アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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<番外>就任会見で鮮明になった橋本聖子新会長の不適格性

2021年02月19日 | 五輪と政治・メディア

    
 東京オリ・パラ組織委員会の新会長になった橋本聖子氏は、18日午後6時から約40分間会見し、10人の記者の質問に答えました。この就任会見で鮮明になったことは、橋本氏が会長としてきわめて不適格であり、組織委の建て直しなど論外だということです。

 第1に、橋本氏は、「(喜朗)先生は政治の師であり、たいへん特別な存在だ」と二度繰り返しました。
 そもそも橋本氏を政界に引き入れたのは森喜朗氏であり、森氏は橋本氏を「娘みたいなもの」といい、橋本氏は森氏を「父親のよう」と公言してはばからない仲です。こうした森氏とのまさに「たいへん特別な」関係を、自らの言葉で強調したのです。

 第2に、新会長として森氏との今後の関係について橋本氏は、森氏の「長年の実績」を挙げたうえで、「アドバイスをいただく局面はある」と断言しました。

 第3に、「森発言(3日)の何が問題と考えるか」という記者の質問に、橋本氏は、「なぜこのようなことになったのか反省し、検証しなければならない」と述べるだけで、森発言の女性蔑視・差別性を自らの言葉(認識)で明らかにすることをしませんでした(できませんでした)。

 以上の3点から明らかなことは、橋本新会長の下で森氏の影響力は厳然と残るということです。橋本新体制は「森院政」にほかなりません。橋本氏は森氏の傀儡と言っても過言ではなでしょう。新会長選定に至る不透明さからも、「橋本新会長」の決定は事前に水面下で森氏の内諾を得ていたことは間違いないでしょう。

 そもそも橋本氏は五輪担当相として、森氏の差別発言が発覚した時点で、森氏に辞任を求めなければなりませんでした。しかし橋本氏は頑として「辞任」を要求することはしませんでした。それは森氏との「特別な」師弟関係にもよりますが、橋本氏自身が森発言の本質を理解していないからでもあるでしょう。

 森氏も橋本氏も、そして菅義偉首相、小池百合子都知事、安倍晋三前首相も含め、かれらは「東京五輪」を政治的に利用しようとしてきた(しようとしている)“東京五輪ムラ”の住人たちです。その仲間内のたらい回しで、組織委が、東京五輪の政治的本質が、いささかも変わるものでないことはあまりにも明白です。

 繰り返しますが、安倍政権の政治的思惑で誘致され、仲間内の密室の談合が繰り返され、市民にはウソをつき続けてきた「東京五輪」など、あってはならない、開催されるべきではないのです。橋本会見はそのことを改めて鮮明にしたといえるでしょう。

 付言すれば、橋本氏も菅氏も小池氏も、森発言が世論の批判にさらされてから突然「透明性」「多様性」などと口にするようになりました。もし森氏が無防備にその本質を露呈しなければ(3日の発言がなかったら)、あのまま森体制で東京五輪を強行しようとしたのです。世論の批判でそれができなくなったから、自らの責任は棚上げして、急に美辞麗句を口にするようになっただけです。厚顔無恥の極みと言わねばなりません。

 それはメディアも同じです。組織委が森・安倍体制に支配され、ジェンダー差別にまみれた組織であった(ある)ことは重々分かっていたはずです。しかし、それを自ら問題にし追及しようとはしませんでした。森発言が市民の批判をあびて急に批判的論調になったのです。上記の連中とどれほどの違いがあるでしょうか。東京五輪のスポンサーでもあるメディア各社もまた、“東京五輪ムラ”の住人だということです。