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C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)…1

2020年01月18日 | 政治・経済
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)…1

 世界中が見守ったゴーンの2時間半の“独演記者会見は、本人が興奮のあまり赤鬼のような形相で「自分は無罪」だと喚き散らした為に其処に焦点が集まりすぎて、結果「鬼も蛇も出ず」との印象を与え些か世界の期待を裏切る結果となった。自分の主張を浸透させる為には、冷静且つ理路整然と話せるように広報の専門家等にも相談し慎重且つ周到に準備すべきであった。異常な精神状態のなか、明らかに戦略不足、準備不足に陥ったのだろう。
待ち構えた多くのメデイアが期待していたのはニュース・バリューのある「007の映画のような大脱走劇の詳細」と「国策捜査に関与した政治家の実名」であったが、これらには一切答えなかった為に、海外メデイアでさえゴーンの一方的なプロパガンダに過ぎないという批判的な声も一部に聞かれた。勿論大脱走の方法を説明すれば関与した人間等の捜査に手掛かりを与え、彼等が訴追される危険性があるし、政治家の実名開示も日本政府による圧力で頼みのレバノン政府からストップがかかって見送らざるを得なかったのはやむを得ないと思われる。 同日イランのミサイルによる対米報復事件が重なったのも災いした。
しかしゴーンは書籍出版やその映画化を通じて日本の司法の不当性を訴えると述べえ居り、彼の財力に訴えれば協力者には事欠かないと考えられるので、今後何が飛び出すか期待は大きい。
ゴーンの海外逃亡そのものは保釈を請求した際に自分が提示した保釈条件に反する行為であり、司法当局との契約違反・明白な背任行為で、密出国として厳しく責められるのは当然の事あろう。
一方法相や検察当局は、「わが国の刑事司法制度は、個人の基本的人権を保障しつつ、適正に運用されており、保釈中の被告の逃亡が正当化される余地はない」と、全く具体性・説得力に欠ける官僚性丸出しの声明を発表したが、ゴーンが主張した「人質司法」やグローバルスタンダーとも言える「弁護士立ち会いの取り調べさえ採用しようとしない」といった日本の司法非難には何も答え無かった為に完全に一本取られた形となった。
国際社会で大恥をかかされたとの思いで頭に血が登った検察の発言を受け政権御用メデイアが先頭を切り一斉に狂ったようなゴーン・バッシングを始めた。新聞の論調も検察御用メデイアとしての本来の役割を思い出したのか批判一色に切り替わったし、テレビのワイドショーでは、MCやコメンテーター、タレントたちが寄ってたかって、「有罪になるのを恐れて逃げただけ」「全然大したことを言っていない、ただのすり替え」「日本司法を批判する資格などない」といった大バッシングを展開し、「盗人猛猛しい」などと、あたかも有罪が確定しているかのような犯罪人扱い、「司法批判はすり替え」などと恥ずかしげもなく得意顔で言い放ったのもいたしケントギルバートに至っては根拠なくあれは有罪と断定しそのバカさ加減を披露する始末、あきれる他はない。
ゴーンの記者会見に参加出来たメデイアは全世界の約80媒体、120人ほどとされているが、その中で日本メディアは朝日新聞とテレビ東京、そして週刊ポスト取材班の3媒体のみであった。検察御用メデイアのお仲間・朝日が呼ばれたのは不思議という他はない。
記者会見の場に、日本の大手メディアの参加を拒否した事に対し外国やフリーのジャーナリストから拍手喝采を受けた。彼等は日本の大手メデイアが「記者クラブの特権に胡坐をかいて外国やフリーの記者を締め出し、政権監視の役割を放棄し政府広報を垂れ流すだけの存在」でしか無いことに常々反感と軽蔑の念を抱いていたのである。御用メデイアを使ってゴーンが如何に強欲な経営者であったかを繰り返し世論にPRし刷り込みを図って「有罪の風」を吹かせようと言う検察の常套手段は最早底が割れて来ており、今後この汚い手は通用しなくなるだろう。強欲経営者と法的な虚偽記載とはなんの関係も無いのである。

ゴーンの主張は実に明快、「私は正義から逃げたわけではない。不正義から逃げたのだ。自分自身を守るほか選択肢はなかった」と宣言した。
ゴーンの弁護団の高野弁護士はこの密出国を『暴挙』『裏切り』『犯罪』と言って全否定することはできない。確かに私は裏切られた。しかし、裏切ったのはカルロス・ゴーンではない」とブログに記し暗に検察を非難している。又『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞を 受賞した世界的映画監督の周防氏も「同じ状況に置かれたら自分も逃亡する」と述べている。同監督は自ら率先して「どうしても作りたかった」という社会派の作品『それでもぼくはやっていない』という痴漢冤罪に絡む作品を制作し、その中で人質司法など、日本の被疑者取調べと刑事裁判の人権軽視の実態を映像化している。
更に著名な金岡法律事務所の代表は「検察が事件を有罪にできるだけの証拠を収集したと公言して居るが、もしそうなら、それ以上被告を拘束し妻との接見を禁止する理由はない。東京地検のゴーン氏会見批判は恥の上塗りである」と述べている。 「有罪立証のための証拠が十分に集まったから起訴したのであり、被告人が関係者と打ち合わせをしただけで、その十分な証拠構造が動揺すると言うことがあるのか、そんな弱い証拠なのか、又仮に動揺するとすれば、それは打ち合わせ結果の方が真実で検察の証拠がまちがって居ることを示す事になり、従い有罪見込みも誤って居ることになる。つまりは無罪という真実のための正当な打ち合わせは正当な権利であるという視点は、検察庁には欠落している」との説得力ある論旨を展開している。
更に政府関係者から国際的に日本の信頼を失墜させるような失言が相次いだ。
ゴーンは今回の件は「自分を排除したい日産経営陣が仕組んだクーデター、それに(名前は出さなかったが)日本の政治家も絡んだ国策捜査」だと折りに触れ強調している。これを裏付けるような安倍総理の発言が飛び出した。8日キヤノンの御手洗冨士夫会長らと会食した際に「日産のなかで片付けてもらいたかった」と発言したことが発覚、「政府に持ち込まれて大迷惑」と取られ国策捜査を裏付けるものと物議を醸している。それでなくとも公知となった国策捜査を裏付ける材料は山ほどある。
特捜部がゴーンを逮捕した直後、菅官房長官を訪ねて、逮捕の報告を行ったとの情報があり、こんな件で真っ先に官邸に挨拶に行くというのも異常である。又安倍内閣を牛耳る経産省の審議官・内閣官房参与を歴任した豊田正和氏が、2018年6月から日産の非常勤取締役に就任しており、ルノーとの統合や海外移転を進めるゴーンを失脚させる為の経産省が日産に送り込んだ刺客ではないかと見られている。更に日産の中でゴーンを追及する社内チームの旗を振っていた当時の広報担当の専務・川口均氏は横浜商工会議所の副会頭で、当該選挙区出身の菅官房長官とは日産ぐるみで近い付き合いがあり、個人的にも相当懇意な関係にあると言われており、この線から国策捜査が進められた可能性が極めて濃厚である。ゴーンは会見で伏せたがこの様な情報は既に世間に行き渡っているのである。
更に汚名を晴らせとの外野の大声に押されて先の深夜の声明に続いて、森法務大臣は「ゴーン被告は自らにかかっている経済犯罪について、潔白だと言うのなら司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきである」と法務大臣として「推定無罪の原則」を否定する致命的な非難声明を行ってしまった。
近代司法の大原則、「被告人は、裁判で有罪が確定しない限り、例え逮捕され起訴されたとしても単に嫌疑が課せられているだけであり無罪推定がなされる」、従って被告人は無罪と推定されるこの原則により、「刑事裁判では検察官が被告人の犯罪を証明する必要があり、被告人は自らの無実を証明できなくても構わ無い、飽く迄検察官が有罪であることを証明しない限りは無罪になる」と言うのが世界的な大原則である。
2013年には国連の拷問禁止委員会の審査会でアフリカのモーリシャスのドマー委員が、「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と日本の刑事司法制度を批判したのに対し、外務省の上田秀明・人権人道大使が「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と開き直り、会場の苦笑する参加者らに顔を真っ赤にして「Don't Laugh!(笑うな!)」「Shut up!(黙れ!)」と叫んで失笑を買った事件で日本の司法制度の問題点が世界に明らかにされた矢先である。
森雅子法相のこの発言は憲法31条や刑事訴訟法336条を無視した発言であり、日本の司法制度の致命的な問題点を自ら世界中に公表したことになる。法相はことの重大さに気付いたのか、翌1月9日16時のツイートで「無罪を証明」は「無罪を主張」の言い間違えであると釈明し、訂正したが後の祭り、早速ゴーン代理人弁護士は10日声明を発表し「被告に無罪の立証責任はない、間違えたのは容易に理解できる、あなたの国の司法制度はこの原則を無視している為だ」と世界中にアピールしたのである。森法相は人権弁護士育成のための米国留学制度を利用してNY大学ロースクールで勉強したのを売り物にして居るが、人権のイロハを言い間違える等、普通ではあり得ない、一体何を勉強してきたのだろうか。安倍首相も元防衛大臣の稲田朋美とこの森雅子を総理有力候補に挙げているがこの両人が総理とは相変わらずの人を(特に女性の)見る目の節穴ぶり、全く以て迷惑相千万、空いた口が塞がらない。
更に追い打ちをかけるように法務省公式サイトで「個別事件に関する主張があるのであれば、具体的な証拠と共に、我が国の法廷において主張すればよい」として、ゴーン被告に対して具体的な証拠を提示して争うように求めるなど、やはり推定無罪の原則を理解できていない。被疑者が証拠を出すのは悪魔の証明に近い場合もある。これを「言い間違い」で済まそうとする法務大臣、法務省の下で、刑事司法が健全であるわけがない。

この稿続く
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