
第1回は、「私の沖縄日記」のタイトルで、那覇市内のアパートから、「これから自分の目で見、耳で聞き、肌で感じた「オキナワ」をお話ししていきたいと思います」として始めました。ブログは初めて、パソコンの扱いもままならない状態でしたが、「伝えたい」一心でした(写真)。
2014年1月、母の介護のため広島に戻ってからは、「私の沖縄日記―広島編」として、「本土」から沖縄を見る視点を基本に書きました。
やがて、その視点からの発信に能力の限界を知り、テーマを広げ、タイトルも「アリの一言」に変えました。巨大な堤も「アリの一穴」から崩れることに倣いたいとの思いからです。
「ジャーナリスト」の端くれでありたいと思っていながら、自らの取材ではなくもっぱら報道や書籍からの情報をもとに「論評」することに、ずっと忸怩たるものを感じています。
でも、何もしないよりマシではないかという思いと、「赤旗」の駆け出し記者時代に吉岡吉典政治部長(当時、のち参院議員)から、「材料(ネタ)に新しさがないなら、視点で新しさを出せ」と言われた言葉を支えに、続けてきました。
しかし、ブログ1回目に書いた「自分の目で見、耳で聞き、肌で感じたこと」を書くのがジャーナリズムの原点であるとの思いは今も変わりません。
書くうえでの自分なりのルールは、事実の不確かなことは書かない、引用は出典を明記する、という当たり前のことのほか、新聞の社説の上塗りのようなものは書かない、奇をてらうことなく独自の視点を出す、読んでいただいて少しでも「参考になった」と思っていただけるものを書くよう努める、などです。が、力不足を痛感する毎日です。
それでも、「アリの一言」は、命ある限り、あるいは認知症で執筆不能にならない限り、続けようと思っています。
昨年9月、思わぬ大腸がんの手術で入院した際、お世話になった看護師さんにメモ書きで渡した茨木のり子の詩を、今後の自分への励ましにしたいと思います。
「小さな渦巻」
ひとりの人間の真摯な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくる
それは風に運ばれる種子よりも自由に
すきな進路をとり
すきなところに花を咲かせる (1955年、茨木のり子30歳)
※いつも拙ブログをお読みいただき、誠にありがとうございます。
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e-mail:satoru-kihara@alto.ocn.ne.jp 鬼原 悟