さわちゃんからのお便り

田舎の暮らしの中で、私が見たり感じたりした事を書いてます。大好きな韓国の俳優さんチャングンソクさんネタも♪

復活!!

2014-11-24 22:02:24 | 家族
実家の父が亡くなり、10日が過ぎました。

13日の深夜1時過ぎ
母からの携帯で「お父さんが死んじゃった」「病院にいるんだけど、他に誰もいないから、来てくれない?」
っと言う電話

昔の注射針の使い回しからのC型肝炎への感染
そして、肝硬変、肝不全、食道の静脈瘤
いつ、何があってもおかしくないと お医者様に脅かされていたので
それなりの覚悟はできていたはずなのに
余りの急な知らせに
何が何やら

とにかく、自分が主になって動かなければいけないから
また、ここにいったん戻ることもできないだろうからと

いくらかの着替えと
喪服と
みんなの仕事のシフトを考えなければいけないからと
シフト表と
葬儀費用がいるだろうと、自分の貯金通帳を全部、鞄に詰め込んでっと
一気に動いたら、貧血を起こしてクラクラ

でも、行かなければと

旦那殿と一緒に実家に向かいました。

実家につくと、丁度病院から、父を運んできた葬儀社の車と一緒になりました。

父の兄弟の伯父が二人来てくれて、病院からつきそってくれていました。

近くに住んでいたら、すぐにいけるのに2時間もかかっていたら、どうにもなりません

布団に寝かされている父は、眠っているようで
実感がわかず
ただ、夜が明けるまで仮眠しようと、父の横に母と二人で布団を引いて寝た時に
父の髪をなでる母の姿に、涙が止まらず、一睡もできませんでした。

そして、新潟いる妹への連絡
お寺への連絡
葬儀やさんとの打ち合わせ
決めなければいけない事、しなければいけない事がいっぱいで
バタバタと時間だけが過ぎていったという感じでした

ただ、通夜のあいさつは母がしたいというので、母にしてもらうことにしたのですが
葬儀のあいさつは、私がすることにしたものの
考えようとすると、涙が出て来てしまうので
結局、何も考えられず、もっと挨拶で話すべき事があったのではと思ったりしたのですが、仕方ありません。

葬儀が終わってからは、新潟から来ている妹たち夫婦がいるうちにと
家の中を、母が一人になっても過ごしやすいようにと
みんなで模様替え

夜は、家族がそろうと、「乾杯だ!」「パーティーだ!」っと嬉しそうにしていた父を偲んで
父の遺骨の前で、父の遺影に向かって、みんなで献杯しました。

妹夫婦、甥姪を新潟に送り出してからは、今度は事務手続き

義父が亡くなった後、旦那殿がやっていたのをみていたので、やる事は、だいたい判っていたのですが
いろいろな書類手続き、その他諸々、やっぱり大変ですね

月末月初、自分が仕事で動けなくなるので、四十九日の法事の準備も
やれるだけの事をやれるところまでやってと
夜中に飛び出したままの家に一回帰ったものの
昨日まで実家で動いていました。

実家に母を一人残すのが、何よりも心配でしたが

母は、小学6年生の時に父親を亡くして、父親代わりの働く母親の代わりに兄弟の世話をし
23歳で嫁いでからは、舅姑小姑に囲まれ、父の小さな兄弟の面倒をみてきて
その後は、私たち兄弟
姑の介護、自分の病気と
ずっと、周りの事だけを考えて生きてきたから
お父さんが、自分の病気の悪化で、これ以上迷惑をかけないようにと、自由をくれたのだと
わがままなお父さんだったけど、最後に最大のご褒美をくれたのだと、
そう思って、いつまでもメソメソしないと
これから、青春じゃなくて 老春を謳歌するのだと

そう言ってくれました。

父とは、成人してからは
冗談も言いあえる仲になりましたが

小さい頃は、怒ってばかりいる父という想い出が多く
怒ると、一週間でも二週間でも、ずっと口をきいてくれなくて
母に、なんで、お父さんと結婚したんだと
そんな質問を何度もしました。

仕事が終わると、まっすぐ家に帰ってくる父には
絶対に友達なんていないと思っていました。

でも、お悔やみに来てくださった方達の話を聞くと

「面倒見が良い、優しい、穏やかな人」だったらしいです

古い仕事仲間や
近所の小さい子供さんも
父の死を悼んでくれました。

長男として、父として
威厳を保とうと、頑張っていたのかな?


お嫁に来てから、嫁ぎ先の事ばかり気にして
思うように家に帰れなかったことが悔やまれます

二晩も家を開けたら困るとかなんとか言われたって
たまには、ゆっくり実家に帰ったら良かった

仕事だって、今の仕事引き受けなければ、もっと自由に動けたかもしれないのに・・・

忙しいって、愚痴をこぼしてきたことが
両親に気を使わせることになっちゃったのかな

もっと、親孝行できたんじゃないかな・・・・

父の死を前に、いろいろ後悔しました。

でも、母や妹と一緒に、わがままで、内弁慶だった父が
私達に迷惑をかけないようにって、最大の愛情を示してくれたのだと解釈して

気持ちを新たに、私もグンちゃんのお蔭で再来した青春を楽しもう!

明日からは、またまた12日連続のお仕事

私が帰れない間、お母さん、頑張って!