アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記12・「石垣自衛隊配備と災害」「災害と民族精神」「井上ひさしの『1%の希望』」

2018年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆石垣自衛隊配備と災害…7月18日、石垣市の中山義隆市長が石垣市への陸上自衛隊配備計画を受け入れると正式に表明した。市民の強い反対を押し切って。

 そのことについて見解を聞かれた小野寺五典防衛相は、20日の記者会見でこう言った。「自衛隊の部隊配置は我が国を守るためだ。災害が起きたら住民を守る役割もある」(21日付琉球新報)

 あけすけだ。西日本豪雨災害に派遣された自衛隊の姿をメディア(とくにNHK)が連日とりあげる。その機に乗じて中山市長は懸案の石垣配備にGOサインを出す。小野寺防衛相は「災害」を引き合いにそれを合理化する。先の那覇市での自衛隊と警察の「合同就職説明会」(7月16日)に続いて、沖縄への自衛隊増強に「災害」を利用する思惑が表面化した。

 被災地の惨状、懸命な復旧活動の裏で安倍政権とその仲間らの狡猾な策動があることを見逃すことはできない。

 ☆「災害と民族精神」…7月17日、福山市立大学の公開講座「中国の道徳教育の歴史と現在」(講師は中国人民大学副教授)に参加した。習近平政権の下でどんな「道徳教育」が行われているか興味があったからだが、思わぬ気づきがあった。

 中国の「道徳教育」の歴史の中、「2002年~現在」までの道徳教育に次の項目があるという。「災害・緊急事態への対応と民族精神の高揚」

 どういう趣旨だろう?挙手をして質問した。講師は「政府の考えは分からない」としながら「災害時に秩序ある行動をする日本がモデルではないだろうか」と私見を述べた。

 「災害」と「民族精神の高揚」、そして「道徳」。それは権力者にとって国と時代を問わない永遠のテーマか。関東大震災時(1923年)の朝鮮人らに対する虐殺、東日本出大震災時(2011年)に「日本国民」に「秩序」を求めた「天皇ビデオメッセージ」が想起される。

 ☆井上ひさしの「1%の希望」…アジア民族への蔑視と差別、対米追従、軍備(自衛隊)強化を最大の特徴とする安倍政権。それを「支持・容認」する「世論」。大政翼賛的野党・国会。権力への批判精神を喪失したメディア…。光が見えない。絶望的にならざるをえない。

 そんな気持ちでいる時、作家の柳広司氏が紹介した井上ひさしの言葉が響いた。

 「井上ひさしはしばしば楽観論者、理想主義者と批判される。だが彼は晩年『九十パーセント、否、九十九パーセントはダメなことばかりでしょう。それでも自分は一パーセントの希望を信じて芝居を書きたい』と語っている。…九十九パーセント絶望しながら、それでも一パーセントの希望を信じて芝居を書くのは、言葉にすれば簡単だが実際にはできることではなく、ただ『芝居(物語)で世界を変えられる』と信じている者だけがなしうるシジホス(ギリシャ神話で、落下する巨石を繰り返し山頂まで上げる罰を受けたコリントスの王-引用者)的な苦行だ」(柳広司氏、岩波書店「図書」7月号)

 「1%の希望」か。「1%」ならまだこの国にもあるだろう。


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