小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

今年最後のブログーー消費税増税とアベノミクスの再検証

2018-12-30 03:11:58 | Weblog
 今年もいろいろあった。流行語大賞は昨年と同様、事前に予想されていた通り「そだね」になった。一方今年の漢字は、予想もつかないケースが目立った。とくに安倍総理の「転」にはびっくりした。
「転」は音読みすれば「転換」や「転機」の「てん」だが、訓読みすれば「ころ(ぶ)」である。今年、何が「転換」あるいは「転機」になったのか、いろいろ考えたが、何も変わっていない。景気が良くなったわけでもないし、あえて言えば3月に米トランプ大統領が始めた保護貿易主義まる出しの関税強化政策と、それに正面から対抗した中国との貿易戦争くらいしか思い浮かばない。とすれば音読みではなく、訓読みの「ころぶ」を意図した感じというのが私の結論だ。「わかっているなら、はよ転んでくれや」。
 あっ、消費税増税を決めたことか。「消費税増税の前にやらなければならないことが山ほどあるだろう」という正論もあるが、私自身は消費税増税は日本の財政状態から考えてやむを得ないと思っている。
 が、増税による景気後退を何とか食い止めるために様々な「景気対策」を打つという。
 そうなると、ちょっと待ってよ、と言いたくなる。
 安部さんはこれまで「アベノミクスは成功している」と言い続けてきたはずではなかったか。第2次安倍政権がスタートしたのは2012年12月26日。つまり丸6年になる。安部政権は「デフレ不況脱却」を経済政策の基本線に据え、黒田日銀総裁とタッグを組んで、これ以上は不可能といえるほどの金融緩和で景気を刺激しようとしてきた。確かに富裕層の潤沢な資金が株式市場に向かって、日経平均は一時、バブル崩壊以降の最高値を更新するなど、証券業界は大いに潤った6年間だった。
 また、これは安部さんだけの責任とは言えないが、東京オリンピック開催が決まって都心のマンションやホテル建設ラッシュで、崩壊寸前だった金融機関は一息ついたようだ。日銀のマイナス金利政策で悲鳴を上げ、店舗網縮小を打ち出していたメガバンクは、少なくとも現時点ではその動きをストップしている。しかしこの不動産バブルがいつまで続くことやら?
 なお安部さんと黒田さんが「デフレ不況脱出」の目安としてきた消費者物価指数(前年同期比)は、この6年間、一度も目標として掲げてきた2%に達したことはなかった。だから日銀もマイナス金利政策にストップをかけることができず、金融機関の融資先はきわめてリスキーな不動産関連融資とサラ金事業に前のめりにならざるを得ない状態が続いている。
 一方アメリカは今年に入って一度も消費者物価指数がプラス2%を割ったことがなく、米州貿易戦争のあおりで5~9月にかけて3%近い物価上昇率を記録、そのため物価安定を図るためFRB(アメリカの中央銀行)は10月までに3度の利上げを行い、11月の物価上昇率は安部さんもうらやむ2.2%と、理想的な水準に戻った。が、12月18日、FRBのパウエル議長は何をトチ狂ったのか、4度目の利上げを発表した。利上げつまり金融引き締めは景気を後退させる。パウエル氏は来年も利上げを行うというから、アメリカは下手をするとスタグフレーションに陥りかねない。パウエル氏はアメリカ経済の持続的景気を目的にするのではなく、トランプ政権打倒のための金利政策に踏み切ったとしか考えられない。アメリカの大統領は日本の総理大臣と違って強大な権力を有しており、トランプ大統領の気まぐれ政策に対して権力の中枢からも反発の声が次々に生じ、そのたびにトランプ氏は「モグラ叩き」を余儀なくされている。おかげでニューヨークダウは急速に下落し、連れションで日経平均も大幅下落した。
 アベノミクスが順調に成果を上げているというなら、2%程度の消費税増税でおたおたして景気の冷え込みを心配することはないだろう。軽減税率一つとっても、当初は生鮮食品など未加工食料品に絞るはずだったが、いつの間にか加工食品にまで対象を広げ、結果、大混乱を引き起こした。コンビニやスパーなどでのイートインは「外食に当たる」という判断から軽減税率の対象外としたことで大きな矛盾が生じる結果になった。つまり食べる場所が店内なら10%、店外なら8%ということで、そうなると宅配の鮨やピザは「配達」という店内飲食以上のサービスを伴うのに、軽減税率の対象になるということになった。これって、だれもおかしいと思わないのかな?
 まして零細業者を対象にポイント還元までやるという。安部さんに言わせれば「キャッシュレス化を進めるため」らしいが、なぜ消費税増税とくっつけてやるのか、説明は一切ないし、野党も追及していない。竹下内閣が行った消費税導入時は「年間売り上げ3000万円以下の店や個人は消費税をとらなくてもいい」ということにした(今は1000万円以下)。
 言っておくが、消費税は預り金であり、零細小売店や個人は「消費税を預からなくてもいい」という意味で、「預かった消費税をネコババしてもいい」という意味ではない。が、悪質な零細小売業者が少なくなく、消費税上乗せ名目で値上げしながら、客から預かった消費税をネコババするケースが後を絶たず、安部さんが無理やり消費税増税とキャッシュレス化を同時に行おうとしているのは「ネコババ」のあぶり出しが目的だからだ。キャッシュレス化を行うにはクレジットカードや電子マネーでの支払いができるレジスターの導入が必要になり、レジスター導入のコストの大半を政府が負担してまで強行しようというのは、そのためでしかない。
 もっとも小売業者のほうも、かなり悪質なケースが目立つ。橋本内閣が消費税増税時(3%→5%)に、小売業者に内税方式を義務付けた。つまり小売価格にあらかじめ5%分の消費税を含めて販売価格を表示しろというわけだ。その時メディアは一斉に将来の再増税をやりやすくするためと論じていたが、安倍内閣は8%増税時にその縛りを外してしまった。その結果、どういうことが生じたか。さすがに大手小売業者は小ずるいことはしなかったが、中小零細の小売業者(飲食店を含む)は、5%の消費税を含んだ従来の小売価格に8%の消費税を上乗せするというアコギなことをした。つまり、そういう店で客は実質13%の消費税を支払わされてきたのである。はっきり言えば、そうした悪徳小売業者(飲食店を含む)をあぶりだすことが、消費税増税とキャッシュレス化を同時に行う目的であり、そのためには一時的に逆ザヤになる5ポイント還元さえ辞さずというのが、ばかげた景気対策の実態なのだ。
 それならそれで、そうした目的を国民にはっきり言えばいい。そのうえで、時限立法的な5ポイント還元などというまやかしサービスで国民をごまかすのではなく、国がすべての小売業者(飲食店を含む)に同一規格のレジスター設置を義務付け、無償で貸与するようにすればいい。消費税のネコババ防止のためなら、それが一番効果的だ。まさか、貨幣の製造にかかるコストを削減することがキャッシュレス化の目的ではあるまい。
 さらに国民を愚弄した「景気対策」がある。プレミアム商品券と称するものだ。これは消費税増税が低所得層に与える打撃を緩和する目的で発行される金券で、1枚500円分の商品券を住民税非課税世帯と0~2歳の幼児を子育て中の世帯に限って最大500枚まで買えるという。子育て世代はこの金券で買い物をするのに抵抗感を覚えないだろうが、低所得の高齢者はかなりの苦痛を感じると思う。「私は貧乏人です」という看板を首にぶら下げて買い物をするようなものだからだ。悪評サクサクとなることは目に見えている。また、プレミアム商品券を買うにもかなりの抵抗があるはずだ。おそらく市役所とか区役所だろうが、利便性を考えて郵便局でも、ということにすると市役所なり区役所なりから送付されてくるだろう「低所得者証明書」を持っていかなければ購入できない。当然「近所の人の目」が気になる。
 私は前に書いたブログでも、低所得者には(子育て世帯を含めてもいいが)恒久的な給付金支給制度を設けて、消費税増税による負担増の軽減化を図るべきだと思う。
 また軽減税率の導入に関しては新聞は対象から外すべきだし、また加工食品(弁当など)については店内のイートインか持ち帰りかを基準にすべきではなく、飲食に伴う店側のサービスが行われるか否かを基準にすべきだと主張してきた。そうすれば、店側のサービスが一切ないコンビニやスーパーでのイートインは軽減対象にできるし、一方過剰サービスともいえる宅配は店外での飲食であっても軽減対象から外すことができる。イートインが軽減されずに宅配が軽減されることに、国民が納得するだろうか。極めて非条理な軽減税率システムと言わざるを得ない。官僚や政治家が机の上でだけ増税対策を考えると、こういうばかげた案しか出ないという格好のケースだ。言っておくが、寿司やピザ、ファミレスなどが提供している宅配サービスは例えば1500円以上とか金額の制限がある。貧乏人には無縁のサービスだ。また宅配ではなく、取りに行けば料金がサービスされる。もちろん同じ寿司であり、ピザだ。そういう下々(しもじも)の実情を、官僚や政治家はわかっているのかいな?

 次にアベノミクスは本当に成功したのかを検証する。これまでもすでに何度も検証作業は行ってきたが、今回は新しい視点を入れて再検証したい。その新しい視点とは、アベノミクスが行ってきた経済政策についての本質的な疑問についてである。
 安部第2次政権が誕生した時、安倍総理は「デフレ不況からの脱却」を基本的目標にした経済政策を打ち出した。当初の経済政策は「金融緩和による円安誘導で日本企業の輸出競争力の回復」と「大胆な財政出動(※ハコモノ公共事業を推進すること)で景気を刺激する」という2本柱だった。のちに「成長戦略」なるものが加わって「アベノミクスの3本の矢」と称するようになるが、最初は二つだけだった。
 まずデフレ、インフレについての経済認識基準であるが、過度のインフレやデフレを別にすれば、適度のデフレ状態は生産者にとっては困るが、消費者にとっては返って好ましい状態である。逆に適度のインフレ状態は生産者にとっては望ましいが、消費者にとっては(物価上昇率を上回る収入増がなければ)生活が苦しくなる。デフレは通貨の価値が高まり、インフレは通貨の価値が下落するからである。
 そこで、安倍総理はなぜ「デフレ脱却」を経済政策の柱にしたかである。はっきり言えば「経済成長至上主義」が安倍総理の思考法の原点にあったからだ。経済成長の指数は一般にGDP(国内総生産)によってあらわされるが、なぜGDPを上げ続けなければならないのか、という基本的な問題に安倍総理は答えていない。論理的根拠を抜きにしたGDP神話の信奉は、宗教と何ら変わるところがない。
 翻って安部第2次政権が発足した時期も今も、日本経済を支える基幹的要素は変わっていない。というより、より悪化しており、今後も改善に向かう可能性はほぼゼロといっていい。その基幹的要素とは「少子高齢化」の波である。
 私は高度経済成長時代もバブル時代も経験してきたが、私たちの年代(現在、後期高齢者)の進学率は極めて低かった。私の小学校のクラス(40数人だったと思う)のうち4年制大学に進学したのは男子生徒で7~8割いたが、女子生徒は一人だけだった(当時専門学校はまだなかったと思う)。大学に進学した女生徒はとくに学力優秀だったというわけではなく、親が地元で有数の資産家だった。小学校は、いまでは都内でも有数の高級住宅地とされている世田谷区深沢である。
 私たちの世代がバリバリの現役世代だったころ、日本は高度経済成長時代に突入した。中卒で就職した人たちは、東京では大田区を中心とした工業部品メーカーに就職し、関西では東大阪市の部品メーカーに就職した。彼らは「金の卵」と呼ばれ、日本の高度技術製品の信頼性を底辺で支えてきた貴重な人材だった。日本の金型の精度は世界一と高く評価されていたが、それは「金の卵」の技能者たちの血と汗の経験のたまものだった。今「金の卵」は死語と化している。日本経済の高度成長により一般家庭もそれなりに豊かになり、子供たちの高学歴化が急速に進んで中卒で就職する人が激減したためだ。
 そうした傾向は女性のほうにより顕著に表れた。今年度の4年制大学進学率は男性51.1%、女性47.8%と、男女差はわずか3.3%でしかない。短大まで含めると大学進学率は男性52.1%、女性57.3%と、完全に逆転している。一時は女性の間で、就職には4大卒より短大卒のほうが有利という状況もあったが、いまは企業も優秀な女子社員を求める傾向が強くなり、有能な女性は短大より有名4大を目指すようになっているという。
 かつて高度経済成長時代、「男はバリバリ仕事をして金を稼ぎ、女は結婚したら家庭に入って子育てに専念する」という風潮があった。実際、これは偶然だが、私が結婚してアパートに新居を構えた時、そのアパートが新築だったこともあって全6世帯がすべて新婚で、奥さん方は全員仕事を辞めて専業主婦になった。また女子社員は20代半ばを過ぎると上司から「寿退社の相手はまだいないの?」と、やんわり肩をたたかれる時代でもあった。戦後のベビーブームもあって若い働き手が余っていた時代でもあった。
 いま核家族化が急速に進み、小さい子供の世話をしてくれる祖父母が近くにいないということもあり、ただでさえ女性にとって子育ては大変な重労働になっている。しかも女性の高学歴化に合わせて、社会も女性の活用を求めるようになり、女性が子育てや家庭を守るといった社会的風潮は今や過去のものになっている。女性の高学歴化とともに、社会も女性労働力の活用を要求するようになり、女性がかつての男性と同様、仕事や社会の中で新たな生きがいを求めるようになるのは当然の帰結である。ということは、今後いかなる政策をとっても少子化の流れは止められないということを意味する。
 そういう時代の流れがわかっていたら、保育園づくりについての考え方も考え直す必要があることは中学生でもわかるだろう。少なくとも保育園を増やせば増やすほど、女性の新しい生き方や価値観を支援することになり、少子化はますます加速することを。女性が新しい生き方を求めることを私は非難するわけではないが、「自分の生き方のために税金を使ってくれ」というのは、いかがなものかと思う。民放の報道番組によれば「企業内保育所」の不備が今問題になっているようだが、女性が安心して子供を預けられるような企業内保育の環境を整えることが、ひいては女性の活用を高めることになることに企業は理解を深める必要があるだろう。
 いずれにせよ、少子化に伴う労働力不足は今後、ますます増大する。そこで、私たちはこれからの日本という国の在り方はどうあるべきかを、国民全員で考えるべき時に差し掛かっているのではないか。労働力不足が続く中でなおGDP神話にしがみついて経済成長至上主義の政策を継続すべきか、それとも身の丈にあった国づくりに方向転換すべきかの曲がり角に、いま日本は来ているのではないか。与野党もメディアもそうした問題提起や議論をまったくしていないのはどういうわけか。アホばっかりそろっているからか…。
 経済成長至上主義の政策を続けるのであれば、私が12月10日に投降したブログ『外国人労働者受け入れで、日本がどう変わる?――人手不足の対症療法で日本の国のかたちが変わることも…』で書いたように、日本が日本でなくなる日が来る可能性も否定できない。「それが新しい日本になってもいいではないか」という考えがあってもいい、とは私は考えているが、そういう大事なことを当面の人手不足対策の対症療法政策で決めてしまってもいいのか。
 アベノミクスのそもそもの間違いは、金融緩和で通貨の価値を下落させれば、通貨の価値がさらに下落する前にものに替えようという需要が増えてデフレから脱却できると短絡的に考えたことにある。しかし、日本の家計金融資産総額1829兆円(8月14日発表の日銀レポートによる)の大半は高齢者富裕層に集中しており、そういう富裕層は自らの金融資産の下落を回避するため、株や不動産に投資しただけで肝心の消費は上向かない。高齢者富裕層は欲しいものはすでに持っており、金融緩和によって通貨価値が下落しても、いまのうちに消費生活をより豊かにしようなどとは考えてくれない。
 だから私は、第2次安倍政権が誕生した時に、ブログ『新政権への期待と課題』で、相続税と贈与税の関係を逆転させて、高齢者富裕層がため込んでいる金を子供や孫への移転を促進すべきだと書いたのだが、やることがせこくて中途半端だから効果が十分に表れない。
 そもそも日本が相続税を軽くして贈与税を重くしてきたのは、明治維新以来日本の産業を近代化、高度化するために国民に貯蓄を奨励し、産業界への資金供給するための政策の一環だった。そのため日本は、おそらく金融機関の総店舗数(国民1人当たり)が世界で突出するほどの数に達しているはずだ。すでに日本の金融機関は国民から産業界が必要とする資金を集めるという役割を終えているのに、いまだに店舗網の集約になかなか踏み切れない。年功序列終身雇用という、いまや幻と化した日本型雇用形態にしがみついているためだ。
 そうした日本の置かれている状況を十分理解できずに、経済成長至上主義の政策を続けることが日本の国益にかなうと考えたのがアベノミクスの悲劇であった。

 年の終わりで、私も何かと忙しい。この辺で今年最後のブログを終えるが、マティス国防長官を辞任に追い込み、パウエルFRB議長の解任に躍起になっている米トランプ大統領政権に新名称を授与する。
「モグラ叩き政権」
 どうですか。なかなかいいネーミングだと思いませんか。

【追記】今日(30日)、アメリカ抜きに日本など11か国でTPP(環太平洋経済連携協定)がスタートする。日本の工業製品の輸出は増えることが期待されているが、その一方、海外の農産物や畜産物は輸入が急増して供給過多になる可能性がある。需要が供給を上回れば、その分野ではデフレ状況になる。最悪の場合、デフレによる物価下落と生産者の淘汰が進むというデフレスパイラルに陥る危険性もある。昔から「豊作貧乏」という言葉もあるではないか。豊作ではなくても、輸入による供給過多は同じ現象を生む。
 政府は日本の農家や畜産家を守るといっているが、どうやって守るのか。関税を引き下げてもセーフガードで輸入制限すれば、他のTPP諸国から非難が殺到することは間違いない。
 いかなる政策もプラスの面だけではなく、マイナスの面も不可避的に伴う。とくに経済政策は利害が相対する生産者と消費者のどちらに軸足を置くかで、有利になる側と不利になる側が必然的に生じる。にもかかわらず、政治家はそのことを正直に国民に説明しない。メディアもまた、わかっているのかわかっていないのか不明だが、そうした深刻な問題には目をつむる。こうして肝心の国民が置いてけぼりにされた政治が進む。
 
 読者の皆さん、今年も有難うございました。では、あまり期待できそうもない新しいお年を。あっ、私のブログだけは期待してください。