アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

チビチリガマ破壊を「ヘイト」と捉えた金城実さんの怒り

2017年09月14日 | 沖縄・平和・基地

     

 沖縄戦で83名の住民が日本帝国軍隊によって強制集団死(「集団自決」)させられた「チビチリガマ」(読谷村)が、何者かによって荒らされていることがわかりました(12日)。

 チビチリガマは1987年にも右翼団体によって破壊されています。佐喜真美術館の佐喜真道夫館長は、「3度(沖縄戦、87年、今回)殺されたと言える。『沖縄の人間なら何度殺してもかまわない』という差別的な思いが感じられ不気味だ」(13日付琉球新報)と述べています。

 沖縄にはガマ(自然洞窟)をはじめ多くの戦跡がありますが、なかでもチビチリガマには特別の意味があります。

 「住民が集団で死に追いやられたのは、民間人にまで死を求めた日本軍の強制と誘導があったからだ。チビチリガマは沖縄戦の日本軍による住民被害(虐殺と言うべきー引用者)を象徴する場である」(14日付琉球新報社説)

 今回の行為が、「平和学習の意味をも破壊する行為」(吉浜忍沖縄国際大教授、13日付沖縄タイムス)であることは言うまでもありません。同時に、安倍政権による辺野古新基地建設強行とも深く関連しているでしょう。

 「辺野古の新基地建設を阻止する運動が、戦争体験者を先頭に展開されている。今回の行為には…運動をひるませ押しつぶそうという狙いがあるのではないか」(石原昌家沖縄国際大名誉教授、13日付琉球新報)

 沖縄で落胆と怒りの声が広がっている中、とりわけ注目されたのが、チビチリガマの像(「世代を結ぶ平和の像」)を作製し、「チビチリガマの歌碑」も作詞した彫刻家・金城実さん(読谷村在住、写真右)のコメントです。

 金城さんは、「チビチリガマの死は強制された死だ。『集団自決』ではない。皇民化教育がそうさせたのであって、『自決』『自殺』ではないんだ」と指摘し、さらにこう続けました。「面白くないと思っている人がやったのか分からないが、ヘイトスピーチのようなものだ。許してはいけない」(13日付琉球新報)

 ヘイトスピーチとは、「人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現」(師岡康子氏『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書)であり、「ターゲットであるマイノリティは、奴隷制度、身分制度の植民地支配などの歴史的に形成された差別構造の中で、幾世代にもわたる差別体験の記憶を背負わされ、また、日常的にも様々な理不尽な差別を受け、民族的・人格的尊厳、アイデンティティを傷つけられ苦しめられている人々」(同)です。

 金城さんは、チビチリガマの破壊行為を、たんなる平和教育や辺野古新基地阻止運動への嫌がらせではなく、沖縄(琉球民族)に対する歴史的・構造的差別を念頭に、上記のような意味をもつ「ヘイトスピーチのようなもの」と捕らえました。

 それはまた、金城さんが「オモニの像」(大阪、在日の女性)や「恨之碑」(読谷村、朝鮮人強制連行)など、在日朝鮮人と深く交わり、朝鮮人差別とたたかってきたこととけっして無関係ではないでしょう。

 ヘイトスピーチが横行し、在日の子どもたちはじめマイノリティに対する政策的・市民的差別が強まっているいま、金城さんがチビチリガマの破壊行為を「ヘイトスピーチのようなもの」ととらえたことの意味を、「本土」のマジョリティである私たち「日本人」は、真剣に受け止めねばならないのではないでしょうか。


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