アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「8・29」は忘れてならない歴史の日

2019年08月29日 | 天皇・天皇制

     

 きょう8月29日は何の日か、と聞かれて答えられる日本人が何人いるでしょうか。

 「1910年6月、寺内正毅(当時陸軍相、長州出身―引用者)を3代目『統監』(朝鮮統監府―同)に任命した日本は、『不穏』な動きを封じ朝鮮とういう国そのものを完全に消滅させるための『併合』計画に着手した。同年8月22日、憲兵、警察に戦闘準備をさせ王宮と政府の重要部署を包囲し、総理大臣李完用をして『韓日併合条約』に調印させた。日本と親日売国奴は朝鮮人民の反抗を恐れ、『条約』を1週間ものあいだ秘密に付し、新聞を停刊、愛国団体を解散させ、反日運動家を検挙するなどして、8月29日にいたって、その事実をやっと公表した」(金昌宣著『加害と被害の論理』朝鮮青年社1992年)

 「8・29」は「日韓併合条約」が公表され、日本が朝鮮半島の植民地支配を“正式に”開始した日。韓国・朝鮮の人たちにとってはまさに「屈辱の日」なのです(写真左は「併合条約」が強行された当時の朝鮮王宮=景福宮)。

  なにげなく使っている「併合」という言葉にも意味があります。

 「『併合』という言葉がどういう理由でもちいられたのか、当時の…倉知鉄吉外務省政務局長は、後にこういっています。…『韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となる』という意味を明確にすると同時に、その『言葉の調子があまり過激にならないような文字を選ぼう』と思い、いろいろ苦心し…『併合』という文字を閣議決定の文書にもちいた…。『併合』とは『韓国が全然廃絶に帰して帝国領土の一部となる』ということだったのです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)

 すぐ想起されるのが、「琉球処分」(1879年)です。「処分」も「併合」も帝国日本が琉球、韓国・朝鮮を「廃絶」して「帝国領土の一部」にする意図を持つ言葉だったのです。

 「日韓併合条約」は第1条で、「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」とし、第2条で、「日本国皇帝陛下は前条にかかげたる譲与を受諾しかつ全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」としています。
 韓国側が統治権を「譲与」し日本はそれを「承諾」するという姑息な形式の「条約」を、日本は軍隊・警察の武力の中で強行したのです。
 この「譲与」「受諾」の主体が、「韓国皇帝」と「日本国皇帝」=天皇であったことに留意する必要があります。

 この日(1910年8月29日)、天皇睦仁(明治天皇)は「韓国併合の詔書」を出しました。その中でこう述べています。「民衆ハ直接朕ガ綏撫(すいぶ=いたわること―引用者)ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ増進スヘシ…」。こうして「朝鮮人は天皇の赤子として位置づけられました」(宮田節子氏『日朝関係史を考える』青木書店1989年所収)。
 「日本の36年間にわたる朝鮮支配(1910~45年―引用者)の基本方針は、『同化政策』とよばれるものです。つまり朝鮮人を日本人化することに最終のねらいがあったわけです。その根拠になったものは…明治天皇が出した『韓国併合の詔書』です」(宮田氏、前掲書)

 1945年8月15日まで続いた日本による朝鮮植民地支配の基本方針は、朝鮮を「廃絶」し、朝鮮人を日本人に「同化」させることであり、その根拠になったのが天皇睦仁の「詔書」だったわけです。
 日本による朝鮮植民地支配は、文字通り天皇の名による、天皇の言葉に基づいた、天皇制国家の暴挙・蛮行でした。この事実を、今に生きる私たち日本人は肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。


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