アリの一言 

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外国籍児童生徒の不就学問題の本質は何か

2019年10月08日 | 民主主義・人権

     

 外国籍児童生徒の就学状況について、文科省の初の実態調査が9月27日発表されました。それによれば、小中学校に通う年齢にもかかわらず不就学の外国籍の子どもは全国に1万9654人、調査対象とした子どもの15・8%にのぼります(9月28日付各紙=共同、調査は今年5~6月)。
 日本政府は外国人労働者を確保するため4月に入管法を「改正」しました。今後外国籍の子どが増えるにつれて不就学児童生徒もさらに増加するのは必至でしょう。この問題をどうとらえればいいでしょうか。

 不就学の理由について愛知淑徳大の小島祥美准教授は、「保護者が仕事をする間にきょうだいの世話を任されるとか、自ら外で働くとかで、学校に通えない…一度は学校とつながっても、日本語がうまく使えず学力が低いとみなされたり、保護者が日本語を分からず学用品を準備できなかったりして、ドロップアウトするケースも少なくない」(同共同配信)と指摘しています。

  外国籍児童生徒の不就学の背景に、親・家族(外国人労働者)の重労働・生活苦があることは明らかです。子どもの不就学問題は外国人労働者の就労・生活・権利保障問題の一環です。

  言葉の障壁も大きな要因です。そのため「国際教室」などの名前で日本語指導教室を設けている学校やNPO法人があります。問題は、「不就学の子どもに対する公的支援はほとんどない。その隙間を埋めているのはNPO法人などの民間団体」(月刊「イオ」10月号。写真も)だということです。

  ではなぜ日本政府は外国籍の子どもたちに対して「公的支援」をしないのでしょうか。

  日本国憲法は第26条で、「すべて国民は…教育を受ける権利を有する」と定めています。この「国民」の中に外国籍の子どもは含まれないというのが日本政府の見解です。その結果、外国籍の子どもたちから教育を受ける権利が剥奪されています。これが国際人権規約、こどもの権利条約などに照らして許されないことは明白です。
 「義務教育年齢にたまたま日本という国に滞在していたという理由で『教育を受ける権利』が保障されないのはおかしい」(小島祥美准教授、月刊「イオ」同)のです。

 日本政府は、外国籍の子どもも日本の学校に通うなら授業料や教科書は無料になるから差別ではないとしています。そう言いながら、外国人学校に通う児童生徒にはこの権利を認めていません。

 田中宏一橋大名誉教授は、こう指摘します。
 「日本の教育を受けたいなら小学校でも中学校でも授業料はいりません、教科書も無償で差し上げます、来たければ来てください、ただし、民族教育は認めない。これは植民地時代と何も変わっていない」(月刊「イオ」同)
 「植民地時代と変わらない」とは、民族の言語の使用を禁止し、日本の教科書で日本に従順な人間・「天皇の赤子」をつくる「教育」=「同化教育・同化政策」と変わっていないということです。

 外国人労働者を奴隷的無権利状態で酷使・搾取していることは、場所を日本国内に移し替えた今日版「植民地政策」にほかなりません。
 そしてその子どもたちは、「植民地時代と何も変わっていない」今日版「同化教育・同化政策」の下に置かれている。ここにこの問題の本質があると言えるでしょう。

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