アリの一言 

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安倍政権の「戦争法案」に反対しない翁長知事

2015年05月30日 | 沖縄・翁長知事

         

 翁長雄志沖縄県知事が訪米する前日26日の琉球新報、沖縄タイムスが、「検証委員会が提言すれば、埋立承認を取り消す」という翁長氏の共同通信インタビュー(5月25日)を、いずれも1面トップで大きく扱っていること、およびその問題点については、同じ26日のブログで批判しました。

 今日30日の琉球新報にそのインタビューの全文が載りました(沖縄タイムスは上下2回に分けて掲載)。
 全文を見て驚きました。きわめて重要な個所が26日の両紙の報道からすっぽり抜け落ちているからです。26日の両紙には「発言要旨」も付いていましたが、その中にもまったくありませんでした。
 重要な個所とは、目下最大の問題であり、もちろん沖縄にも大きな影響を及ぼす、安倍政権の「戦争法案」(安保法制)に対して、翁長氏は反対を明言しないどころか、事実上容認している個所です。

 琉球新報掲載のインタビュー全文から、該当個所を引用します。

 ―安保法制の整備をどう見ていますか。
 「中国に対するコンプレックスではないか。軍事力だけでなく経済大国として台頭したことで、国民も、政治をやっている人も、いたくプライドを傷つけられた。安保法制の背景にはそんな感情があるのではないか」
 「尖閣問題の発端をつくったのは石原慎太郎(元東京都知事)さんが『都が買う』と言って、野田佳彦(前首相)さんが買ってしまったこと。それがなければ曖昧なまま多少はしのげた。安保法制には、それがしのげなくなってしまった結果の恐怖心もある」

 「コンプレックス」や「恐怖心」の当否はともかく、重要なのは、翁長氏が「安保法制」(戦争法案)の背景に中国との関係があると言いながら、法案への批判・反対をまったく口にしていないことです。むしろ、「背景」を“説明”することで、法案が必要な情勢になっていると示唆しているといえるでしょう。

 翁長氏は知事選でも集団的自衛権行使容認については「拙速だ」と閣議決定の手順については言及しましたが、「反対」は明言しませんでした。今回、戦争法案に反対せず事実上容認したことは、それと軌を一にするものです。

 その根源は、「自民党出身者として日米安保体制をよく理解している」(同インタビュー)という翁長氏の基本的政治信条にあります。そしてそれは、翁長氏の「辺野古新基地反対」が、「辺野古に新基地を造ることは日米同盟、安保体制に相当の傷をつけますよ、と(米国に)伝える」(同)という、日米安保擁護の立場からのものであることと一体不可分です。

 日米安保を繰り返し擁護し、戦争法案に反対しない知事の下で、辺野古新基地阻止の本当のたたかいを進めることができるでしょうか。沖縄から軍事基地をなくすることができるでしょうか。

 「九条の会」の事務局でもある渡辺治・一橋大名誉教授は、「戦争法案を阻むたたかいは沖縄の辺野古新基地建設を許さないたたかいと、車の両輪でたたかう必要があります」とし、こう指摘しています。
 「アメリカの戦争に加担する『海外で戦争する国』づくりは、辺野古の新基地建設、沖縄のアメリカの戦争拠点化と一体だからです。
 この二つのたたかいは、『安保は日本の平和に役に立っているのか』という問いを改めて提起していることに注目する必要があります。戦争法案は日米安保条約の範囲を拡大し、世界中どこでもアメリカの戦争に日本が加担する体制をつくろうとしています。辺野古新基地建設は、安保のグローバル化に伴う米軍再編の一環として強行されようとしています。安保と基地では平和は守れないという声をあげていく必要があります」(「しんぶん赤旗」5月17日付、写真右)

 「辺野古新基地阻止」と「戦争法案阻止」は「車の両輪」。「安保と基地では平和は守れない」。これをたたかいの根底に据えることが、今ほど求められている時はないでしょう。
 

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