アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記63・NHKの異常な天皇キャンペーン・坂本九さんと天皇裕仁

2019年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

☆NHKの異常な「天皇裕仁擁護」キャンペーン

 74回目の「8・15」に、NHKが天皇裕仁を擁護し天皇制を美化する異常なキャンペーンに乗り出している。
 15日夜のNスぺは「全貌二・二六事件」、翌16日夜のニュース7では「拝謁記」(戦後初代宮内庁長官・田島道治の記録)なる「新資料」が発見されたとの「ニュース」をトップ扱いし、17日夜の同じニュース7でも同じネタ(「拝謁記」)を繰り返しトップで扱い、さらに同日夜のNスぺでも特集した。どうやら18日以降もまだこれを扱うらしい。

 詳細な批判は別にするが、「全貌二・二六事件」は陸軍若手将校の「クーデター」を鎮圧したのは裕仁の決断だったとし、「拝謁記」は、裕仁が戦中は軍部の「下剋上」に悩み、戦後は政治への関与を避けながら「象徴天皇」の模索に苦悩した、というものだ。裕仁の戦争責任をあいまい(帳消し)にし、裕仁が戦後も政治に関与し続けてきた(「沖縄メッセージ」はその典型)憲法違反の事実を打ち消そうとするものだ。

 「8・15」前後にNHKが天皇制擁護の番組を組むのは珍しくないが、今年は例年以上の執念を感じる。それは明仁から徳仁に代替わりしたことと無関係ではないだろう。裕仁の孫が天皇になったのを機に、「天皇の戦争・植民地支配責任、戦後責任」を帳消しにし「新しい時代」へ向かおうとする思惑がうかがえる。それが安倍晋三の歴史修正主義、安倍政権の「令和キャンペー」と符合することは言うまでもない。

 しかし、安倍やNHKが隠そう、消そうとしているこの歴史こそ、日本人が知らねばならない、教訓にしなければならない最も重要な歴史だ。なきものにされるわけにはいかない。反動勢力の執念に負けてはいられない。

 ☆坂本九さんと天皇裕仁

 8月12日は日航機墜落事故から34年。この事故で亡くなった1人に歌手の坂本九さんがいた。ちなみに私が小学生の時に生まれて初めて買ったレコードは、九ちゃんの「サヨナラ東京」だった。

 九ちゃんを偲んで「ラジオ深夜便」で特集をしていた。その中で九ちゃんの初のヒット曲は1961年発売の「悲しき六十才(ムスターファ)」(作詞・青島幸男)だったと言っていた。
 この曲にはいわくがある。せっかくヒットしていたのに、放送禁止になったか、警告を受けただけだったかは記憶が定かでないが、とにかく圧力がかかったことを覚えている。子どもながらに、おかしなことがあるものだと思ったものだ。

 なぜ圧力がかかったのか。「悲しき六十才」というタイトル・歌詞が良くない、不謹慎だというのだ。その年「六十才」になったある人物の筋からのクレームだ。その人物とは誰あろう天皇裕仁だ。天皇がめでたい還暦を迎えたのに、「悲しき…」とは何事だ、というのだ。

 「表現の不自由」はもちろんアートだけではない。数々の歌も自由を抑圧され、放送禁止になってきた。朝鮮分断の悲劇を歌った「イムジン河」(フォーク・クルセイダーズ)もその1つだ。
 歌やアートに限らず、「表現の自由」を圧殺してきた(している)最大の敵が「天皇制」だった(である)ことも、忘れてはならない事実だ。


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