「「死にたい…」。阪神大震災から25年を迎えた今、復興住宅に住む一人暮らしの高齢者の声である」
1995年1月17日午前5時46分、マグニチュード7・3の地震によって6434人の命が奪われました。阪神淡路大震災から25年の昨年12月、震災直後から被災者の支援に奔走してきた「よろず相談室」の牧秀一さん(70)(写真中)が、『希望を握りしめて』(能美舎)という証言集を上梓しました。
「ここ数年、人々が抱える問題は深刻になってきている。震災で何もかも失い、避難所、仮設住宅、復興住宅と二度三度の転居でコミュニティの分断を余儀なくされ、それでも生き続ける震災高齢者は1万人を超える。復興住宅の65歳以上の高齢者は半数を超え、そのほとんどが一人暮らしである」
「阪神淡路大震災は、6434人のそれぞれの人生を奪った。また、震災を生きてくぐり抜けた人たちの約1500人が孤独死・自殺で亡くなった。その原因は高齢化だけではなく、生き続ける希望を失った結果だと私は思う」
阪神淡路大震災から16年後に東日本大震災・東電原発事故が起こり、そのあまりの衝撃と被害の大きさに、私の中で阪神淡路大震災が風化しかけていたと気づかされました。26年前の大震災の被害はいまも続き、むしろ深刻さを増しているのです。
昨年見たドラマで印象に残っているものの1つが、「心の傷を癒すということ」(NHK)でした。阪神淡路大震災で被災者の「心のケア」に心血を注ぎ、40歳で早世した在日2世の精神科医・安克昌さん(写真右)の同名著書に基づくドラマです。
安医師は災害時における社会的マイノリティの問題に着目していました。
「阪神・淡路大震災で、外国人は173人の死者を出している。内訳は、韓国・朝鮮111人、中国・台湾44人…」「マイノリティの問題は、外国人の問題にとどまらない。身体・精神障害者や被差別に対する差別問題などは、震災前からあったことである。
神戸では現在、復興計画が展開されている。コミュニティに大きな変動が起こるとき、多数派の論理が跋扈し、マイノリティが、排除か同化か、の二者択一を迫られやすい。排除か同化かではなく、マイノリティがそのアイデンティティを保ちながら、地域のコミュニティに属する方向を模索することが大切なのである」(『心の傷を癒すということ』作品社1996年)
牧さんは「震災障害者」の問題をもっと早く重視すべきだったと自らに厳しい目を向けながら、こう強調します。
「人は人によってのみ救うことができる」
牧さんや安医師の言葉は、阪神淡路大震災の被災者にあらためて目を向けることの必要性を教えています。同時にそれは、コロナ禍の渦中にある現在の私たちに重要な示唆を与えているのではないでしょうか。
朝鮮学校の児童・生徒・学生たちは政府・自治体の支援施策から排除され、経済的弱者はますます貧困に突き落とされ、シングルマザーはじめ女性や障がい者、高齢者の声は見向きもされない…。26年前の阪神淡路大震災の教訓は、何も生かされていません。
大震災や感染症拡大という「コミュニティの大きな変動」、社会が危機のときだからこそ、マイノリティ、社会的弱者の声が尊重され、人権と生活が守られなければならない。それでこそ、「人が人を救う」社会にすることができるのではないでしょうか。