アリの一言 

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武部元自民幹事長「日本は天皇の国」発言をなぜ見過ごすのか

2019年07月16日 | 天皇・天皇制

     

 武部勤元自民党幹事長が14日、北海道の選挙応援演説で、「天皇、皇后両陛下が、国民の心からの歓迎を受けて令和新時代が始まった。天皇の国と言っても過言ではない日本の歴史の中で、国民に根付いている」(15日付共同配信記事)と述べました。そして、天皇が出席する国会開会式に日本共産党が欠席していた(2016年1月まで)ことを「日本の魂を否定する」(同記事)と批判しました(写真左は15日付沖縄タイムス)。

 武部氏の発言が荒唐無稽の暴言であることは言うまでもありません。「初代天皇」とされる神武天皇は架空の人物であり、天皇が政治的実権を握っていた期間はむしろ短かったのが「日本の歴史」です。天皇が強大な力を持つようになったのは明治藩閥政府が富国強兵の国策のためにつくった体制です。
 武部発言で最も問題なのは、主権在民の今日の社会と戦前までの「歴史」を意図的に混同させて「日本は天皇の国」としていることです。現憲法の基本的理念を蹂躙するもので、「政治家」失格であることは明らかです。

 武部氏の愚昧さは明りょうですが、ここで考えたいのはそのことではありません。

 武部氏の暴言は翌日の新聞で大きく報じられるだろうと思っていたら、実際に取り上げた全国紙は毎日新聞(2面下段囲み)だけでした。読売や産経はもとより朝日も東京も報じませんでした。テレビニュースも(私が見た限り)、NHKはじめどこも報じませんでした。大半のメディアは武部発言をスルーしたと言えるでしょう。この現象こそ問題です。

  一般に、メディアが「政治家」の問題発言を報じないのは、その「政治家」があまりにも「小者」で取るに足りないと判断したか、問題発言を問題と思わないかのどちらかです。確かに武部氏は、かつて「日本は天皇を中心とした神の国」(2000年)と発言して辞任した森喜朗首相(当時)に比べれば「小者」でしょうが、それでも一応政権党の元幹事長(党内ナンバー2)です。大半のメディアが報じなかったのは、後者の理由、すなわち武部氏の発言を問題と思っていないからではないでしょうか。

 メディアだけではありません。政府・自民党の「問題発言」には敏感に反応する(特に選挙中は)野党側からも、武部発言を批判したというニュースは聞かれません。それもまた、武部発言を問題だとは思っていないからではないでしょうか。

 自党への批判にはとりわけ敏感な共産党が、15日の機関紙「しんぶん赤旗」で武部発言を1行も取り上げていないのは、いったいどうしてでしょうか。天皇が出る国会開会式(写真中)に出席しないことを「日本の魂を否定する」と言われて反論しないのは、2016年1月の国会から出席するように方針転換したことと関係があるのでしょうか。

 武部氏の「日本は天皇の国」発言は、森氏の「日本は天皇を中心とした神の国」発言と本質的には同類、五十歩百歩です。森氏がこの発言でやがて辞任せざるをえなかったのに比べ、武部氏の暴言は大半のメディア、野党が問題にもしない。
 この違い、落差が示しているのは、「日本は天皇の国」に同調する風潮が日本社会で強まっている(2000年よりさらに強まっている)、天皇翼賛体制が政界や社会にまん延しているということではないでしょうか。
 これこそ今回の武部発言が示した最大の問題だと言わねばなりません。

 


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