アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「天皇」と「五輪」のダブル政治利用

2020年01月07日 | 天皇制と政権

    

 安倍首相の「仕事始め」はやはり伊勢神宮参拝とそこでの年頭会見でした(6日)。会見の中で安倍氏は、あらためて憲法「改正」への意欲を強調しました(写真左、中)。
 安倍首相の改憲戦略を左右するのが、衆院の解散・総選挙の時期です。現在「有力視されているのは、東京オリ・パラ終了直後の解散」(6日のNHK解説)です。あるいは、「オリ・パラ」前、7月の東京都知事選とのダブル選挙の可能性も取り沙汰されています。

  いずれにしても、安倍氏が東京五輪前後に解散を考えているのは間違いないでしょう。選挙になれば五輪(誘致)の“成果”を前面に出すのは目に見えています。これはアスリートたちがもたらす感動を政権のイメージアップ・選挙の票につなげようとするもので、露骨な五輪・スポーツの政治利用と言わねばなりません。

  そもそも「解散権は総理にある」というのは、政界とメディアがつくりだしている虚妄です。首相が勝手に衆院を解散できるわけではありません。
 憲法が規定している衆院の解散は、69条の内閣不信任案可決以外にはありません(69条解散)。にもかかわらず「首相の解散権」なる虚妄が横行しているのは、7条3項(「衆議院を解散すること」)があるからです。しかし、同3項は「天皇の国事行為」として挙げられているもので、いくら「内閣の助言と承認により」となっていても内閣(首相)が勝手に「解散」を「助言」できるもでないことは憲法学の通説です。

  にもかかわらず7条を“根拠”にした解散(7条解散)が横行しているのは、時の政府(首相)による天皇(制)の政治利用にほかなりません。憲法に反するこの解散に対し、野党やメディア、そして「主権者・国民」がなんの批判もせず当然視しているのは、立憲主義の重大な陥穽であり、思考停止のさいたるものと言わざるをえません。

  安倍首相が東京五輪の前後に7条解散を強行しようとしているのは、五輪・スポーツと天皇(制)の二重の政治利用です。絶対に容認することはできません。

  留意すべきなのは、五輪・スポーツは首相に政治利用されているだけでなく、天皇制の強化にも利用されていることです。1940年の「幻の東京五輪」が、神武天皇即位を起点とした「皇紀2600年」を祝う目的だったことはあまりにも露骨ですが、今年の「東京オリ・パラ」も天皇制強化と密接な関係があります。

 「2020東京五輪」の名誉総裁は天皇徳仁です。それは徳仁天皇の国際的デビューの舞台となり、天皇の権威を内外に誇示することになります。
 開会式・閉会式・表彰式は、「日の丸」・「君が代」が大手を振り、「国民」がそれに涙する場となります。
 五輪組織委の森喜朗会長は、「国歌(君が代)も歌えないような選手は日本の代表ではない」と言い放ちました(2016年7月3日)。
 数多くのスポーツ競技の優勝杯が「天皇杯」「皇后杯」とされているのは、天皇制強化へのスポーツ利用の日常化ですが、五輪メーン会場の新国立競技場のこけら落とし(競技分野)がサッカーの天皇杯決勝であったことは象徴的です。

  こうして五輪・スポーツが天皇(制)と一体となって国家主義(雰囲気)を高め、その気分的高揚・思考停止の中で(それに乗じて)、安倍首相が「令和新時代にふさわしい憲法」を公約して解散・総選挙を強行する―いま進行しているのはこうした重大な事態であることを銘記する必要があります。

 ところで、2日のブログ(「日本の首相の1年は天皇拝謁・伊勢参拝から始まる」)で、安倍首相だけでなく、枝野幸男民主党代表、玉木雄一郎国民民主党代表もおそらく今年も伊勢神宮参拝を「仕事始め」にするだろうと書きましたが、案の定、二人とも4日に伊勢神宮を参拝しました。そのことの異常性を指摘するメディア・「識者」は皆無です。

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