昔から農村社会は、一人で生きられなかったようだ?
そのため、各種組織がつくられていたものと思う?
其れこそ、藩政時代から引きずっている組織もある。
これには、いろいろ要因があるが、
水稲を生業としてきたためでないかと思う?
稲作には、水は欠かせない。自分の水田に水をひくには、
他人の水路等との関わりがある。
つまり、上段の方の水田から順に水を入れる必要があった。
そのため、集落の農民が共同して、
水路の雑草を刈る等して、スムーズに水が流れるようにしていた。
今も、このようにしなければならない水田が残ってはいるが、
水田の大部分は、30~50アール等、大区画に様変している。
したがって、水を自分の水田に入れるには、
蛇口をひねるだけでよくなった。
排水路は、三面がモルタルづくり。
泥や草で流れがとどまることがなくなった。
このようなことと相まって、
高齢化や世代交代、後継者不足もあり、
集落全体に、共同思想が薄れてきたのではないか。
特に高齢化は、厄介だ?
たとえは、皆が参加する共同作業は何とかしても、
順番に役割を果たそうとする共同活動は、
残念なことに70%前後しか、できなくなっている現実がある。
これでは、自分の役割は果たせない。
このようなことが、この集落内にも顕在化してきた。
さて、どうするか?
共同の形を変えることでないか?
もちろん、他の集落にもあるものと思う。
トランプさんではないが、タテのものを横にしてみる?
つまり、組織のくみ変えが有効な手段でなかろうか?
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