず、もしアメリカへの輸出価格を為替相場にスライドさせていたら輸出量が激減し、メーカーは大量の在庫を抱えてしまう結果になる。そのため輸出は採算を度外視して生産量の維持を図ったのである。このメーカーの体質ともいえる生産設備の稼働率に対するこだわりは、実はアベノミクスによる金融緩和と円安誘導のときにも表れ、アベノミクスの足を引っ張り、結果的にアベノミクスを失敗させた最大の要因にもなったので(後で検証する)、記憶にとどめておいてほしい。
 さて私は1988年夏の終わり頃(バブル景気の真っ最中)、松下電器産業(現パナソニック)の谷井昭雄社長にインタビューしてメーカーの姿勢を追及したことがある(記事はその後廃刊になった月刊誌『宝石』=光文社=の10月号に掲載)。インタビュー記事としては8ページに及ぶ異例の扱いだったが、このインタビュー記事は産業界にかなりのショックを与え、1年後から始まった日米構造協議にもかなりの影響を与えたようだ。あまりに長文なので私の発言部分は要約する(ただし、谷井氏の発言だけは原文のまま)。
「小林 プラザ合意以降円はほぼ倍になった。本来日本の輸出製品のアメリカでの販売価格も倍にならなければおかしいが、自動車や電気製品はせいぜい10~15%の価格上昇にとどまっている。メーカーは合理化努力によって輸出価格を極力抑えていると主張しているが、もしそうであれば日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。にもかかわらず日本の消費者はメーカーの合理化努力の恩恵にあずかっていない。かえって高くなっているものさえある。
谷井 いま、おっしゃった中で、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本で作っている製品が、船で運んでいった国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、恩恵を受けていないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定できませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。
もちろん、そのままで許されるわけじゃありませんし、また決して我々は専売公社ではありませんから、自ら決めた価格が堂々と通るわけじゃない。いわゆる価格というものは、決してメーカー単独で決められるものじゃなく、リーゾナブルな、社会に受け入れられる相場というものがあるわけですからね。先ほど小林さんがおっしゃったことも事実。そういうものと企業努力とをどのように合わせていくかというのが…。だけど、そういうアンバランスが一部出たといいうことの、いちばん最大の要因というのは、急速な為替の変化であるわけです」
この時点では私自身もジャーナリストとしてまだまだ未熟であったことを認めざるを得ない。私の日本メーカーに対する批判の視点は「アメリカへの輸出は為替相場を反映しないダンピングではないか」という視点と、「本当に合理化努力によって輸出価格を抑えることが出来たのなら、なぜ日本の消費者は合理化の恩恵を受けられないのか」という、いわば倫理的な指摘にとどまっていた。私が日本企業のビヘイビア原理に理解が及んだのは、アベノミクスに悪乗りして輸出メーカーが輸出量を増やさず空前の為替差益を計上したことによってである。金融機関もまた黒田・日銀総裁のマイナス金利政策のせいとはいえ、収益を確保するためバブル期を超える不動産融資に奔ったり、サラ金まがいの「カードローン」競争に奔走したりして、今日に危機的状況を招いた。
そのことはさておき、プラザ合意後の輸出メーカーは生産設備を遊ばせておくわけにはいかず、生産量の維持を図るためにダンピング輸出をしていたのだった。谷井氏をはじめ輸出メーカーのトップが、アメリカからの「ダンピング輸出ではないか」との厳しい批判に、「全くその通りです。生産設備を遊ばせておくわけにはいかないもので…」とまさか本音をしゃべるわけにもいかず、「合理化努力によって輸出価格の引き上げを最小限に抑えることが出来たのだ」というレトリックで批判をかわそうとしたのが真相だった。
しかしこの時期の円高はじわじわ日本経済を圧迫する。それまでの高度経済成長時代は終焉し、円高によるデフレ現象が生じ始めた。1984年12月から日銀総裁になっていた澄田氏は再度、日本経済を活性化するため金融緩和方針を打ち出す。
この時期、だれが流したのか不明だが「東京はアジアの金融センターになる」「海外から企業がどっと進出してくるが、オフイスが圧倒的に不足する」といった流言飛語が飛び交い、都心の地上げが始まった。「都心の住民が郊外に引っ越してくる」といったうわさに転化し、「工業製品は増産できるが、土地は増やすことが出来ない」という「土地神話」が蔓延していった。
こうして資産バブルのスタートが始まり、澄田日銀の金融緩和政策と相まって資産インフレは株、ゴルフ会員権、絵画、骨董類へと広がっていく。これがバブル景気の実態だった。とにかく日本全体の土地時価総額がアメリカ全土の時価総額を超えた、などというばかげた話までまことしやかにささやかれたくらいだから、日本人全員が亀の背中に乗って竜宮城に行ってしまったのかという錯覚が生じてもおかしくないほどの状態だった。
さすがに大蔵省銀行局がこの異常事態を何とか収束させねば、と乗り出した。90年3月、いわゆる「総量規制」を銀行に行政指導、さらに日銀も89年12月から澄田氏の後任総裁に就任していた三重野氏が金融政策を180度転換したのである。もともと三重野氏は日銀プロパーとして大蔵省出身の澄田総裁時代の副総裁として澄田氏の金融緩和策に抵抗した人物だった。
実は大蔵事務次官は通常、主計局長のポストとされていた。大蔵省(現財務省)の主流は予算編成を担当していることから、霞が関でも主計局は「床の間を背にする」局として君臨してきた。澄田氏は銀行局長から事務次官に上り詰めたキャリア官僚であり、異例の人事と騒がれたほどである。ただし、その後の省庁再編により銀行局は財務省から切り離されて金融監督庁となっている。
霞が関はそれぞれ担当する業界を育成することが目的、と勝手に解釈している官僚が多く(そのため利害関係が濃厚な業界団体や企業への天下りが横行してきた)、本来の目的であるフェアな事業を指導するという感覚を失った官僚が大きな顔をする状態になっている。
実際、先輩が天下った業界団体や企業の要請に背きづらいという側面も、日本的人間関係の中では否定できない。天下りを禁止することにしたのも、そうした霞が関と業界のもたれあいをなくそうというのが狙いだったが、その裏をかいて天下りを温存してきたのが文科省であり、加計学園問題で前川前事務次官と対立した加戸前愛媛知事は「きれいごと」を言える人ではない。そもそも現職官僚時代、出世コースのトップを走っていながらリクルートから接待漬けされていたことから退任、日本芸術文化振興協会理事長、日本音楽著作権協会理事長など文科省官僚の天下り先としてはトップクラスの恩恵を受けてきた人だ。関係先企業や団体とズブズブだった人が、今頃きれいごとを言っても説得力に欠ける。総選挙の結果が出るまで先延ばしをしてきた加計学園の認可も、自民圧勝の結果を受けて予想通り認可された。これだけ社会問題になった加計学園に優秀な学生が集まるとは、到底思えないが…。
ちょっと横道にそれたが、澄田氏も大蔵省時代、銀行局長として金融機関とズブズブの関係にあっただろうことは想像に難くなく、よく言えば金融機関を育成するというスタンスで金融緩和策をとってきた。が、すでに日本の産業界は高度成長時代と様変わりしていた。銀行が融資をしたい優良企業は間接金融(国民が預金した金を金融機関から借りること)から、証券市場からの直接金融(増資や社債発行)にスタンスを変えていたのである。日本の銀行の融資は担保主義であり、また融資先の経営にも口をはさむことが多いため、優良企業のトップは間接金融を避けるようになっていたのである。当時の銀行が「土地神話」にしがみついて有り余った金を不動産関係に融資してきたのは、そういう背景があったからであり、資産バブルを招いた最大の責任者は金融機関と澄田総裁にあった。
その澄田総裁の金融政策に異を唱えてきたのが三重野副総裁であったが、三重野氏は総裁になって金融緩和から金融引き締めにかじを転換した。それも大蔵省銀行局の総量規制と一緒に金融引き締めを行ったため、バブル退治だけでなく日本経済そのものを大混乱に陥れてしまった。金融引き締めは必ずしも大間違いだったとは言い切れないが(今では間違いだったという評価が定着しているが)、日本経済全体の状況を見ながらバブル退治の軟着陸を図るべきだったのだが、三重野氏は胴体着陸と言ってもいいほどの強硬な金融引き締めに執着した。今の日銀黒田総裁と同じである(政策的には引き締めと緩和という真逆の方針ではあるが…)。
ちょっと乱暴なたとえになるかもしれないが、金融政策は競馬馬の手綱捌きと同じでなければならない。馬の状況を見ながら手綱を引いたり緩めたりしながら、最終的にゴールまで最善の走りをさせるのが騎手の使命であり、日銀総裁の仕事も同じである。
が、三重野氏も黒田氏も自分の金融政策の効果がなかなか出ないとき、金融政策が間違っていたのではないか、ということに思いが至らない。「これでもか、これでもか」と同じ金融政策をさらに強化してしまう。権力者が陥りやすい誤りであるが、政策転換をすると責任問題になるのではないか、という強迫観念に捕らわれているのではないだろうか。
このブログもだいぶ長くなったので、そろそろまとめに入る。
黒田総裁はアベノミクスの要請もあって、史上例をみないほどの金融緩和策を続けている。しかも「禁じ手」とされるマイナス金利は、せいぜい2,3か月状況を見てストップするべきだった。マイナス金利というのは銀行が日銀に金を預ける時に手数料をとるということだが、黒田総裁の目的は金融機関が市場に金を出回らせることにあった。
確かに銀行は融資を拡大し始めた。ただ金融機関が融資をしたい優良企業は、すでに述べたようにとっくに間接金融から手を引いていた。そのため金融機関が融資を拡大していったのは、バブル経済をけん引した不動産関係であった。そして、あろうことか「カードローン」と称するサラ金まがいの消費者金融の分野である。
そもそも金融緩和の目的は、①デフレ脱却と②円安による輸出産業の国際競争力の回復にあった。その目的を実現するため、黒田総裁は物価上昇率2%達成を指標にした。が、いくら金融緩和策を続けても物価上昇率は2%に及びもしない。なぜなのか、という疑問をそろそろ持ってもいいはずだ。いや、いまさら遅きに失している。しかし、日光の猿軍団と違って、黒田氏の辞書には「反省」という言葉がないようだ。
そもそもデフレ脱却のために、なぜ金融緩和が必要なのか。デフレかインフレかは国内の総需要量と総供給量の関係で左右される。総需要量が上回れば物価は上昇する(インフレ)。逆に総供給量が上回れば物価は下落する(デフレ)。しかし、その上回る程度が適切な範囲内であれば、振り子の原理が働いて自然に物価は安定に向かう。
もう少しわかりやすく書けば、需要が供給を適度に上回れば、物価はある程度上昇するが、その結果需要が減少することによって物価上昇に歯止めがかかる。需要が過度に供給を上回ってしまうとハイパーインフレになって、需要が一気に減少してインフレ不況になる。その関係が逆になれば(供給が過度に需要を上回る場合)、デフレ不況になる。当たり前の話だ。
安倍総理は黒田日銀に「デフレ不況脱却」のための金融政策を要求したが、日本経済はデフレ不況と言えるほど総供給量が総需要量を過度に上回っていたのだろうか。もしそうだったら企業倒産が相次ぎ、失業者が増大して金融恐慌が生じかねない事態になっていたはずだ。
確かに中小企業の倒産件数だけ見れば、バブル景気崩壊以降の「失われた20年」の間に増大した。が、それは日本の輸出産業の海外移転(いわゆる産業空洞化)によって下請中小企業の仕事が減少した結果や、海外からの安い輸入品によって国内産品が競争に敗れたケースが大半だ。「デフレ不況」と言えるほど物価が極端に下落し続けたわけではない。
現に、黒田日銀が掲げ続けている物価上昇率2%には程遠い状況が続いているが、この間景気指数はバブル期やいざなぎ景気を超えた長期上昇を記録している。人件費も上昇し、人手不足による倒産(黒字倒産)も散見するようになっている。また業種によっては人件費高騰による価格の引き上げを行う企業も続出する一方、需要の増大を期待して価格を引き下げる企業もある。
黒田日銀の金融政策はケインズ理論に基づいていると言われるが、ケインズ理論は大不況のときの景気浮揚策として財政出動による公共工事の増大を主張したもので、金融緩和によるインフレ策など主張していない。たまたま過去、景気上昇期にはインフレが進むという経験則を「神話」のごとく神棚に祭ったのが黒田バズーカ砲に過ぎない。
確かに景気が上昇するということは総需要が増大する結果を生むから一時的に物価は上昇する。景気上昇が長く続けば総需要が増大し続けるから物価上昇が長期にわたって続くことは容易に想像がつくが、時に需要の伸びを読み誤るとたちまち供給が需要を上回って物価が一気に下落することもしばしば生じる。そもそも日銀が金融緩和を行い、金融機関が企業に過剰な融資を行えば、供給量が増大して需要を上回ってしまい、かえってデフレ状態になるはずだ。そのくらいのことは中学生では無理にしても、高校生くらいの理解力があれば、十分理解できるだろう。
実はそういう状況が、いま不動産業界に生じつつある。日銀のマイナス金利政策によって金融機関が不動産業界に過剰な融資を続けた結果、金融機関の不動産関連への融資総額はバブル期を上回る状態になり、都心や交通至便な大都市近郊の土地価格が急上昇している。8月26日付朝日新聞の記事によれば、こういう状態のようだ。
「投資家からお金を集めて不動産を買い、賃料収益などを分配する上場不動産投資信託で、最近取得された物件の物価水準が、相続税などの基準になる路線価の平均2.6倍となっていることがわかった。目安とされる1.5倍程度より高く、一部では10倍超の物件もあった。日本銀行の金融緩和であふれたお金が不動産市場に流入し、東京の2017年分の最高路線価はバブル期を超えている。取引価格も高めになっており、『新バブル』の懸念も出ている」
実は、そういう状態はすでに2年近く前から指摘されていたようだ。アパートや賃貸マンションが急増し、供給過多によって賃料相場が下落局面に入っているというのだ。金融緩和が、かえってデフレを招来するという現実が不動産業界で生じている。もしこの不動産バブルがはじけたら、不動産関係に融資を拡大してきた金融機関はたちまち窮地に陥る。すでにメガバンクなどの都銀は不動産関係への融資を手控えつつあるが、体力が弱い地銀や信金などのトップは今ひやひやしているという。
さらにメガバンクはもう一つ頭痛の種を抱えている。「カードローン」なる消費者金融の拡大だ。バブル期のカードローンはいちおう不動産(持ち家など)を担保に取っていたが、いまのカードローンは無担保の消費者金融だ。ローン金利は融資先の信用度によってかなりの幅はあるが、一流企業の正規社員でも、いまの時代、先のことは分からない。低金利の住宅ローンと異なり、メガバンクにとっては「禁じ手」のハイリスク・ハイリターンの商品だ。ローン破産者が続出するような事態が生じたら、メガバンクと言えど無傷ではいられない。
不動産融資とカードローン。金融機関は黒田バズーカ砲のマイナス金利政策によって、とんでもない爆弾を抱えることになった。
金融緩和は、劇薬だ。景気を刺激する側面は否定できないが、いまの日本の産業界の状態をみると副作用のほうが大きいと言わざるを得ない。
金融緩和はお金の供給を増やすことを意味する。日本のお金は円である。
円の供給を増やせば円の価値が下落するだろう。つまり円安になるだろう。円安になれば日本の輸出産業の国際競争力が回復するだろう。競争力が回復すれば、輸出が増大して、輸出製品のメーカーは製品の増産を図るために設備投資をするだろう。失業率も改善するだろう。賃金も上がるだろう。賃金が上がれば、消費が増えるだろう。消費が増大すればメーカーはさらに製品を増産するために設備投資をするだろう。……。
はっきり言ってすべて「絵に描いた餅」、机上の計算に過ぎない。アベノミクス・サイクルは「…だろう」を前提にした計画でしかない。
実際、円安によって輸出産業界は国際競争力は強まったが、設備投資をして人を採用して…という安倍・黒田タッグのもくろみ通りになっただろうか。自動車や電機など輸出産業界は設備投資に動かなかった。しかし、円安のメリットだけはちゃっかり腹いっぱいため込んだ(いわゆる「為替差益」)。
設備投資はリスクが大きい。自動車は若者のクルマ離れもあって国内市場はすでに縮小状態に入っている。電気製品も新しい需要を喚起するような物は、もう当分出てこないだろう。一時期スマホブームで活気を呈したが、富士通がスマホから撤退するなど頭打ちに入った。
安倍さんがいくら笛を吹いても、メーカーは踊らなかった。すでに書いたようにプラザ合意による円高局面での輸出メーカーのビヘイビア原理を思い起こせば、ハイリスク・ハイリターンの設備投資には踏み切らないことを理解すべきだった。社員の首を切ったり工場を閉鎖することが簡単な海外と違い、日本では会社がつぶれない限り簡単に工場を閉鎖したり、社員の首を切ったりはできない。円安誘導で国際競争力を強めてやっても、生産を増やさずに輸出価格を据え置いて為替差益だけちゃっかりため込む輸出メーカーの体質は、すでに証明済みだったはずだ。そのことがわかった時点で、黒田日銀は金融緩和をストップすべきだった。そうしなかったのは、金融政策の失敗を自ら認めたことになるからか。ま、そんなとこだろうな。(了)

実は、この記事は解散風が吹き出す前に書いたものです。解散風が急に吹き出し、選挙をずっと追いかけてきたため、この記事をお蔵入りさせてきました。が、最近メガバンクがこぞって大幅な人員整理と店舗網の縮小計画を発表しました。金融機関がそこまで追い詰められていることの証左です。そのため、いったんお蔵入りさせてきたこの記事を急きょ投稿することにしました。投稿に際し、好景気の長期化と加計学園の認可についてだけ付け加えました。


 

コメントを投稿