アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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明仁天皇が独メルケル首相に行った問題発言

2019年02月11日 | 天皇制と憲法

     
 明仁天皇は5日、来日していたドイツのメルケル首相を皇居・御所に招き、約20分間懇談しました。翌日の新聞はベタか不掲載かという扱いでしたが、実はこの場で天皇明仁はきわめて重大な発言を行っていました(写真左は6日付産経新聞より)。

  「宮内庁によると、陛下は4月末の退位について『この春には譲位しますが、これは光格天皇以来の約200年ぶりのことです』と説明した」(6日付中国新聞=共同配信)

  この発言には2つの重要な問題が含まれています。

  第1に、「退位」といわず「譲位」と言っていることです。

  昨年の「誕生日会見」の時も指摘しましたが(12月24日のブログ参照)、「退位」と「譲位」では意味がまったく異なります。「退位」はたんに天皇の地位から退くことですが、「譲位」とは天皇の地位を皇嗣に譲る、引き継ぐということで、皇位継承が天皇の自主的意思によるものだという意味になります。

  天皇制主義者はこの違いに敏感です。例えば、櫻井よしこ氏は、「広く使われている『生前退位』という言葉には違和感がある。…譲位という言葉を使うべきではないか」(2016年8月9日付産経新聞)と主張しています。

  「生前退位」という言葉にとりわけ強い拒否反応を示したのが、美智子皇后です。
 皇后は2016年の「誕生日(10月20日)にあたっての文書」でこう述べています。
 「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません」(宮内庁HP)
 皇后は翌2017年の「誕生日にあたっての文書」では、「陛下の御譲位については…」と明確に「譲位」と言っています。

  天皇に皇位を自主的に譲る権能などありません。それは明確な憲法(第1条、第4条)違反です。だから政府も「退位」といい、特例法でも「退位」となっています。「譲位」と言っているのは天皇、皇后など皇族、天皇主義者、そして新聞では産経新聞くらいです。

  第2の問題は、明仁天皇が「退位」(「譲位」)を「約200年ぶり」と述べていることです。

  これは「天皇制」を一貫したものと捉え、光格天皇の「譲位」(1817年)と自分の「退位」を同列に置いていることを意味しています。
 しかし、「天皇制」はこの130年間で大きく2度変質しています。「大日本帝国憲法」(1889年)による絶対主義天皇制の確立と、主権在民の「日本国憲法」(1946年)による象徴天皇制の成立です。同じ「天皇制」といっても、その前後では天皇の政治的権能は大きく変わりました。それに伴って「退位」(「譲位」)の意味も質的に異なっています。
 それを同列に置いて「光格天皇以来200年ぶり」と言うのは、象徴天皇制に対する無理解か意図的な曲解と言わねばなりません。
 明仁天皇に限らず、日本のメディアはすべて「光格天皇以来200年ぶり」という表現を使っており、同様の誤りを犯していると言わざるをえません。

  以上の2つの問題は、いずれも憲法の「象徴天皇制」の意味を歪めるもので、天皇が外国の首相にそうした「説明」をしたことは、国際的なミスリードであり、自ら日本の元首として振る舞ったとも言えるものできわめて重大です。

  さらにもう1つ。上記の2点ほど明確ではないので推測として述べます。それは、明仁天皇の「退位」は光格天皇を意識した(踏襲した)ものではないか、ということです。

 光格天皇(1771~1840年)とはどのような「天皇」だったでしょうか。

 「1780年に践祚し、39年間在位して1817年譲位。強烈な皇統意識と君主意識をもち、朝廷の数々の朝儀および内裏の再興と復古を実現させて天皇・朝廷の権威の強化に努め、尊号事件(皇族の傍流だった実父に天皇の称号をあたえた―引用者)などで幕府との軋轢も生んだ」「文書への署名をみると…神武天皇から120代目を強調し…日本国の君主意識、統治者意識が認められる」(原武史・吉田裕編『天皇・皇室辞典』岩波書店)

 明仁天皇が光格天皇を手本にしたかどうかは分かりませんが、憲法を無視した「生前退位」表明、「譲位」意識には、光格天皇の「皇統意識・君主意識」の影がうかかえるのは確かでしょう。