アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「朝鮮植民地支配反省の国会決議」要求声明に学ぶ

2019年08月12日 | 朝鮮と日本

     

 「朝鮮民族は、歴史によって深く結ばれた、私たちのもっとも身近な隣人です。その人々に加えた抑圧と支配の歴史を清算し、真の和解を求める道に立つことは、日本人が世界の人々とともに生きるための不可欠の前提であるはずです。これは日本国民がとうに果たさなければならなかった課題でした。
 本年は三・一独立運動の七十周年にもあたります。いまこそ世論をおこし、国民的合意を形成し、朝鮮民族との和解を願う国民的意思表示を行う必要があります。そのための最良の形態は国会決議です」

 今年は「3・1独立運動」(1919年)から100年。そうです、この文章は今から30年前に書かれた、「朝鮮植民地支配反省の国会決議を求める声明」(1989年1月31日)の一節です(『日朝関係史を考える』旗田巍氏ら共著、青木書店1989年より。太字は引用者)

  呼びかけ人は、木下順二、鈴木二郎、関屋綾子、高崎宗司、竹内謙太郎、鶴見俊輔、遠山茂樹、中嶋正昭、西川潤、旗田巍、日高六郎、和田春樹の各氏です。

  「声明」は国会決議の内容として、次の3点を要求しています。

 (一)  朝鮮に対する日本の植民地支配は、軍事力、威力によって朝鮮民族に対し強制されたものであることを確認する。

(二)  三十六年間(1910年「朝鮮併合」~1945年―引用者)の植民地支配を通じて、日本国家が朝鮮民族に計り知れない苦痛を与えたことに対して、反省し、謝罪する。

(三)  この反省に立ち、内外政策を再検討し、是正実行していく決議を表明する。

  素晴らしい内容です。朝鮮植民地支配の本質と日本人の責任がはっきり示されています。要求したのが「政府声明(見解)」ではなく「国会決議」だったのは、「国権の最高機関」である国会と主権者・「国民」の責任を明確にするためでしょう。

  歴史修正主義者・安倍晋三政権の下で、日本の植民地支配責任の棚上げ・風化が進行し、韓国・朝鮮との関係がきわめて悪化している今、30年前のこの「声明」が問い掛けたものの意味・価値にあらためて注目し、学ぶ必要があるのではないでしょうか。

  日本の「知識人」が、今と違って、当時は優れた役割を果たしていたことも注目されます。

  もう1つ重要なのは、この「声明」が、天皇の代替わり(天皇裕仁の死去)に際して発表されたことです。こう記されています。

  「過ぎた昭和の時代は十五年の戦争をふくみ、戦後は四十四年にわたりました。この時にあたり私たちが考えるべきことは、敗戦にいたる歴史の清算がこの四十四年間に十分に、本当に成しとげられたのかということです」

  「四十四年」を「七十四年」に替えれば今年にそのままあてはまります。天皇の退位・即位、改元をお祭り騒ぎで“歓迎”する状況が、メディアを動員して政略的につくられているいま、天皇の代替わりを日本の戦争責任・植民地支配責任の「歴史の清算」がなされていたか自問する契機にすべきだとした「声明」の指摘は、現代の日本人に対する警鐘ではないでしょうか。

  帝国日本の朝鮮植民地支配責任の棚上げ・風化策動、日本人の自己中心主義・歴史責任の回避と、天皇・天皇制賛美は表裏一体です。

 


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