小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

徴用工問題ーー日韓どっちに分があるか? 日本政府はかつて個人請求権を認めていた!! 

2018-12-01 01:12:32 | Weblog
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という格言がある。格言といっても、それほど古くから定着してきた格言ではないようで、旺文社の『成語林』によれば明治維新の時に生まれたようだ。
 意味は誰も理解しているように、戦争で勝ったほうが常に「正義」であり、負けたほうは常に「不正義」だということだ。似た格言に「敗軍の将、兵を語らず」というのもある。この格言の語源は『史記』にあり、負けたほうは言い訳を一切してはいけないという意味のようだ。
 いま日韓の関係が戦後かつてないほどぎくしゃくしている。文大統領になって以降、そうした傾向に拍車がかかっているが、文氏が韓国で最初の革新派の大統領というわけでもない。革新系という意味では最初の金大中大統領の時代には、日韓関係は決して悪くなかった。日本の資金的・技術的援助で韓国は急成長しており、韓国内の対日国民感情もそれほど悪くなかったと思う。
 では、なぜ急に韓国人の対日感情がこれほど悪化したのか。韓国はいま国民生活が疲弊しているといわれる。そうした状況はリーマン・ショック以降、いまでもひきずっているらしい。とくに若い人たちの就職難はひどいという。産経新聞の18年2月5日付記事にはこうある(一部転載)。

「大学は出たけれど」。就職できない大卒者の姿を描いた小津安二郎監督(1903~1963年)による1929年公開の映画だが、これをほうふつさせるのが今の韓国だ。2017年の大卒以上の高学歴者の失業率が高校卒の失業率を上回ったという。文在寅(ムン・ジェイン)政権は雇用の創出を重要な政策課題としているが、就職難は悪化の一途。「ヘル(地獄)朝鮮」と自虐的に語られる韓国の若者の生きづらさは隣国の日本からみても痛ましい。
 「家に一人でいると、ふと『こんな生き方でいいのだろうか』と思う」。中央日報は、昼夜が逆転した生活が1年以上続き、鬱病と診断された26歳の大学生の声を伝えている。
 同紙によると、韓国では20代の鬱病患者が12年の5万2793人から16年は6万4497人と22.2%増えた。60代以上の増加率(20%)より高い。
 症状が悪化し、自ら命を絶つ人も増えているようだ。20代の死因で最も多いのは自殺で、16年の全体の自殺率は低下したが、20代は横ばいだった。
 そもそも韓国の自殺率は03年から経済協力開発機構(OECD)加盟国中ワースト1位で、1日平均36人、年間1万3092人(16年ベース)が命を絶っているという。
 これ以上、韓国若者たちの悲惨な状況をお伝えしたくない。若者たちが絶望になり、怒りの矛先を何かにぶつけたくなるのもやむを得ないとは思う。こうした場合、政権が国内に渦巻く不満のはけ口を国外に求めるのは政権維持のための常とう手段でもある。その矛先が、いま日本に向けられている。その格好の材料にされたのが慰安婦問題であり、徴用工問題ではないか。そう考えるのが文理的であろう。
 私は慰安婦問題にしても、徴用工問題にしても、当時の日本軍や日本企業を支持するつもりもないし、弁護するつもりもない。つもりはないが、やはり歴史の検証は「負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」でいいのか、という疑問はこれまでも呈してきた。歴史の検証だけは、感情を優先せず、あくまでフェアに行うべきだというのが、私の唯一のスタンスである。
 まず慰安婦問題。これまでも書いてきたが、軍が慰安所を設置したのは事実である。なぜ、軍は慰安所を設置したか。
 誤解を恐れず書くが、占領地における日本軍兵士の性犯罪を防止するためだったと、私はかなりの確信を持って考えている。これは宗教観の相違によるが、日本人の精神的規範には仏教の教えが強く根付いている。神道を宗教と考えている人もいるが、神道は宗教ではない。宗教には絶対不可欠な戒律が神道にはないからだ。仏教の教えには「殺生をするな」という絶対的戒律がある。だからかつての僧侶には肉食が禁じられていた。また妻帯も禁じられていた。カソリックの神父や修道士・修道女も同様だ。そこで問題が生じるのは、若い僧侶(尼僧も含む)はどうやって性欲を処理していたかということだ。男色あるいは尼僧との性関係、そうした機会に恵まれない状況にあると、必然的に性犯罪に走ることになる。カソリックも同様だった。だから今では両方とも妻帯を認めることにした。
 宗教の戒律には必ず性問題が含まれている。キリスト教では不倫(婚外の性関係)を罪悪とみなしているため、例えばアメリカには日本のソープランドやそれに類する性風俗店は認められていない。そのため、アメリカの売春婦はストリートガールと呼ばれる。つまり街中で男をひっかけるわけだ。
 問題は戦地に送られた兵士たちの性欲をどう処理するかである。アメリカなど不倫は絶対悪とみなしている国では、兵士たちの性欲を処理するための施設(つまり慰安所)を政府や軍が設置するなどというのは論外である。そのため戦地での性犯罪はアメリカ人兵士が最も多いといわれている。実際ノルマンディ作戦でドイツ軍を撃破し、ドイツの占領下にあったフランスを解放した米軍を歓迎したフランス女性は彼らの性欲の犠牲になった。
 日本でも軍本部や政府が最も苦慮したのは、戦地での日本兵士の性処理問題だった。彼らが戦地や占領地で性犯罪に走らないようにするためには、性欲処理のための慰安所を設置する以外に方法はなかった。だから基本的に慰安所での慰安婦は「募集」という形で集められた。そしてかなりの規模の都市部では、慰安婦はおそらく簡単に集めることができたであろう。が、「自発的な慰安婦」を十分に集められないような地域では、募集の依頼を受けた業者が「日本軍の命令だ」と称して強制的に集めたり、あるいは兵士が上官の命令を無視したり、また上官も見て見ぬふりをしたりして慰安婦を強制的に集めただろうことも十分考えられる。軍本部や政府がそうした行為を禁じる文書を各方面軍や傘下の部隊に配布・通達していれば、今頃になって慰安婦問題が国際化することはなかった。また慰安所設置や慰安婦募集についての原則を正式な文書で通達していれば、やはり慰安婦問題は生じていなかったであろう。やはり当時の政府や軍本部に、慰安所設置や慰安婦募集を公然と行うことへの後ろめたさがあったためかもしれない。
 右寄りとされるメディアは、自ら慰安婦に応募して大金を稼いだケースなどを取り上げて、慰安婦問題がなかったかのような主張をしているが、そうした主張もまたフェアな歴史認識方法とは言えない。「樹を見て森を語る」とは、そういう主張の在り方をいさめるための格言である。慰安婦問題には様々な事実があり、その一つひとつはジグゾーパズルのピースに過ぎない。いくらピースを集めても、集めるだけではパズルを組み立てることはできない。またピースがすべて揃っているわけでもない。ピースを組み合わせながら欠けているピースを想像力で埋めていくのが最もフェアに近い方法だ。だから、そのとき働かせる想像力には、きわめて論理的な方法が要求される。そうやって歴史の真実に迫るのが、正しい歴史認識の方法論である。全世界に共通の「勝てば官軍、負ければ賊軍」や「敗軍の将、兵を語らず」といった価値基準を歴史認識の方法に持ち込み続けていると、世界から戦争をなくすことはできない。
 徴用工問題も同様だ。おそらく韓国人の徴用工は、日本人労働者に比べ、かなりひどい扱いを受けていただろうことは、いまの外国人技能実習生に対する雇い主の扱いを見ても、想像に難くない。ただ慰安婦問題と異なり、徴用工問題はもっと複雑なようだ。
 日本の朝鮮統治時代についての韓国および韓国人が被った損害賠償についての日韓交渉は1965年に決着し、日韓請求権協定が結ばれた。その第2条1項にはこうある。
「両締結国(※日韓のこと)は、両締結国及び国民(法人を含む。)の財産、権利並びに両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
 ただし、実は2項で「最終的解決」から除外されるケースが記載されていて、除外対象は「1947年8月15日から協定発効までの間、(日本に)居住したことがあるものの財産および利益」(要約)とされている。ここで記載された1947年8月15日がどういう日だったのかが、日本史年表でも韓国史年表でも実は不明なのだ。米ソが38度線を占領境界としたのは日本の敗戦翌日の1945年8月16日であり、大韓民国の樹立は1948年8月15日である。ネットで考えられる限りのキーワードで検索してみたが、終戦から2年もたった日を基準に「未解決」とした意図が全く分からない。
 その疑問は置いておくとして、実は「個人の請求権は未解決」という判断は、実は韓国大法院よりはるかに前に日本の国会答弁で行われていた。1991年8月27日、当時、外務省条約局長だった柳井俊二氏(のち安倍総理の私的懇談会で、「集団的自衛権」の合憲化の理論構築を図った安保法制懇の座長に就任)で、参院予算委員会において「請求権協定は個人請求権に影響を及ぼさない」と答弁している。この国会答弁をきっかけに韓国で個人請求権を根拠とする訴訟が相次ぐのだが、その一方、韓国では2005年にノムヒョン大統領が「徴用工問題は解決済み」と表明している。ところが、その後、日本が「個人の請求権問題は解決済み」と解釈を転換したのに対して、今度は韓国が「個人の請求権は未解決」という解釈転換をする。日韓両国とも請求権問題についての解釈がご都合主義的すぎるのではないかという感じがする。そもそも柳井氏がこの協定のどの部分を指して「請求権協定は個人の請求権に影響を及ぼさない」という解釈を国会で明らかにしたのか。柳井氏は現存しているのだから、メディアはなぜ柳井氏の真意をただそうとしないのか。大昔の話だから覚えていないでは済まない。