小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

検察庁法改正は今後どうなるのか――継続審議か廃案か。それとも……。

2020-05-19 09:01:56 | Weblog
 今国会での法案成立を断念した安倍総理は「国民の理解なしに前に進むことはできない」と記者団の質問に答えた。では検察庁法改正は秋の臨時国会に継続審議になるのか、それとも廃案になるのか。それとも改正案を練り直して国民の理解が得られる内容にして再提出するのか。メディアが相変わらず短絡思考なのは、改正案をそのまま継続審議にするか、廃案にするかの二者択一しか考えていないことだ。私は改正案を練り直して再提出する可能性が一番高いと思っている。
 私がそう考えた理由は二つある。ひとつはいつ収束するか、先が見えないコロナ禍で国民生活は疲弊しきっている。派遣切りや契約社員の雇止めで収入がゼロになった人たちも少なくない。そうした状況下で、これまで政治問題に声をあげることがほとんどなかった芸能人たちも、映画・テレビドラマの撮影は延期、テレビのバラエティ番組や公演、コンサートなども3密禁止で事実上の失業状態に陥り、経済的に余裕がある松本人志氏が若手芸人の「おもろい奴」に無利息で一人100万円を融資するなど、生活苦に陥っている中で、なぜ今公務員や検察官などの、悪いことさえしなければ首にもならず給与も保障されている人たちだけの処遇をさらに厚くする法案をいま審議している場合か、という政治の在り方に対する国民の反発が大きかったことが背景にある。「不要不急の外出自粛」を国民に要求していながら、国会では「不要不急の法案成立」に血道をあげている安倍内閣への呆れかえった不信感が爆発したともいえる。だからコロナ禍が終息して国民生活が安定を取り戻していない限り、改正案の中身もいじらず秋の臨時国会に再提出したら、「国民をバカにするのか」という怒りが燎原の火のごとく燃え上がることは必至だ。法案を練り直すにしても、国民生活が安定を取り戻すまでは、お蔵入りせざるを得ないだろう。

 もう一つの問題は検察官の定年延長だけでなく、えん罪事件など検察の暴走を何とかする必要があることも確かだ。安倍総理は「検察は強い独立性を持っているが、検察官は行政官でもある」という検察の位置づけについてである。最近、韓国で検察の権力があまりにも強すぎるため、文大統領が検察改革を推し進めようとして、志を同じくしていた曹国(チョ・グク)氏を法相に起用したものの、曹国氏の家族の不正が検察当局によって摘発され法相を更迭せざるを得なくなったこともある。
日本でもまだ私たち国民の記憶に新しい「郵便割引不正事件」で検察の在り方が厳しく問われたことがある。定期刊行物は一定の条件を備えていれば「第3種郵便物」として低料金で発送でき、とくに障碍者団体が発行する定期刊行物はさらに割り引かれるという制度を悪用して「凜の会」や「健康フォーラム」を名乗る団体がベスト電器や紳士服販売店、通販健康食品会社のダイレクトメールを障碍者団体の定期刊行物と偽って約37億5000万円を不正に割引させた事件。この事件で問題になったのは障碍者団体の定期刊行物であることを証明するためには厚労省が発行する証明書が必要であり、その証明書の発行権限は当時、厚労省障害保健福祉部企画課長の村木厚子氏にあった。この事件を捜査していた大阪地検特捜部は村木氏が不正に関与していたとして逮捕、村木氏を有罪にするため証拠書類をねつ造したり、取り調べ関係書類を破棄したり、検察に対する信頼は地に落ちた。検察は強力な権限を有しているだけに、その権力を不正に使用させないための何らかの方法が必要であることは疑いを入れない。が、政府が検察をチェックするという事態にすると、検察が「官邸の守護神」になりかねず、そういう意味で私は検察庁法改正に反対してきた。

 ではどうしたらいいか。まず私たちが民主主義の原則と考えてきた「三権分立」の制度設計について考え直す必要があるのではないか、という結論に私は達した。三権分立の政治システムは1789年の勃発したフランス革命で発令された「フランス人権宣言」がベースになっているが、司法(裁判所)・行政(官公庁)・立法(国会)を三権とする考え方である。実はこの制度設計には大きな二つの問題があると私は考えている。
 一つは検察・警察の権力をこの制度設計の中でどう位置付けるかという問題だ。政治権力の支配を受けず、かつ検察・警察が有する国民の目に触れない権力にどう縛りをかけるかという新たな制度設計が必要なのではないかと私は考えている。具体的には検察・警察機構を行政から分離して四権分立にしたうえで、政治権力にも行政にも属さない「第四の権力」に対する監視機構(とりあえず大学の法学部教授・名誉教授、弁護士、検察OBなどで構成員する)がチェックする仕組みを構築すべきだろう。いちおう取り調べの可視化は進むことになったが、村木氏を有罪にするために証拠書類をねつ造するような不正までは可視化できないから、いかなる権力にも屈しない第三者の公正・公平なチェック機構をつくるべきだと思う。
 もう一つは政府(内閣)の位置づけについても制度設計を改めるべきだと、私は考えている。というのは、日本は議院内閣制であり、総理大臣(首相)は立法府である国会で選ばれる。いうまでもなく立法府の長は総理大臣ではなく衆参両院の議長である。実は安倍総理は国会答弁で何度も「私は立法府の長としてここに立っているわけであります」と、政治家としてあるまじき発言を繰り返し行っている。なぜ安倍総理はそういう勘違いをしているのか。国会で総理大臣は指名される。その国会は立法府であり、唯一国会で選挙により指名されるのが総理大臣のため、安倍さんは立法府の長でもあると思い込んでいるようなのだ。確かに衆参両院の議長は国会での選挙では指名されないが、国会議員の中で最も報酬が多いのは衆参両院の議長なのだ。総理大臣の報酬は議長の次で、最高裁判所長官と同額である。そんな報酬の多寡はどうでもいいのだが、総理大臣は内閣を構成する大臣の任命権を有している。そして内閣(政府)は行政府である。つまり総理大臣は行政府のトップなのだ。そういう制度設計になっている以上、三権分立と称しても、実際に行政を担当する省庁は立法府で選出された内閣総理大臣の指揮下にあるということになる。つまり行政権は立法権に属することを意味する。そういう制度設計で、日本は三権分立の国と言えるのか。
 もちろん私は内閣(政府)の存在を否定したいわけではない。各省庁が個々バラバラに自分たちの都合で行政権を行使するようになったら、それこそ無政府状態になり国民生活は大混乱をきたす。どうやったら内閣を立法府から外して行政の整合性の維持・監督にのみ徹する機構にしたらいいか、制度設計をゼロから作り直す必要があるのではないかと思う。議院内閣制ではなく、大統領制に移行するのも一つの選択肢ではないかとは思う。