ということでWOWOWの生中継を昼前から見ておりました。
ほぼ一年ぶりの再起戦、即WBA王座挑戦のマニー・パッキャオは、
前回の不調から一転、快調な試合ぶりで、強打ルーカス・マティセを一蹴しました。
パッキャオ、初回から右リードが良く出る。真っ直ぐなジャブ、フック気味のショート。
左右ボディを叩き、ジャブが上に返る。肩振って左ストレートも。
マティセは先制され、前に出たいが出られず。
下がって受けて強い選手ではないだけに、この展開はきつい。
3回、外からの右を警戒していたところ、インサイドに左アッパーを食ってダウン。
4回以降、パッキャオ変わらず好調、多彩な右、当てて遠ざかる左が決まる。
5回、僅かにマティセが右当て、さらに出られるかと見えたが、右フックで膝をつかせる。
6、7回もワンサイド、最後は左アッパーでKO勝ちでした。
試合前は、ジェフ・ホーン戦のパッキャオの不出来を思えば、さらに一年経って、
39歳になって闘う試合に、何を期待出来るのだろう、と思っていました。
稀代の英雄、アジアのボクシング史上最高のボクサーが、ついに終幕を迎える試合、
それも、しばし目を背けたくなるような展開を見せられるのではないか。そんな風にさえ。
しかし、実際はというと、考え得る中で、もっとも好調なパッキャオの姿が見られた一戦でした。
よくぞ、これほどの復調を示せるものだなあ、と驚かされました。
単に体調が良いだけでなく、右リードを多彩に出し、そこから次の攻め手を適切に選び、
相手の裏を取る狙いで、長短、内外を打ち分けて崩していく闘いぶりは、
今回陣営から離れたという、フレディ・ローチの教えが生かされた、質の高いものでした。
もちろん、ルーカス・マティセの、強打者としての天分に隠されてきた、
技術面での不足、展開構築力の乏しさがあり、パッキャオからすれば、
思う以上に「手が合った」面もあるのでしょう。
しかしこの試合は何よりも、パッキャオが今だに、普通の常識では計れないボクサーである、
その事実が改めて見えた試合でした。
そして、同時に、この試合の勝利が、真の「復活」を祝う「祝祭」ではない、
そのように喜ぶには、あと一歩、届かないところでの闘いだった、とも思いました。
かつて、ロベルト・デュランはレナード第二戦の「ノーマス」事件で王座を失い、
さらにベニテスにも敗れ、その評価、名声を失った状態から、
ピピノ・クエバスに勝って浮上し、デビー・ムーアを倒して「復活」を果たしました。
会場であるニューヨークのMSGは、パナマのフィエスタ、英雄復活を祝う、祝祭の場と化したものです。
今日、クアラルンプールの大会場は、パッキャオがマティセを倒すたび、大歓声に包まれました。
勝利の瞬間は、デュランがムーアを下したMSGの光景に、重なって見えもしました。
しかし、試合後、今後の試合について、何一つインタビュアーに言質を与えなかったように、
往時のデュランのように、飽くなき頂点への渇望を抱えて闘っているわけでもない、
現状のパッキャオがゆく「路線」の延長線上にある試合だった。それもまた事実です。
デュランがムーア戦の後、帝王マービン・ハグラーや、強打トミー・ハーンズ戦へと突き進んだように、
パッキャオがエロール・スペンスやテレンス・クロフォードとの闘いに、
自らの栄光の全てを賭けて挑むようなことになれば、それはもう、結果や内容以前に、
ボクシングの歴史上、繰り返されてきた「王位」の継承劇となるのか否か、という観点から、
誰もが勝敗を超越した、崇高なる闘いとして、その試合を見つめることでしょう。
しかし、昨今のボクシング界は、そのような「宿命」の「然るべき闘い」から、
チャンピオンやスター選手を遠ざける理屈や事情、手管には事欠かない世界でもあります。
ここ最近のパッキャオとて、その世界の中において、自身が設定した「枠」の中で闘っている、
そう言わざるを得ない面がありました。
今日の試合内容と結果が、パッキャオの今後を、そのような現状とは違うものに変えるのか。
もしそうなるなら、今日の試合を後に振り返ったときに、違う心境を抱くこともあることでしょう。
しかし、彼の現状、国会議員としての責任、39歳という年齢、英雄として護らねばならぬ名声、
その他諸々を考えれば、単にひとりのボクサーとして彼を見て、思うことだけで、
全てを語りきるには無理があるのも確かです。それは重々、わかってはいるのですが...。
改めて、今日の試合は、予想以上に良い内容での勝利でした。
それだからこそ、試合前には思っていなかったことを、あれこれと思いもしました。
今後がどうであれ、マニー・パッキャオは、稀代の英雄であるが故に、
その存在そのものが、さまざまな思いを抱かせます。それだけは変わりない事実、ですね。