きょうは、終戦記念日。太平洋戦争開戦から75年になる。
私が生まれたのは、この開戦から3か月もたっていない1942年2月である。
したがって、戦争の記憶らしいものは何もない、と言ってよい。
しかし、今になって「そうだったのか?」と、思っているのが仙台空襲で、
遠い記憶として、私の頭に残像として残っている?
それは、母の背中でB29であろう飛行機を見た記憶がある?
不気味な爆音を響かせ、北に向かったのを・・・・・。
多分、3歳児の子供の記憶ではっきりしないが、その後の見聞した、
諸々なものが混同しての記憶となっているものと思う?
いずれ、二度とこんなことがないほうが良いに決まっている。
しかし、戦争はこちらから仕掛けなくとも戦争になる場合がある、
それが、一番怖いし、避けられないのではないか?
我が国は、これだけ繁栄した近代国家となり、
しかも、70年経過しても、戦争の傷跡が癒されず、
好んで戦争するなどと言う愚かな理屈はない。
ただ、国際情勢、特に近隣諸国を見ると、
きな臭い動きを感じないわけではない?
こんな動きを、どう見ればいいのか?
楽観的な見方をしても、空の守り、海の守りは……・・?
何か問題が起こらないうちに、対処対応をするのが、
独立国家として当り前のことでなかろうか?
戦争は嫌だ、だけでは国を守れない。
憲法を守れ、だけでは国を守れない。
永世中立の国、スイスでさえ、
徴兵制で国民皆兵の国、と言うのである。
とにかく、いざという時の準備は万全、
核シェルターの備えも、万全と言うではないか。
話は、少しそれるが、米国のある会社に、
日本からの核シェルターの注文があるという事が、ネットで見たことがある?
いずれ、終戦記念日のきょうだから、
平和とか、戦争とかを考えるのも良いのではないか。
思考停止したように≪憲法改正≫、と言うと、
議論する前に「改正反対」。
「もしものことや、危ないことに触れたがらない」お国柄?
どんなものだろうか?
、
私が生まれたのは、この開戦から3か月もたっていない1942年2月である。
したがって、戦争の記憶らしいものは何もない、と言ってよい。
しかし、今になって「そうだったのか?」と、思っているのが仙台空襲で、
遠い記憶として、私の頭に残像として残っている?
それは、母の背中でB29であろう飛行機を見た記憶がある?
不気味な爆音を響かせ、北に向かったのを・・・・・。
多分、3歳児の子供の記憶ではっきりしないが、その後の見聞した、
諸々なものが混同しての記憶となっているものと思う?
いずれ、二度とこんなことがないほうが良いに決まっている。
しかし、戦争はこちらから仕掛けなくとも戦争になる場合がある、
それが、一番怖いし、避けられないのではないか?
我が国は、これだけ繁栄した近代国家となり、
しかも、70年経過しても、戦争の傷跡が癒されず、
好んで戦争するなどと言う愚かな理屈はない。
ただ、国際情勢、特に近隣諸国を見ると、
きな臭い動きを感じないわけではない?
こんな動きを、どう見ればいいのか?
楽観的な見方をしても、空の守り、海の守りは……・・?
何か問題が起こらないうちに、対処対応をするのが、
独立国家として当り前のことでなかろうか?
戦争は嫌だ、だけでは国を守れない。
憲法を守れ、だけでは国を守れない。
永世中立の国、スイスでさえ、
徴兵制で国民皆兵の国、と言うのである。
とにかく、いざという時の準備は万全、
核シェルターの備えも、万全と言うではないか。
話は、少しそれるが、米国のある会社に、
日本からの核シェルターの注文があるという事が、ネットで見たことがある?
いずれ、終戦記念日のきょうだから、
平和とか、戦争とかを考えるのも良いのではないか。
思考停止したように≪憲法改正≫、と言うと、
議論する前に「改正反対」。
「もしものことや、危ないことに触れたがらない」お国柄?
どんなものだろうか?
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