めざせ4万キロ 歩いて地球一周

主にウォーキングの日記(国内外・地元)

大倉山梅林  

2014-02-23 17:11:04 | インポート
田園都市線 江田駅から5分の赤田西公園から鴨池公園・都筑中央公園・茅ヶ崎公園・
せせらぎ公園(昼食)鶴見川を渡って大倉山公園(ゴール)の17kmです

朝から冷たい風が肌に沁みます 外気温9℃
 空はどんより 今にも雪でも降りそうな空です

昼食後鶴見川を渡って大倉山へ向かいます




12:20 大倉山梅林入口ででIVVをいただき解散です


大倉山公園の梅林は梅の名所として有名だが、その歴史は昭和6年に始まっている。園内に設置された梅林の由来を示す案内板によれば、東京急行電鉄が東横線開通直後に用地を買収して整備し、乗客誘致のために梅林として公開したのが始まりだという。当時は昔からのこの辺りの地名に因んで「太尾公園」と呼ばれ、駅名も「太尾駅」であったそうだが、昭和9年に駅名が「大倉山駅」に改名され、同時に公園の名称も「大倉山公園」に改められたのだそうだ
HPより

満開の白梅








園内には10日前の雪が残っています




財団法人大倉精神文化研究所は現在も「大倉山記念館」内で活動を継続し、
付属図書館も一般に開放している。



現在の大倉山、すなわち大倉山記念館の建つ丘は、それまでは畑が広がるばかりの名もない丘だったという。その丘を大倉邦彦が購入し、1932年(昭和7年)、大倉精神文化研究所を建てた。丘は「大倉山」と呼ばれるようになり、東京急行電鉄の「太尾駅」も1934年(昭和9年)に「大倉山駅」と改称され、東京急行電鉄が乗降客誘致にために梅林を造って開園した「太尾公園」も「大倉山公園」に改められている


緑濃い丘の上に立つ大倉山記念館は周囲を威圧するような重厚な佇まいだ。傍らに設置された横浜市教育委員会による解説にも「ギリシャの神殿を彷彿とさせる」との旨の記述があるが、まさにそのような印象がある

大倉山記念館、すなわち大倉精神文化研究所本館を設計したのは、明治から昭和初期にかけて活躍した建築家、長野宇平治だ。長野宇平治は1867年(慶応3年)、現在の新潟県に生まれ、1937年(昭和12年)、70歳で亡くなっている。北海道銀行本店や三井銀行神戸支店、横浜正金銀行東京支店など、数々の銀行建築を手がけ、当時、長野はヨーロッパ古典様式の建築家として第一人者であったようだ。長野の手がけた建築物としても、大倉精神文化研究所本館は特異な位置にあるようだ。余談だが、長野が帝国大学工科大学造家学科に学んでいたとき、同級生には建築を志していた夏目漱石がいたという
横浜市HPより


20歳ごろ一度だけ訪れた事のある大倉山梅林 
 ずーっと昔の事で当時の様子は全く覚えていなくて
初めてのような気持ちでした
帰りは新横浜駅迄歩いて 横浜線で帰宅

今日の歩数  30,157歩
   時間  4時間0分
   距離  20.50km