アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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ハンセン病家族判決の重大欠陥と沖縄・天皇制

2019年07月13日 | 沖縄と天皇制

     

 ハンセン病患者の家族が受けてきた差別・苦悩に対する国の賠償責任を認定した熊本地裁判決(6月28日)に対し、安倍首相は12日、控訴を正式に断念するとともに謝罪の談話を発表しました。
 控訴断念や「謝罪」は当然のことで、安倍氏が目論むような参院選の得点になるものではありません。賠償・救済の具体的な方法はすべてこれからの協議にかかっています。

 今後の協議に際して留意する必要があるのは、「原告勝訴」報道の中で必ずしも十分周知されているとは言えませんが、今回の判決にはそもそも重大な欠陥があることです。

 安倍首相が初めて「控訴断念」を口にした(9日)翌日の琉球新報はこう報じました。

 「弁護団の徳田靖之共同代表は、判決が米統治下の沖縄における強制隔離政策は国の責任を負わないとしていることに触れ『この判決の最大の問題点だ』と指摘した。判決確定後に行われる国との協議の中で『最重要課題として取り組む』と述べた」(10日付琉球新報)

 「米統治下の沖縄」すなわち1945~72年の「沖縄における強制隔離政策」については国の責任は問わない。これはきわめて重大な沖縄に対する二重三重の差別です。

  第1に、沖縄でハンセン病患者の強制隔離政策が苛酷かつ徹底的に行われた背景には沖縄戦がありました。

 「1944年3月、沖縄に第32軍が創設され地上戦闘部隊が続々と沖縄入りすると、軍は在宅患者を警戒しはじめる。…住民と将兵が生活空間を共有するようになったことで、将兵がハンセン病に罹り兵力が低下するのを怖れ、警戒したのだ」「戦前の『無らい県運動』では、官民が一体となってハンセン病患者を一般社会から締め出した。ハンセン病療養所でしか生きられない社会環境が形成された上で、日本軍が駐屯を始める。軍官民が一体になり、ハンセン病患者の生きる道はただ一つ、園に入ることだと追い込んだ」(吉川由紀沖縄国際大講師、『沖縄・問いを立てる4 友軍とガマ』社会評論社) 

 「米統治下の強制隔離政策」は沖縄戦のさ中に徹底された強制隔離政策の延長です。それを不問に付すことは、戦前・戦中の沖縄に対する日本政府・日本軍の犯罪的行為を隠ぺいすることに他なりません。

 第2に、敗戦後沖縄が米軍統治下に置かれたのは、沖縄に対する構造的差別です。その結果、沖縄は(もちろんハンセン病患者・家族も含め)日本国憲法から除外され、憲法が保障する基本的人権の埒外に置かれました。その責任は言うまでもなく日本政府にあります。にもかかわらずその期間の沖縄の患者・家族に対する国の責任を問わないとは、沖縄差別の上塗りにほかなりません。

 ここで強調しなければならないのは、敗戦後沖縄が米軍統治下に置かれたのは、日本側の申し出だったことです。その張本人は天皇裕仁です。

 1947年9月19日、裕仁は御用掛・寺崎英成を通じてアメリカに、「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである」(『昭和天皇実録』宮内庁編)と伝えました。これが、天皇裕仁が自己の延命と天皇制(国体)維持のために沖縄をアメリカに差し出した悪名高い「沖縄メッセージ」です。

 沖縄を「捨て石」にした沖縄戦の最大の責任者が天皇裕仁であることも言うまでもありません。

 今回の熊本地裁判決が米統治下の沖縄の強制隔離政策の国の責任を問わないとしたのは、たんに日本政府の責任を免罪するだけでなく、今に続く沖縄差別の元凶である天皇裕仁・天皇制の歴史的犯罪性を隠ぺいするものです。絶対に容認することはできません。


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