さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

階級違いでもいいから儲けたい ボクサーの人生設計それぞれ

2024-02-09 00:01:33 | 海外ボクシング



最近、4団体統一王者誕生の事例が増えてきていますが、かといって階級最強を証明し「続け」よう、という気は、井上尚弥以外のボクサーからは、あまり伝わってこないなあ、というのも実際のところ、です。





スーパーライトとウェルターで4団体統一という偉業を成したテレンス・クロフォード、その巧さと強さには感服するばかりなれど、ジャロン・エニス戦に対する態度は、どうもいただけません。
トレーナーのブライアン・マッキンタイアという人が、要はエニスと闘ってもスーパーファイトといえる大金が得られるわけではないからやらない、カネロ・アルバレスと闘いたい、と言っております。

この辺はもう、本人のみならず周辺が、ここから先、年齢的にも余裕がないクロフォードを一試合稼働させるたびに、得られる限りの大金を得よう、得ねばならない、と血道を上げているように見えます。
そしてそういう方向に、本人を誘導している面も、少なからずあるように感じます。


クロフォードには、自分がかつて、マニー・パッキャオのようなスター選手たちと闘えなかった頃、どういう気持ちだったのか、ちょっと思い出せよと言いたくなります。
実力証明よりもビジネス優先。その商業主義に阻まれ、実力者でありながら今の地位に就くまでに、必要以上に長い時間を要し、それに憤っていたのは、いったい誰だったのか。
そして、その撤を次世代の旗頭たるジャロン・エニスにまた踏ませるのでは、悪例の繰り返しではないのか。
時代の趨勢に棹さし、実力証明を優先することこそ、王者の誇りではないのか。

まあ、そんな甘いものではないよ、ということもよくわかりますが、それにしてもなあ、と。
お金を理由に最強挑戦者を避けられるんだったら、それはかつて自身が苦しめられた商業主義の構図を、甘んじて受け容れねばならない、ということになるんですが、ね。




で、階級違いというと、こんな話が。ホンマかいな、という。





ジャーボンテイ・デービスとコナー・ベン。斜め上から落ちてきた青天の霹靂、という感じの話です。

デービスのベストウェイトがどこなのか、判然としませんがまあライト級だとして、ベンはウェルター級のはず。
自らのドーピング違反で流したクリス・ユーバンク・ジュニアとの対戦は、157ポンド契約で行う予定だったそうですが。

先日、ピーター・ドブソンを判定で破った試合はDAZNでやっていて見ましたが、相変わらず力ずくで打っていって、当たったら目出度いな、みたいな感じは変わっておらず。
ウェルター級でクロフォードやエニスと比べるところにはだいぶ遠い、と見えましたが、なるほど下の階級の相手、デービスに当てたら、押し込めるぶんだけ、勝負...とは言わんでも「絵」にはなるかな、という気はします。
大方、そういう構想というか目論見というか企みを持った者が、周辺にいるのでしょう。それなりに、普通よりは大きな儲けになる、ということも含め。



なんかもう、こういう話ばかりが目に付き鼻につき、というのがボクシング界の常になってしまいました。
それ故に、サウジマネーの大盤振る舞いが、こういう話を札束で押し流してくれへんかな、という期待でもって、受け容れられている面もありましょう。

それにしてもデービス、ヘイニーは上行っちゃいましたし、ロマチェンコとは絡まないし、シャクールは引退(笑)したし、ライト級完全制覇、という感じには、なかなかならないですね。
これまた、周りも含め、そんなこたあどうでもええがな、という感じなんでしょうけど。



ボクシングにおける「チャンピオン」って言葉の意味は、いったい何なのだろうか、と考えると、もう気が滅入ってきます。
最強の称号、それを手にし、掲げ「続け」るために闘う者、その誇りを仰ぎ見ることが、ボクシングを見ることだと、かつては思っていましたが、今は違います。
もちろん圧倒的な強さ、巧さを持つ者たちを見ることに変わりないですが、同時に、極めて身勝手な部分を多々含めた、人生設計を見せられているのだな、と思うことが増えました。

もちろん、そういう思いをせずとも見ていられる王者もいるにはいて、それが我が国のヒーローである、という幸福には、救われる思いではある、のですが。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする