アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記105・「緊急事態宣言」のレトリック・マスクを外す閣僚たち

2020年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「緊急事態宣言」のレトリック

  新型コロナ感染が「第2波」の様相を呈してきた。それでも安倍政権は「まだ緊急事態宣言を発する状況ではない」と繰り返す。メディアは「もう宣言してもいいのでは」という「街の声」を拾う。これは危険な構図だ。

 市民の不安は当然だ。しかしその不安が「緊急事態宣言」に結び付けられ、まるで市民が「宣言」を待望しているかのように描かれている。これは安倍政権の思うツボだ。

 「緊急事態宣言」は市民の権利の抑制・はく奪を伴う(特措法)。4月7日に安倍政権が初めて発した「宣言」はそれほど強烈なイメージはなかったとしても権利はく奪の強権発動という本質は変わらない。政権(国家権力)が今後、同じ「緊急事態宣言」の名でさらに強烈な権利はく奪を狙ってくるのは目に見えている。自民党の改憲草案がそれを示している。

 「コロナ禍」で必要なのは言うまでもなく、政府(国家)の「緊急事態宣言」ではなく、PCR検査や保健所・医療機関体制の抜本的強化だ。その肝心な方はないがしろにしたまま、「緊急事態宣言」という言葉が独り歩きしている、いや、独り歩きさせている。それは安倍政権の策略だ。

☆マスクを外す閣僚たち

 10日、東京の「新規感染者」は過去最多の243人となった。いっそう気を引き締めねばならない。ところが、この日の閣議後の閣僚記者会見では、テレビに映った菅官房長官も西村経済再生相も赤羽国交相も、みんなマスクを外して会見していた。

 どういうことだ! 安倍政権は「コロナ対策としてマスクが重要」と繰り返しながら、自分たちはマスクを外して会見しているではないか! 閣議後の会見で閣僚がそろってそうしたのは、政権内での申し合わせとも思われる。この日の関係閣僚会議でも安倍首相はマスクをしていなかった。

 なぜあえてマスクを外して会見するのか。2つ考えられる。1つは、感染の急拡大にもかかわらず、安倍政権はこの日(10日)からプロ野球観戦など大規模イベント(5000人上限)を解禁した。そのため「たいした状況ではない」ことを示そうとした? それにしても、わざわざ外すことはないだろう。

 もう1つは、トランプだ。トランプ大統領は相変わらずマスクをしていない。大統領府の担当者がマスクの必要性を強調しているにもかかわらず。まさか、このトランプとの共同歩調を示すためか? トランプとの盟友ぶり(追随)を誇示してはばからない安倍なら考えられないことではない。

 理由はともかく、いっせいにマスクを外す閣僚たちの姿は、安倍政権の言行不一致、コロナ軽視を象徴する姿だ。それが市中のマスク着用者の減少を招いているのではないか。

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