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戦争責任(10)…太平洋戦争の原因は日本の中国侵略にあり…亡国の無能な戦争屋・軍人官僚 

2019年04月14日 | 国際政治
戦争責任(10)…太平洋戦争の原因は日本の中国侵略にあり
        …亡国の無能な戦争屋・軍人官僚 

多くの不幸な戦死者を出し国土を荒廃させて日本を滅亡に導いた太平洋戦争、その発端は満州事変であるが、この中国との戦争こそ陸士・海兵の士官学校を卒業した軍人官僚達の短絡的な独断専行の愚行が齎したものである。
満州事変を画策し、それ以降の昭和陸軍をリードしたのは陸軍の課長クラスで作られた『一夕会』グループ、その中心人物が陸軍省軍事課長だった永田鉄山、石原莞爾、武藤、田中の4人であった。東条も彼らの神輿に乗って動いた一人である。
満州国建国の前々年、1931年の満州事変は、日本政府、陸軍大臣、さらには、関東軍司令官等首脳の事前承認なしに、関東軍の高級参謀、石原莞爾、及び、板垣征四郎が指揮して行われた不法な軍事行動であった。石原達は日本の食糧・失業問題から生じた社会不安やその他の政治・経済問題の処方箋として、更には予感される世界戦争に備え鉄鋼・石炭等の地下資源確保には「満蒙開発・満蒙領有」が不可欠と考え満鉄の支援部隊に過ぎなかった関東軍を使って満州の植民地化に走り出したのである。
この不法な軍事行動を補完するため日本の傀儡政権、清朝最後の皇帝(ラスト・エンペラー)愛新覚羅溥儀による満州国が建国された。
国際社会は、こぞって日本の不法な軍事行動と満州国建国を非難し、1933年2月24日の国際連盟総会で、圧倒的多数で満州国の不承認および満州国からの日本軍撤退を決定した。日本はこれを不服とし、総会に参加していた全権大使松岡洋右はその場で国際連盟からの脱退を宣言し、自ら世界の孤児となる道を選ぶこととなった。日本政府の犬養内閣は、満州国の承認をためらっていたが、5月に海軍軍人らによって首相が暗殺されるという五・一五事件が起きて政党政治が終わりを告げ、次の斎藤実内閣が軍部の圧力の下で9月、日・満議定書を締結して満州国を承認、軍部の独断で始まった満州事変は国家によって追認された。多くの無知な国民は関東軍のこの暴挙を、日露戦争で明治の日本人が血を流して獲得した満州の権益を不当な中国から守ったものとして歓迎したのである。日本政府、陸軍大臣、陸軍参謀総長は、狂犬のような若手軍事官僚に恐れをなし、石原莞爾と板垣征四郎を軍法会議にかけることすらできず、2.26事件を契機に復活した軍部大臣現役武官制の復活もあって陸軍の暴走を助長した。
満州国は満州族・漢族・朝鮮人・日本人からなる多民族国家であったが、議会はなく実権は「関東軍司令官」兼「駐満大使」兼「関東庁長官」指揮下の日本人が掌握していた。日本は不況対策・失業対策から多数の満蒙開拓団を派遣しその数は27万人に上った。開発が遅れていたアジアの中で満州の都市部は極めて先進的で西洋列強の領事館やデパート・ホテルが軒を連ね満州最大の都市ハルピンは「東方のモスクワ」と呼ばれるような歓楽街となっていたが、開拓団の居留する農村部はインフラが未整備で飲料水不足、非衛生な上、武装した山賊や抗日テロ集団の出没に悩まされるという過酷な状況であった。 
関東軍による満州国経営で最大の問題はアヘン政策である。イギリス東インド会社によるアヘンの輸入で中国全土に広がっていたアヘン中毒禍も1931年迄に四つの国際的な麻薬取締条約が締結され、国民政府の影響の強い地域では根絶状態となっていた。この条約に日本も調印・批准していたが満州国では「アヘン吸引漸減」の美名の下に「アヘンの専売制」を実施、アヘン吸引を実質的に公認したためアヘン患者・アヘン窟が急増した。その利益は膨大で30年代後半には満州国歳入の六分の一に達したと言われている。陸軍特務機関はアヘンの密輸で膨大な機密費を獲得し華北分離工作や内蒙工作更にはアジア各地での工作にも利用されたのである。関東軍は中国各地のアヘン生産地にも侵攻し新たな供給源を確保する一方、商社を通じイランからも輸入するほどであった。満州は関東軍・陸軍の機密費作りの巨大装置であり、当に国家ぐるみの麻薬犯罪を行っていたのである。
この満州の産業・経済政策に大きな役割を果たしたのが安倍首相が信奉する「昭和の妖怪」と称された祖父の岸信介である。当時革新官僚として統制経済を主張し頭角を現したが1936年満州国に転出、翌年には産業部次長、1939年には総務庁次長に昇進、満州国の実質的な最高首脳の一人となり満州経営に辣腕を振るった。計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」の策定・実施と工業化・日本産業(日産)の満州国への誘致だった。同時に当時関東軍参謀長であった東條英機と親交を深め、日産コンツェルンの総帥鮎川義介を筆頭に軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐き参すけ」の1人に数えられた。【東条英機・星野直樹(満州国総務長官)、松岡洋右(南満州鉄道総裁)・岸信介(満州国産業部次長)・鮎川儀介(満州重工業開発社長)】。
この頃から、岸はどこからともなく政治資金を調達するようになった。資金源はアヘンである。岸は満州から去る際に「政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」という言葉を残している(出wiki)。岸の逃げ足の速さ面目躍如、田中角栄と違う最大のポイントである。
【5カ年計画や満州工業開発が岸の表の顔だったとすれば、裏の顔はアヘン政策だった。岸は「満州ではアヘンを禁止し、生産もさせないし、吸飲もさせなかった」と言っているが、真っ赤な嘘である。満州で岸の忠実な部下であった大蔵省出身の古海忠行が直接の担当者であった。「満州は岸信介が作ったアヘン中毒の悲惨な実験国家だった」】と2013年5月11日号の週刊朝日が伝えている。
日本は満州に飽き足らず更に領土拡大を図ろうとした。北京を含む華北地方を中国から切り離し満州同様傀儡政権を作ろうと画策した。しかしこれが契機となって国民党と共産党の共闘体制・国共合作の機運が盛り上がり、そこに1937年7月北京市郊外の盧溝橋で発生した日中兵士の衝突事件がきっかけで国共合作が成立、日本は一枚岩となった中国を相手に戦うことになり、華北分離工作は失敗し戦闘は泥沼化し太平洋戦争に嵌まり込んでいくのである。

この項続く

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