アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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高村薫「ウクライナ講演」から考える<下>「停戦協議」

2022年11月29日 | 国家と戦争
   

 高村薫氏は講演で、ウクライナ戦争で「一向に停戦協議が進まない」のはなぜかについて、こう述べています(抜粋)。

< ゼレンスキー大統領は国民に向け、団結して祖国を守るよう強く呼びかけた。日本を含む西側諸国ならば、まず市民に避難を呼びかけるはずですが、市民に銃を取らせると言ってはばからない。ウクライナという国家が、その成り立ちや旧ソ連の歴史をいまなお色濃く残し、西側とだいぶ違う価値観や国家観を持っているのだと気づいたわけです。

 非人道的な無差別攻撃や虐殺に対する絶対的なノー。ウクライナ支援を惜しまないのは、ロシアはどこまでも悪、ウクライナはどこまでも正義という図式が欧米の市民にあるからです。一向に停戦協議が進まないのは、欧州の人々に妥協がないからだとも言えます。

 ウクライナの戦争が欧州の戦争である故に、人々はナチス・ドイツによるホロコーストをすぐに思い起こします。

 従来ならば前面に出ていたであろう国家がいまでは後ろに退き、代わりに市民感覚というものが雲のように欧州を覆っている。国家が後退したところで起きている戦争は、止める者もいない。

 今回の戦争が何とも捉えにくい姿をしているのは、多様なメディアの混在以上に、全体として国家の影が薄れていることが大きい。国家が後ろにひいてしまった戦争の最大の難題は、戦争を終わらせる公の筋道がないことなのです。>

 ここにはウクライナ戦争(あるいは現代の戦争)における市民(国民)と国家の関係についての重要な問題提起があります。しかし、私は高村氏の主張には賛同できません。

 たしかに、SNSの普及もあって、「ウクライナ市民の悲嘆・怒り」がリアルに放映されます。それを受けてゼレンスキー氏はウクライナ市民に銃を持って戦うことを呼び掛け、市民はそれに応えてロシアへの憎悪をたぎらせ「徹底抗戦」を口にする映像が頻繁に流されます。それはウクライナにみる戦争の新たな特徴でしょう。

 しかし、それは果たして「ウクライナ市民」「欧州の人々」の実態を正確に映し出しているのでしょうか。

 例えば、民間のシンクタンク・欧州外交評議会(ECFR)の報告書(6月発表)によれば、ウクライナ戦争に関する欧州各国の世論調査(10カ国、約8000人)の結果、「和平派」が35%、「正義派」が22%で、「正義」の戦争より「停戦・和平」を支持する欧州市民の方が多数でした(6月20日のブログ参照)。

 ウクライナ市民はどうでしょう。政府による報道統制のため「和平派」の声は聞こえてきません。しかし、きわめて限られた報道の中からも、「和平派」の存在をうかがうことはできます。

 例えば、君島東彦・立命館大教授(元日本平和学会会長)は新聞の論稿の中でこう指摘しています。

「ウクライナのクローク大で教えている平和学者ユーリ・シェリアジェンコ氏は、絶対平和主義の立場からこの戦争を批判する論陣を張っている。彼は「戦争を終結させるためには、より大きな東西対立(米国・西側と中ロの対立)を終わらせる必要があり、従って和平交渉は包括的でなければならない」と述べており、示唆的である」(8月28日付中国新聞=共同)

 こうした「和平派」の声を抑えて戦闘を続けているのはウクライナ政府=国家です。ロシアの軍事侵攻・戦争継続がプーチン大統領による国家戦略であるのと同様、ウクライナの「徹底抗戦」、米国・NATO諸国によるウクライナへの軍事支援もすべて国家戦略です。統制した報道によって市民を前面に出し、いかにも市民全体が「停戦協議」に反対しているように見せるのは、それ自体、高村氏が指摘する国家による新たなプロパガンダではないでしょうか。

 「停戦協議が進まない」のは、国家が後景に退いているからではなく、逆に、市民を前面に出した国家戦略の結果だと考えます。
 言い換えれば、ウクライナ戦争が長引くことを望む勢力があるからです。それは戦争によって莫大な利益を得る兵器産業(死の商人)、それと癒着した国家権力です。「ウクライ戦争」や「NATO並み」を口実にした岸田政権・自民党の大軍拡・ミサイル基地化・敵地攻撃能力保持もその一環です。

 ウクライナに1日も早い停戦・和平を実現することと、日本で岸田政権・自民党の大軍拡に反対することは、けっして無関係ではありません。
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