さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

内容も結果も厳しい敗戦

2011-04-09 09:08:04 | 長谷川穂積
遅くになってようやく録画を見て、昨夜は寝てしまいました。
二年連続で、米大陸でも名の知れたトップボクサー相手に挑み、結果として共に敗れた。
それが昨夜、長谷川穂積に突きつけられた現実です。

以前から、バンタム級王座在位の後半に見られた攻撃能力の向上と共に、
彼特有の防御勘が目につく頻度が減り、積極思考が勝ちすぎるきらいについて触れてはいましたが、
こうして厳しい現実を目の当たりにして、私もしばし言葉を失いました。

序盤、ジョニー・ゴンサレスが再三左フックを狙っているのがはっきりしていて、
それをヘッドスリップで外しながら何発かは食っていた長谷川を見て、
「彼はオーソドックスの右はほとんど食わない。大抵外せる。問題はあの左かな」と
つぶやいていた4Rに、いきなりの右一発。試合はそれで終わりました。

KOパンチとなったゴンサレスの右は、拳を下に一瞬下げるフェイントを入れたあと、
下からすくうような軌道で長谷川のガードの下を通った、ちょっと変なパンチでした。
あれを食ってしまった長谷川を、防御技術の面で批判することは出来ないと見ます。

昨年のフェルナンド・モンティエル戦で、右肩の上から左フックを打たれたことは、
結果として彼の防御技術の欠陥と言われても仕方ないものでした。今回のはそれとはちょっと違います。
ただし、長谷川穂積が昨年秋のファン・カルロス・ブルゴス戦で苦しんだ、フェザー級への適応、
このクラスにおいて攻撃と防御のバランスをどう取って闘うか、というテーマを考えると、
個々の防御技術云々ではなく、全体像に対する批評は、厳しくなされるべき、でしょう。

実際、ジャッジ三者が共に長谷川リードという採点をしていたのが不思議なほど、
試合自体は序盤からゴンサレスの攻勢に見えました。会場で見ると違った印象があったかも知れませんが、
TVで見る限り、より正確に、強いヒットを重ねていたのはゴンサレスの方でした。

長谷川は自分を体格で上回り、懐の深い強打者に対し、序盤から左ストレートのボディ打ちで仕掛け、
相手の反撃にもパンチを合わせるという、バンタム級時代後半の闘い方で立ち上がりました。
まるで世界初挑戦の若いボクサーででもあるかのように、最初から自分の武器を全部さらけ出して闘う姿に、
立ち上がり早々から奇異な印象すら持ちました。

対するゴンサレスは、西岡戦やそれ以前の試合とは違って、せわしなく手応えを欲しがるような印象がなく、
ゆったり構えてしなやかに動き、じっくりを長谷川を見つめている様子でした。
両者の様子を見ると、長谷川の苦戦は免れ得ない、と、正直にそう思いました。

名匠ナチョ・ベリスタインは、長谷川の動きが止まる瞬間を狙え、という指示を出していたそうです。
この極めて有用かつ端的な指示が、この後がない闘いに臨むゴンサレスの落ち着きを支えていたのでしょう。

かつて柴田国明さんが「ボクシングというのは、お互いに動いていて、どこかで必ず止まる瞬間がある。
そこをいかに打つか、なんですね」と端的に語っていたことがあります。
ボクシングにおいては、深い内容を、少ない言葉数で、端的に伝える指示ほど、ボクサーを落ち着かせ、
勇気づけ、強くするものです。結果としてKOシーンがその言葉通りになったから言うのではなく、
この試合における両者の佇まい、勝敗までの過程を見て、どちらがより理にかなった闘い方、
相手と自分を比較してより適切な闘い方をしていたかは明らかでした。

あの変な軌道の、けっしてゴンサレスのパワーがすべてかけられたようには見えなかったパンチ一発で、
試合続行を許可されないほどのダメージを負ってしまった事自体は、長谷川の不運と言えば言えます。
しかしそこに至る過程に潜む根本的な問題を、本人及び陣営が、厳しく見て反省しないことには、
もし再起するとしても、ただでさえ険しい道のりとなるこの先が、さらに厳しいものになる、と思います。

バンタム級時代の後半なら、ギリギリの減量で絞った身体の切れと、118ポンドの大抵の世界ランカーを
一撃で倒せるパワーが、きわどいながらもバランスを取っていましたが、本人も言うように、
「まだ自分の身体はフェザー級ではない」段階で、大きなアドバンテージを持って闘っていたバンタム級時代と同じ、
或いはそれ以上に攻撃的に、正面から切り込んで行く昨夜の闘い方は、いかなる理由でそうなったのか以前に、
見ていて奇異にすら思いましたし、厳しく言えば長谷川及び陣営の停滞を強く感じました。
正直、再起を期待すべきかどうか、ということにさえ、確信を持てずにいます。


厳しい言葉を連ねていますが、彼がここまで積み上げてきた実績を否定するつもりはありません。
ただ、ボクサーとはその全キャリアを終えないと、最終的な評価を下せないものです。
彼が日本の上位に進出してから今年で10年目、その心身に疲弊があることも事実でしょう。
近しい人からは「限界を見た」という言葉も洩れ伝わってきたりもします。
我々が思う、いつもしなやかて強くて、才能に満ちあふれた長谷川穂積の姿が永遠ではないことも、
当然わかっていたはずです。

しかしリングの外から、優れたボクサーに魅せられている私たちは、その限りあるとわかっている輝きが、
現実に失せ始めたとき、いつもいつも、同じように狼狽し、感情を揺さぶられるものです。

ボクシングを見るということは、結局はその繰り返しなのかもしれません。
そして昨夜も、私は長谷川穂積の闘いを通じて、険しく厳しく、残酷で、故に極めて美しい「ボクシング」を
これまでと同じように、見せてもらっていたのだ、と思います。


勝利と敗北について、何か偉そうに語っていますが、最後に反対側のコーナーについて。

震災と原発事故、及びその対応の拙さで、諸外国に様々な不安を与えている渦中の国、日本に、
敢えて来日して、被災者にもメッセージを送った挑戦者、ジョニー・ゴンサレスは、
勝利の後に、にじみ出てくる涙を隠すことが出来ずにいました。
地元の大観衆の前で西岡利晃に喫した、辛い辛い敗北の後、彼が乗り越えてきた道のりは、
我々の想像を越える苦難だったことでしょう。
そして彼はまた、かつて失った栄光を手にしたわけです。

彼に大きな拍手を送りたいと思います。かつてメキシコの大観衆が、地元の選手を見事に倒して歓喜した
日本から来たチャンピオン、西岡利晃に送った盛大な拍手の返礼として。



コメント (19)
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