アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「不自由展」攻撃と新天皇キャンペーン

2019年10月12日 | 天皇制と人権・民主主義

     

 「あいちトリエンナーレ2019」は今日12日閉幕します。開幕から3日で閉鎖された「表現の不自由展・その後」は2カ月後の今月8日再開しました。最低限の修復はしたものの、問題の本質はなんら解決していません。

 この事件は多くの問題を含んでいます。たんなる「表現の(不)自由」の問題ではありません。何よりも、安倍政権が補助金を不交付にしたことは、国家権力による検閲以外のなにものでもなく、芸術(祭)に限らず、あらゆる分野にわたって国家に対する「萎縮効果」を狙うもので、絶対に許すことはできません。1日も早く「不交付」を撤回させる必要があります。それなくして今回の事件の解決はありえません。

  同時に、メディアの報道が「少女像などの展示内容」として「など」の中に入れ、一貫して明言を避けている問題を指摘しなければなりません。それは、今回の「不自由展」で主に攻撃されたのが、性奴隷(元慰安婦)をモチーフにした少女像とともに、天皇裕仁・天皇制をモチーフにした作品だったことです。

 「不自由展への抗議の5割は『平和の少女像』、4割は大浦信行作品『遠近を抱えてPart Ⅱ』へのもので、それは昭和天皇を描いた版画を燃やすなどの映像を含めて構成されていたという」(豊見山和美氏・アーキビスト、9月11日付琉球新報)

 「4割」の攻撃を「など」で片づけことはできません。
 そのことを攻撃者側から示しているのが、あの河村たかし名古屋市長です。河村は主催者側(実行委員長代理)でありながら今回の事件の火付け役の1人ですが、8日には再開に「抗議」して会場前で座り込むという妄動を行いました。
 その河村が手にしたプラカードにはこう書かれていました。「日本国民に問う!陛下への侮辱を許すのか!」(写真中)。ここに攻撃の本丸があると言えるでしょう。

 「少女像」と天皇(裕仁)をモチーフにした映像の2つが主な攻撃対象だったことは、けっして偶然ではなく、きわめて重要な意味を含んでいます。

 「今回起きているのは憲法にある『表現の自由』よりも、特定の思想信条に対する差別の問題だ。…脅迫者の動機の根底には差別的な意図がある。それは天皇制に批判的な人への差別であり、朝鮮半島の人への差別だ」(木村草太首都大東京教授、10月3日付中国新聞=共同)

 「『慰安婦』と『天皇』。…この二つの主題が最強の地雷となったことの意味は深い。慰安婦に群がった男たちは、皇軍の成れの果てだった。両者の並ぶ美術展が、ある種の威圧で中断に追い込まれた。それは、あの戦争の真の反省を回避し続け、74年後の現在なお新たな戦争を欲望する日本という国家の奇形が、国際芸術祭の場でも露呈したということではないか?」(豊見山和美氏、同前)

 日本のメディアは「など」によって、木村氏や豊見山氏が指摘する問題の本質から逃げているのです。それは今日における天皇タブーに他なりません

 さらに目を向ける必要があるのは、今回の「不自由展」が、徳仁天皇の「即位後朝見の儀」(写真右)からちょうど3カ月目に開幕し、閉幕の10日後には「即位礼正殿の儀」が行われるという事実・タイミングです。

 「性奴隷」と「天皇」をモチーフにした2作品に対する歴史修正(改ざん)主義者・安倍政権の攻撃が、新天皇キャンペーンのさ中に起こったことはけっして偶然ではなく、天皇制の本質問題を照射しているのではないでしょうか。

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