アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

危険な“馴れ”―自衛隊・監視カメラ・緊急事態宣言

2021年12月27日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会

    

 26日は年末恒例の競馬「有馬記念」。レース前に歌手が「君が代」を独唱するのが恒例ですが、この日歌ったのは、自衛隊中部方面音楽隊の鶫(つぐみ)真衣3等陸曹でした(写真左)。

 同じ26日に行われた全国高校駅伝。NHKの実況アナウンサーは、大会協力団体の1つとして「陸上自衛隊」を挙げました。自衛隊が高校駅伝の何を「協力」するというのでしょうか。

 昨日は「自衛隊サンタ」について書きましたが、自衛隊の市民生活への浸透作戦は強化されています。市民はそれに馴らされ、自衛隊という名の軍隊が身近にいることに、違和感・抵抗感を持たなくなってきているのではないでしょうか。

 同じことが「監視カメラ」についても言えます。

 犯罪事件が起こるたびに「防犯カメラによれば…」という報道が日常化されています。市街地には警察が設置したカメラが溢れている(写真中は福山市内の交差点)ほか、私設のカメラも増え、その映像が警察に提供される事例も珍しくないようです。

 「防犯カメラ」が犯罪の抑止・捜査に一定の効果があるとしても、設置に馴らされ、何の疑問ももたないのはきわめて危険です。

 なぜなら、カメラの設置・利用・保存等に関する詳細な規定は明確ではなく、すべては警察の思うままだからです。その一方、カメラに「顔識別」機能を持たせるなど、個人のプライバシー侵害の恐れはますます強まっています。

 そもそも、「防犯カメラ」とは警察とメディアの用語で、その本質は警察(国家権力)が市民の動向をつかむ「監視カメラ」であることを忘れることはできません。

 馴らされることがきわめて危険なもう1つは、「緊急事態宣言」です。

 コロナ禍でこの言葉が流布し、抵抗感がなくなってきています。むしろそれを望む風潮すらみられます。安倍晋三政権によって初めて「緊急事態宣言」が発令された時(2020年4月7日)は、「私権制限」など憲法上の問題も指摘されましたが、今ではそうした議論は影を潜めているようです。

 「緊急事態宣言」はもともと、自民党が狙う憲法改悪の中心的柱の1つです。

 自民党の「改憲草案」(2012年4月27日決定、写真右)の第98条は、「緊急事態の宣言」で、「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱…その他の法律で定める緊急事態において…緊急事態の宣言を発することができる」としています。

 そして総選挙後、改憲派が多数となった国会では、さっそく憲法審査会が動き出し、そこでは早くも「緊急事態条項新設も議題」(17日付中国新聞=共同配信)になっています。

 はじめは抵抗感の少ないことから馴らしていき、徐々に所期の目的を果たす。市民が気付いたときはすでに手遅れ。それが国家権力による市民支配の常套手段です。上記の3つは、すべてそれに該当します。

 そしてそれらはすべて、日米安保条約=軍事同盟の強化によって、日本が戦争国家化への道を急速に進んでいることと密接に結びついていることを銘記する必要があります。

 

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