アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「首里城」で日本人が忘れてならない2つのこと

2019年11月02日 | 沖縄と戦争

    

 31日午前4時前、燃え盛る炎の映像に目を疑いました。しかしそれは現実でした。
 初めて沖縄を訪れたとき、真っ先に行ったのが首里城でした。ゆいレール(モノレール)で那覇空港から直通で30分余という便利さもあります。那覇に住むようになってからも何度も行きました。わずか1年2カ月の那覇市民だった私でも多くの思い出のある場所です。ウチナーンチュの人たちの悲痛は察するに余りあります。那覇の友人から、「本当に辛くて悲しい。胸がかきむしられる思い」だとメールがきました。首里城が沖縄の人たちにとって、いかにかけがえのないものであるかを、改めて痛感します。

 しかし、首里城が持つ歴史的意味は、けっして沖縄の人たちにだけあるのではありません。首里城には「本土」の私たち日本人が忘れてはならない歴史が刻まれています。

 1つは、今からちょうど140年前、1879年3月、伊藤博文の命を受けた処分官・松田道之が、軍隊400人、警察官160人で首里城を制圧し、尚泰王を東京へ連行したことです。明治天皇制政府による琉球併合(いわゆる「琉球処分」)です(写真中)。琉球に対する言語道断の侵略であり、台湾の植民地化に続いて、帝国日本のアジア侵略・植民地支配の先鞭となりました。
 「命(ぬち)どぅ宝」という言葉はこの首里城明け渡しを描いた戯曲から生まれたといわれています。

 もう1つは、天皇裕仁が沖縄を“捨て石”にした沖縄戦で、中国侵略軍にいた牛島満司令官や長勇参謀長の第32軍が司令部を置いたのが首里城だったことです。
 1945年5月27日、首里は米軍に占拠されます。牛島はここで降伏すべきでしたが、南の摩文仁へ敗走します。それが壕から住民を追い出し被害を膨大に拡大することになりました。 

 忘れてならないのは、首里城に置かれた第32軍司令部の地下壕に、性奴隷(「慰安婦」)にされた女性たちが連れ込まれていたことです。沖縄には朝鮮人「慰安婦」を含め、多くの「慰安所」が置かれましたが、軍司令部壕の中にもそれがあったことは、性奴隷の歴史の醜悪さを象徴するものです。

 壕の入り口には説明版があり(写真右)、当初そのことが説明されていましたが、2012年3月、仲井真弘多県政(当時)は無断で説明版から「慰安婦」「住民虐殺」の文字を削除しました。その後、当時の関係者の証言などで事実がいっそう明確になり、専門家・市民団体は説明版に「慰安婦」の復活を求めましたが、翁長雄志県政はその要求を受け入れませんでした。

 首里城三殿は焼けてしまいましたが、第32軍司令部壕は道を隔てた首里城公園の中にあり、火災は免れたはずです。三殿は消失しても首里城の周辺は見るべきものがまだまだたくさんあります。沖縄へ行ったときは、ぜひ首里城公園内の第32軍司令部壕入口を訪ねてみてください。

 首里城は沖縄の人々にとっては、「心のよりどころ」でしょうが、日本人にとっては、琉球侵略・植民地支配、沖縄戦・日本帝国軍性奴隷の加害の歴史を象徴する場です。その歴史をけっして忘れることはできません。

 1日も早い復元を願うばかりです。