アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記248・飯山由貴作品に対する東京都の検閲と天皇制

2023年05月07日 | 日記・エッセイ・コラム
  4月29日、同志社大学で「飯山由貴《In-Mates》の上映禁止が問いかけるもの」と題した「上映会&シンポジウム」があった。アーティストの飯山氏が制作した映像作品が東京都人権部(前身は同和対策室)の検閲を受け上映禁止となった(2022年5月)。

「本作は、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人のFUNIの声と身体を映像化したものである。都は「関東大震災時の朝鮮人虐殺」を歴史的事実とすることへの懸念などを理由に上映を禁止した。これは現代の検閲権力が、在日コリアンの経験の歴史と現在を作品として形にすることにまで及んでいることを示す、深刻な事態である」(集いのチラシ)

 直接検閲して上映禁止の決定を行ったのは都の人権部だが、背後に小池百合子知事の存在があることは明白だ。毎年行われている「9・1朝鮮人犠牲者追悼式典」に歴代都知事は「追悼文」を寄せてきたが、小池は知事就任後6年間送っていない。関東大震災時の朝鮮人大虐殺という明々白々な歴史的事実を、小池は一貫して認めようとしない。

 今回の飯山氏の作品に対する都人権部の検閲・上映禁止は、小池の意向を忖度したものだ。あるいは小池が直接指示した可能性も否定できない。

 「上映会」では、「In-Mates」(2021年)に続いて飯山氏が制作した「家父長制を食べる」(2022年)も上映された。男の等身大のパンを作り、それを食べてDVなどの男の暴力、女性差別、その根底にある家父長制を告発したものだ(写真=チラシより)。これも力作だった。

 興味深かったのは、「家父長制を食べる」の冒頭で、天皇・皇后ら皇室の写真カレンダーが映し出されたことだ。今日の日本社会をむしばんでいる男尊女卑、その根源である家父長制が天皇制と一体不可分であることを表している。

 関東大震災時の朝鮮人大虐殺(1923年)は、天皇制政府による「3・1独立運動」(1919年)武力弾圧の延長線上にある。敗戦後の在日コリアン差別は天皇裕仁が最後の詔勅として発した「外国人登録令」(1947年5月2日)が起源だ。在日コリアン差別の元凶も天皇制なのだ。

 飯山氏の2つの作品によって、在日コリアン差別、女性差別の根底にいずれも天皇制があることを改めて痛感した。

 集いには、飯山氏、FUNI氏が招かれた。FUNI氏によるラップも上演された。ラップを初めてナマで見た。力強さ、強烈なメッセージ性に圧倒された。収穫多い集いだった。

 【今週のことば】

 小泉今日子さん (2020年5月、安倍晋三政権による「検察庁法改正」を批判するSNSに賛同し、激しいバッシングを浴びた)

<「芸能人が政治的発言をして」みたいな批判をよくされるんですけど、政治的な発言かな?って思うんですよね。国民的な発言なのではないか、と。

 名古屋入管に収容中だったウィシュマ・サンダマリさんが亡くなりましたよね。さかのぼれば、公文書改ざん問題で近畿財務局職員の赤木俊夫さんが自死した問題もそうですけど、人が命を失っているのに(政府に)答えがない、見せてくれないことに、何だと思っているんだ、と感じました。
 人の命をすごく軽々しく扱うんだなっていうのが嫌でした。入管法の問題は今も何も解決していないですもんね。

 生まれた時からほとんど、日本の政治イコール自民党だったんですよね。ずっとそうだったから、任せとけばどうにかしてくれる、日本はより良くなっていると思っていました。
 でも、15年ごろ、SEALDs(シールズ)の若者たちの声に耳を傾けてみて、気づかされたんです。若い頃に、そういうことしてこなかったな、って。

 日本の現状に不安や不満を感じるけど、これって自分たちの世代が作ってしまった現実なんじゃないか。すごく罪に感じて、若い人たちに、ごめんよ、と思いました

 これから残りの人生、そんなに長い時間じゃないかもしれないけれど、意思表示する姿を少しでも見せていかないといけないなっていう責任を感じています。>(4日付朝日新聞デジタルのインタビュー=抜粋)
(57歳の小泉さんにこう言われると、もうすぐ70歳になる身としては恥じ入るばかりです)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする